最近読んだアレやコレ(2023.04.26)
現在、海外出張中のため、大きめの時差の下、この記事を更新しています。こちらのカレンダーに合わせて4月26日とナンバリングを刻みましたが、果たして日本では26日なのでしょうか。そもそも今は何時なのでしょうか。そしてこの記事は、ちゃんと更新できているのでしょうか。全てがあいまいな中、ホテルの近所のスーパーに売っていたドリトスを食べながらキーボードを叩いています。時空と言語の壁はあろうとも、ドリトスがおれの道を教えてくれる。あと今回から少し感想文の様式を変えました。あらすじ部分を独立させた形です。
■■■
怪人デスマーチの退転/西尾維新
旧世代の「夢とロマン」への反発、執着、そして愛憎をこれでもかと吼え狂った前作と対照的に、引き継がれる物と引き継ぐ者たち、そしてそれらが伝播し、拡散してゆくさまがどこまでも冷淡に描かれる続編です。何かが創りだされた時、それはどうしようもなく影響を広げ、決して退転することはない。創作は、傑作は、ただ1人の取り憑かれた散歩者を産むだけでなく、題も知らず読みすらしない無関係の人間すらをも巻き込み、眼前に広がる「次へ」と向けて世界を前進させる行軍を成す。おぞましくもあり眩しくもあるその様を、倫理や道徳を度外視してどこまでもフラットに描く中で、それに真っ向から抗う主人公・怪盗フラヌールの台詞だけが、ひやりと冷たい怖さを伴っている。犯罪小説、あるいは推理小説を通して記されたこの創作論は、新青春エンタ/新本格ミステリの思い出話を通り越し、どうしようもなく残酷に、あるいは目も潰れるほどに輝かしく、「次へ」「次へ」と突き進む。最新最前の懐古録。ひと区切りらしい次巻でどんな決着がもたらされるのか、とても楽しみです。
君が見たのは誰の夢?/森博嗣
主要な設定の幾つかと主要なキャラクターの身辺に対してある程度大きな変化・決着が記された巻であり、ウォーカロンやトランスファ、スーパーコンピュータ、そしてヒトが獲得している「知性」という題材について、ある程度の方向につづめ、束ね、ひとしずくをぎゅっと絞り出した、そんな巻でもあったと思います。独りで歩くであるがゆえにWの1文字であったと思われる前シリーズが、並んで歩くWWの2文字の元に再始動されたことの意味。しかし、それはもちろん孤独な知性を否定するものではなく、グアトとロジが迎えた決定的とも思える最後の展開も、やはり疑問符付きで問いとして投げかけられます。それは善い事か、悪い事かのような単純な二択ではもちろんなく……「君が見たのは誰の夢?」……知性が一番最初に投げかけられるべき問いとして、あるいは知性が「それ」に対して投げかけるべき問いとして。引用文に選ばれているのは『2001年宇宙の旅』であり、つまりは「問い」とはモノリスとの接触なわけですが、森博嗣のファンとしてはやはり『ドグラ・マグラ』を連想してしまう作品でした。そして、何が一番驚いたかって、これでシリーズが完結していないところです。
化石少女/麻耶雄嵩
再読。最終話で炸裂する邪悪すぎる仕掛けが最高で最悪あることは言うまでもないですが……その大鉈によって奮われるギミック以上に、全編に通底する人の命の軽さが個人的には白眉です。ユーモア学園ミステリの「日常の謎」のノリで、何の疑問も呈されることなく、ごく当たり前のように毎話、学校で人が死ぬ。実に気持ち悪くて、気色が悪くて、すばらしいほどにサイコ。リアリティだとか道徳心だとかを全て脇に置き、人間の命を推理ゲームのネタとして、すっとぼけた顔で消費してゆく心の無さが、心地よいおぞけとなって脳の裏側を撫でてゆきます。推理小説というジャンルが必然的に備えた歪み。それを淫猥や背徳といった湿度を伴って描くのではなく、平平凡凡な表情を浮かべて……「推理小説に狂った人間」だけができる無表情を浮かべて、さらりとずれて見せるこのドライさこそが麻耶ミステリの要であると私は思います。「推理小説」は全てに優先し、「キャラクター」は勿論、「小説」すらもその部分集合にすぎない。その前提に生きる狂人だけが書くことが可能な、ヒトでなしの文学がここにあるのです。
化石少女と七つの冒険/麻耶雄嵩
人間関係の高低差により古生物のように滅びてゆく探偵の無惨と、その絶滅環境を作為をもって構築するワトスン役の悪徳。十分すぎるほどにろくでもなかった前作の完成図を踏まえ、そこに新入部員という追加のピースを加え、「推理小説」としての段階を一歩先に進めたのが本作です。進めた結果、どうなったか。醜悪さはよりひどく、グロテスクはよりおぞましく、物語は谷底へ転げ落ち、キャラクターは踏みにじられました。ただひとつ「推理小説」としての深化という目的のためだけに。『麻耶作品において「推理小説」は全てに優先する』。前作を読み直し、そう痛感したにも関わらず、「まさか、ここまでするとは……」と絶句させられる逸脱ぶり。自分がいかに常人であるかを突きつけられる、度を越した厳密性と挑戦精神。私はここまで推理小説に狂えない。この彼岸を渡れない。推理小説を考えすぎて気が狂った人間だけが跨げる、ボーダー。そして何よりも恐ろしいのは、この2つ目の完成図を踏まえた上での「次」が控えていることです。あと、ここまでやっておきながら未だにユーモアミステリの顔をしているのが本当にサイコすぎる。傑作でした。3作目を震えて待ちます。