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最近読んだアレやコレ(2020.11.29)

 ここ最近、ハイラルの原生生物の虐殺で忙しくしています。虐殺で忙しいので、米を作る方の創造的行為には手をつけられておりません。実はそんなこともなくて創造的行為もやっており、ネクロ13という逆噴射小説大賞に投稿した作品の続きを書いたり長谷川家の決闘という逆噴射小説大賞に投稿した作品の続きを書いたりもしてました。前々回くらいに今年は投稿しないとか言っていた気もしますが、あれは嘘です。許してください。で、その逆噴射小説大賞ですが、二次選考に三作通りました。わーい! 通ったうちの一つは長谷川家です。長谷川家では自分でもびっくりするくらい優等生なので、もしてっぺんをとれるとするならば彼なんじゃないかなと思っています。あと、ここまで書いて一息ついてnoteサーフィンしてたんですが、ちょうど上にあげたネクロ13の感想文を書いて頂いているのを発見しました。

 めちゃくちゃうれしいですね。めちゃくちゃ、うれしいですね。小躍りしました。やった~! ただ、今はインプットが楽しいフェーズに入っちゃってるので、本編の続きができるのはたぶん2月くらいになると思います。

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死者はよみがえる/ジョン・ディクスン・カー、三角和代

 ラブコメ怪奇おじさんこと、カーの新訳。一体どんな風に死者がよみがえるんだろうと思って裏のあらすじを読んだら、アホがホテルで無銭飲食してパクられそうになったという話しか書かれておらず、首をひねりながら本文にとりかかったところ、これがまあ、びっくりするくらい死者がよみがえらない。本作の特徴は、まさにそれに代表されるように、一時が万事、徹底して「はっきりしない」ところです。複数の現場で目撃される怪人、奇妙な館を建てる建築家、行方のしれないブレスレットなど、いくつもの謎が提示されるものの、それらの全てに焦点があたることなく、物語全体にかかった靄が、どこまでも散漫に広がってゆく。読者は当然、全包囲を警戒しながら、足元も見えぬ靄の中をひたすらうろつく破目になり、そして、最後に完全な盲点から不意打ちをぶち込まれることになります。中でも特に「怪しい建築家」の処理がマジ最高。手垢がつくほどに使い倒されているガジェットなわけですが、これはちょっとあまりにも新しく、凄かった。かなり好き。


キリハラキリコ/紺野キリフキ

 再読。「ウォーターベッドの中にタコが棲んでいて、寝転ぶと墨を吐きベッドが真っ黒になる」という小説を大昔に読んで、大変おもしろかったことだけは覚えていたのですが、タイトルがどうしても思い出せない……そうこうしているうちに数年がたち、先日、ふと、そのタイトルを思い出しました。『キリハラキリコ』、本作です。奇妙な町キリキリ町に住む、奇妙な少女キリハラキリコが綴った、一年間の日記。5Pにつき1エピソード程度のペースで描かれてゆく日常は「玄関を省略することで他人の家中に入り込みカレンダーをめくる親娘」「シャワーから蕎麦が出てきて慌てて蛇口をひねったらめんつゆが出る」「大人には未来がないから死んでも構わないという理由で子供だけを診療する小児科」など、奇妙奇天烈なものであり、しかもそのほとんどにオチがつくことがなく、淡々と流されてゆきます。積み上がったヘンテコは特にまとまることもなく、しかし、なぜか妙な一体感をもって、ストーリーのようにも見える「流れのようなもの」を形作ってゆきます。大変おもしろかった。同作者の別作品も読もうと思います。


エラリー・クイーンの新冒険/エラリー・クイーン、中村有希

 ヤバすぎる。なんなんですかこれは。人間の身でこんなものを書くな。前作の感想でも書いたのですが、エラリー・クイーンははっきりいってちょっとおかしいと思う。完成度もおもしろさも、全てがぶちぬけている。推理小説という前提も、歴史的な文脈も関係なく、ただただ生のままに「謎解きがおもしろい」。たったそれだけで、誰もたどりつけないてっぺんに立ってしまっている。しかもそれが百年近くたった現代ですらも通じている。刃物として研ぎ抜かれ臨界点ギリギリを閃くような「凄味」に溢れた第一短編集と比べるならば、本作は、もっとゆったりと身を構えて多彩な楽しみを広げて見せた「余裕」に溢れた短編集です。推理小説としての完成度だけで語るならば、やはり「一晩で屋敷が一軒消滅する」という無茶すぎる謎に対して120点の回答を見せてくれる「神の灯」になると思うのですが、個人的には、後半に収録されているスポーツ・ミステリ四連作が遊び心があって好きですね。贔屓の野球チームの応援に忙しいクイーン君が、スタジアムで起きた殺人をいらいらしながら推理する「人間が犬を噛む」が特にお気に入り。


KEYMAN(1~13巻)/わらいなく

 再読。恐竜にヒーローにおっぱいに暴力にアクションと、インクのように真っ黒になるまで煮詰められたエンターテイメントを、脊髄に直接流し込んでくる快楽に満ちたたのしいまんが。改めて読み返して思ったのは、本作はすべてを企んだ黒幕/ラスボスすらも含めて、どこまでも親子の物語であり、作中人物の一人が言う通り「子どもの浅知恵で正体を隠し通すことなどできるわけがない」お話なのだなあということです。真相を全て知る魔女や、陰謀を張り巡らせた黒幕も、皆、どうしようもなく欠けていて、失敗ばかりしており、理にも知にも足りず、感情的になり、頭をぶっつけ、なんとかしようと必死にもがいている。彼らは、彼らにとってはあまりにも難しすぎる命題を備えたこの物語に真正面から衝突し、浅知恵と浅知恵をぶつけあわせ、なんとかその向こうに行こうと、お話を獣のようにのたうたせることになります。その道行きはあまりにも荒っぽくて、欠けている。だからこそ、迫力に満ちている。久しぶりに読み返したらおもしろかった。



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