大学一年春休み、大学についての愚痴 No.1 高校生は難関大学目指して頑張って

 この文章を書いている時期は、大学一年の春休み、ちょうど休暇が始まってから一か月たった頃だ。
 ぼくは春休みに入ってから、大学というものについて頻繁に考えるようになった。授業であったり、友人関係であったり、インターンシップ制度であったり、留学であったり色々なことに関して。動機は単純だ。

 ぼくが大学について考える動機は、大学生活に不満があるという一点においてのみである。ぼくは大学に不満がある。それは現在所属している大学だけの問題ではないかもしれない。いずれにせよ不満があるのだ。なので愚痴を書く。駄文かもしれないが読んでもらえると嬉しい。同じく大学に不満がある人、コメントくれると尚嬉しい。ぜひ傷を舐めあいましょう。

 まず僕の通っている大学は、実学重視の情報系の学部であり、昨年度から始まった新設である。キャンパスは一学部のみで、周囲の人々は全て同じ学部に所属しているという環境だ。そしてFラン()だ。
 まず不満の一点として、キャンパスが一学部のみで占有している環境が挙げられる。この点について今回は書きたい。もう一つ、授業がクソだという点があるが、長くなるので次回。

 この環境の欠点は、自分とは別の分野の学習を行うものがいない閉鎖性にある。
 そもそも大学とは、様々な知が集まった場であったはずだ。多分。すぐ隣には全く別の分野に関心を持つ者がいるという状況。そういった学問のテーマパーク的な場が大学なのではないかと思う。この場として機能していないことは大学という最高学府の名に相応しくないとすら思う。少し横道にそれてしまうが、そしてこんな学部に進学しておいてなんだが、彼の言っていることは全く正しいと思う。

引用させていただきます。

「国際系や情報系の学部を増やし、実学偏重路線に突き進んでいる。それを私学の先端でやっている。」「このままでは大学が終わっていく」「200年、いや3,000年の蓄積がある思想を捨て、わずか十数年のはやりにすぎないコンピューターや語学教育にすがりついているそんなのは専門学校でやればいいこと。」

 全くおっしゃる通り。学生を集めるために実学重視、今現在の社会に求められることに振り回されてどうするんだと。それが大学なのかと。日本の大学全体に言えることなのかもしれない。

 話を戻します。
 僕の大学では出会う人すべてが同じ学習を受けているため、一人ひとりの評価が専門分野の知識や、テスト、成績などによる一元的なものになっている(具体的にはPCに詳しいかどうか)。つまり、相手が自分より成績が良いかどうかが関係の有用さに直結するのだ。これが多学部が入るキャンパスであれば、成績の如何に関わらず、自身とは別の分野を学習しているという面において有用な相手であることは担保されるはずだ。

 とはいえ同じ分野について学んでいる相手でも、有用な関係が築ける場合は全くあり得る。相互に高めあい、その分野において競い合う関係が築ければよいのである。

 けれども!けれども、絶望的なことに、偏差値の低さもあるのだろう、ほとんどの学生の向学心が驚くほどに低いのである!授業は休む、出席しても私語かツイッターかネットサーフィン!PCの持ち込みが許可されてるのは学習のためだぞばかやろー!こんなクズどもと、こんなクズみたいな環境で四年過ごせってのかよふざけんな!!!!!

 ぼくは年100万もするような高い学費を親に払って貰っている。親にそこまで負担をかけているのにこんな、こんなひどい環境だなんて思いもしなかった。本当に後悔している。偏差値の低い、私立大学なんかには絶対に行かないほうが良い。偏差値の高い大学に行くべき理由は、何も就職に有利であるという点だけではないと痛感している。

 学生は総じてやる気がない。そして授業はスライドの音読、そのスライドは授業後配布。行く意味ねーだろ。出席点の配分高くしてもクソ授業じゃやる気もなくなるよ。使い方間違ってるかもしれないけど負のフィードバックループ的な状況ですよ。やる気のない人たちと、やる気をなくさせる環境で、どうやって有意義な学生生活が送れるんでしょうか。アドバイスください。

 こんなゴミみたいな環境を「大学」と呼び、毎年多くの若い世代がクソみたいな4年間を過ごしているのかと思うと、その欺瞞に呆れてしまう。というわけで僕は大学生活に絶望した

 そして、大学に合格したことが奇跡的なほどの自分の偏差値、学力の低さに、編入すら検討できない現実に絶望した

#大学生 #教育 #エッセイ #コラム #高校

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