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最近読んだアレやコレ(2023.09.18)

 外食をあまりしない人間であり、必然、自炊の機会が多いのですが、油断すると選ぶ食材が偏りがちになるため、意識して新風を取り入れるようにしています。最近は、ブロッコリーくんを迎えました。外食では口にすることは多々ありましたが、よくよく考えてみたら、自宅に迎えたのは10年以上ぶりな気がします。茹でる場合はともかくとして、炒める場合、フライパンとの設置面積がどう見ても他の野菜と比べて小さく、調理していて非常に不安になります。とりあえず、少量水を入れて蒸すようにしているのですが……。カレー粉をまぶした鶏の胸肉と、マヨネーズで炒めると大変美味しい。おかずではなく、そのままスパゲッティの具にすることが多い。

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迷路館の殺人/綾辻行人

 推理小説の老大家が仕掛けた最後の「事件」。それは、自らの死を号砲にした、推理小説の競作だった。かくして迷路の館にて、4人の推理作家による執筆が始まる。評論家、編集者、そしてミステリマニア……審判たちが見守る中、ゲームは進み、やがて本物の事件が起きる。館シリーズ第3弾。

 おそらく3回目の再読。私自身も毒されてしまっていましたが、改めて読み返してみると、これが主が住む家だ!って言って真顔で迷路の平面図が出てくるのは、とんでもない迫力がある。やばすぎる。いくら資産があるとは言え、大枚はたいて地下迷路に暮らしてるような異常老人が企画したゲームに乗るのは絶対にやめた方がいい。……扉から奥付までを作り込んだ稚気溢れる作中作の趣向といい、推理小説自体をモチーフにとった心地よい内輪感といい、おそらくシリーズでいちばん「作りもの」めいた、楽しさ溢れる1冊です。迷路も決してふざけてるわけではなく、いや、ふざけてはいるんですが、このリアリティのなさこそが、本作における「枠組」を……虚構という内と外との隔たりを強固たらしめる必要なピースであることがわかります。推理小説の本質の1つは「囲う」ことであり、それは「館」に他ならない。だとすると、推理小説自体を外壁に作られたこの内側は、最も居心地よく、最も優しく……そして、最も脆弱で、最も馬鹿馬鹿しいおもちゃ箱であるでしょう。嗚呼、抱きしめるだけで崩れてしまう人工甘味料の愛おしさ。館の存在感の裏で、探偵・島田潔がその悪魔性を発揮しつつあるのも見逃せません。


人形館の殺人/綾辻行人

 父が遺した京都の”館”で、私を出迎えたのは、身体の一部を欠いた奇怪な人形たちだった。頻発する通り魔殺人。何者かの悪意に満ちた視線。私の日常は軋みはじめ、ついに魔の手はその首元にまで及ぶ。忌まわしい犯行は、隠されていた私の記憶を緩々と暴いてゆく……。館シリーズ第4弾。

 再読。10年以上前に読み、印象に残らず、再読もしていなかったのですが、過去の自分の見る目のなさには失望すぎる限りです。『十角』では距離、『水車』では時間、『迷路』では虚構と、外壁の次元をひとつずつステップアップした先、次に描くべきものは何か? それは一見すると、「外壁を壊すこと」のように思えますが……決してそうではなく。推理小説という代物が常に「枠組」に囲われている以上、それは内に潜り、外壁を背にしたために見えなくなったに過ぎません。そして囲いの中には囲いがある……では、その連続性の果てにあるものは? ……推理小説において、「館」とは拡大された「人形」であること。本作が実作をもって示したこの結論は、ミステリ史に残る言語化であり、それだけでもマスターピースと呼べる格を備えさせています。たった1人のヒトの形に囲われた妄執が、規則を形づくり、そこに架空の遊戯と論理を顕現せしめる。館も孤島もサークルも、そして1冊の本も、全ては人形という最小単位の拡大に過ぎない。本作は、推理小説というものを愛し抜き、考え抜いたからこそ生まれ得た異形であると思います。王道に対して常軌を逸したからこそ、辿り着く外れた地点。元々シリーズ完結編に位置づけられていたことにも、深く肯ける傑作です。


六人の嘘つきな大学生/浅倉秋成

「内定者を自分たちで1人選ぶこと」 6人の就活生に課せられた最終選考は前代未聞のディベートだった。議論が始まりかけた時、不審な封筒が配られる。収められていたのは、6人に対する告発……落選必至のプライベート。暴露合戦と化した試験を勝ち抜き、見事、御社を騙し切る「嘘つき」は誰? 

 恐ろしいほどのテンポで状況がひっくり返り続け、かつ、その卓袱台の裏には、必ず物語がよりおもしろく、より濃く、より深みを増す次の何かが用意されている。先に記したデスゲームめいたあらすじすらも、この小説の形をしたわんこそばの1杯目にすぎません。より鮮度の高い「おもしろさ」が、次から次へと運ばれては、腹の中に押し込められてゆくのですが、その全てのタイミングと分量が最適であるがゆえに、満腹中枢が騙されてしまう。明らかに度を越して速いのに、ついていけなくなる瞬間が1度もない。読み手の脳ではじける「おもしろさ」の総量を、限界まで絞り切るその手つきは、ある種の非人間味すら感じるほどで、ここまで技巧に偏重されたエンタメを書かれてしまうと、もうちょっと手作りの温かみを、と老いた気持ちにもなるのですが……この圧倒的な「おもしろさ」の暴力の前では、そんなしょうもないクレームは押し潰されてしまいます。また、ここまで脳の表層を撫でるエンタメに徹しておいてなお、就活小説としての重みや深みも一切振り落としていないのは、魔技という他ありません。どう考えても健康に悪い過剰にジャンクな、それでいて重みを伴った読書体験。凄かった。


無貌伝 ~人形姫ガラテアの産声~/望月守宮

 友人・遥の導きによって、湖を渡った秋津を待ち受けていたのは、彼女の5人の父親と、彼女を模した5体の人形だった。怪奇犇く奇妙な”実家”に秋津が翻弄される中、遥が姿を消し、父の1人が殺される。それは、人形の1体に命が宿り、動き出すことを意味していた。〈無貌伝〉シリーズ第3巻。

 孤島もの、連続殺人、人形。1人殺される度に人形が1人命を宿すため、登場人物の総数の増減が生じない。失せていく人気と反比例するように、人形たちは姦しく増えてゆき、推理劇も「騒がしい」無人の中で披露される……「そして誰もいなくならない」とでも言うべき奇怪なシチュエーションがとにかく愉快な作品でした。生死すらあやふやな状況下で、命を宿した人形たちが遊ぶさまは、描きようによってはホラーにもなるでしょうが、本作では切実さをもって描かれます。それは、貌を失った探偵や、まだ何者でもない少年が、探偵という在り方に自己を見出してゆくこのシリーズにおいて、必然的な切り口であるでしょう。たとえヒトデナシであろうとも、貌を求める様こそがこの物語の主役であり……だとすると、エピソード0とも言えるこの作品は、後の探偵・秋津承一郎の根源であると共に、宿敵・無貌の物語の1歩目であるととらえてもよいかもしれません。〈無貌伝〉の題に幾重もの意味が被さり、次第に重心が見え始めた3巻でした。次巻も楽しみ。


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