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最近読んだアレやコレ(2023.08.24)

 徒歩通勤時の日射が厳しすぎるので、日傘を買いました。「暑さ」というより、日射の圧力にぶっ倒れそうになっていたので、効果は非常に大きく、快適な通勤ができるようになりました。……と、思っていたら8月以降、通勤時に前触れなく豪雨が襲いかかってくることが何度かあり、大変な理不尽を感じています。日傘でも雨が防げるので問題はないのですが、釈然としないものがある。灼熱の炎天下が急に豪雨に切り変わるのは、それはもう気象というより、悪意をもった「攻撃」と言っていいのではないか。季節の野郎が調子づいている。夏を許してはならない。

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赤い部屋異聞/法月綸太郎

 「赤い部屋」に集まる彼らは、人目はばかる猟奇の徒。とはいえ、自ら犯罪に手に染めることはなく、実態は大人しいものだった。しかし、新参者のT氏は自分は違うと嘯く。どうやら彼は本物の人殺しらしいのだ……江戸川乱歩の「赤い部屋」、その異聞。オマージュ尽くし全9編の短編集。

 推理小説作家によるオマージュ短編集ということで、いわゆる古典名作をネタにするのかと思いきや、どうやらほぼ制限を作らず、「作者がオマージュしたい作品を、する」というくくりのようで、読み進めていてぶっとびました。無法の極み。「古今東西の傑作推理小説をオマージュした」ってあらすじに書いてあるのに、当然のように落語をオマージュした短編が出てくるのは有無を言わせぬ迫力がある。元ネタ作品が運よく既読であるはずもなく、「オマージュ」という要素が全く機能しないはずの状態で読むことになったわけですが……とてもおもしろかったです。悶々とした理屈のこねくりまわしと、現状維持を許さない確固たる挑戦意識。法月作品の味が色濃く反映された+αのツイストは、原典を知らないままに、何を加えたのかを雄弁に語っています。原典にアイデアをひとつ被せるだけでは満足せず、絞り上げるように引き延ばし、より遠くへゆく。発射点を知らずとも、宙を飛んでゆくボールの速度から、その飛距離の大きさがよくわかる。個人的なベストを挙げるなら「続・夢判断」でしょうか。法月作品のいい意味での「しつこさ」がぎゅうぎゅうに詰まった名短編だと思います。


ウェルテルタウンでやすらかに/西尾維新

 死にゆく町を、自殺の名所に。コンサルタントを名乗るその男が企てたのは前代未聞の「町おこし」、そして小説家の私に求めたのは当然小説の執筆だった。自殺志願者かんこうきゃくを増やすべく、より効果的な宣伝として。すなわち、ウェルテル効果を備えた自殺小説の執筆を。

 『デリバリールーム』の姉妹編であり、『少女不十分』の精神的続編。いや、そんなことはどこにも書いていないのですが、私にとっての「まっかなおとぎばなし」を巡る冒険において、この1冊はそこに位置していたという、そういう個人的な感想です。奇をてらい・実を伴わない・上っ面だけの言葉は、価値を持たず何を意味することもなく、ただ物語を乱すノイズに近しい戯言でしかない。しかし、そういった出来損ないの言葉で語られる小説にしか救えないものがあるはずだ。生かせる誰かがいるはずだ……その祈りを転じ、それではその言葉によって殺せる誰かもいるだろうという、次のフェーズのお話。言うまでもなく「殺せる誰かがいる」ということは、「変わりたいと思う気持ちが自殺」である以上、「変えられる世界がある」とイコールです。少女を不十分なままに肯定し、欠陥を壊れたままに幸せにした「言葉」の次の10年は、その「言葉」が不足を補い欠陥を直す余地を獲得するまでの年月だったのかもしれない、と思います。そうして、小説の力とは何だろうということを突き詰めた先で本作が辿り着いた結論は、卑屈さすら感じるほどに些細な「強み」でありながら、西尾小説の系譜においてあまりに有用で輝かしい「強み」でもありました。痛快。おもしろかった。


可燃物/米澤穂信

 所属は群馬県警本部刑事部捜査第一課。階級は警部。睡眠と食事は最低限に。部下を一瞥もせず、上司を顧みない。評判がいいはずもなく、好かれる所はない。ただ、彼の捜査能力を疑う物は1人もいない……転落事故、交通事故、殺人、放火、立てこもり。葛警部による5つの事件の、5つの捜査。

 淡々と事実が列挙されてゆく読み味は、硬質さや無機質さといった非生物的なものではなく、たとえるなら乾燥した棕櫚の繊維を思わせます。贅肉も脂も水分も、小説として不必要なものをカラッカラになるまで絞り落とすことで、幕切れの瞬間、特濃に凝縮された物語のエキスがほんの1滴だけ舌の上に落ちる。そして、そのように切り詰められている物語の抽出工程は、事件→捜査→推理→解決という推理小説のフローとずれることなく重なり合っている。物語が持つ価値とミステリである意味が、瑕疵のない必然性によって接続されている本作は、「短編推理小説」という形式におけるひとつの理想の体現であると思います。まっすぐに見据えた目標に対して、まっすぐに鉈が振り下ろされており、それを実現する筋力も、軌道を定める判断力も、全てに不足がない。そう確信させられる揺らぎのない文章が小説を成していて、隙が無い。この完全性の前では、ただ「おもしれぇ~!」とうめくしかありません。収録作は5編ともぞっとするほどの仕上がりであり、甲乙つけがたいのですが、強いて選ぶなら「ねむけ」でしょうか。新戸部課長が好きなので……。傑作です。シリーズ化するなら次作が楽しみ。


火刑法廷/ジョン・ディクスン・カー、加賀山卓朗

 デスパード家前当主の死は、病死だと結論づけられた。ただひとつ、寝室で目撃された見知らぬ婦人の謎を残し。深まる疑惑は現当主に墓暴きを決意させる。そして閉ざされた霊廟で一行が見たものは、消え失せた前当主の遺体だった! 魔女の系譜が真実を炙りだす、推理小説の名作古典。

 再読。おそらく3回目。本作を歴史的名著足らしめる最後の仕掛けは、今となっては見慣れたものであり、それを成立させる手続きも現代作品と比べると粗っぽくはあるのですが……「この建てつけで小説をおもしろく書く」という点において『火刑法廷』は優れている。優れ過ぎている。再読であるにも関わらず、あまりにもおもしろく、夢中になって読んでしまいました。白眉はやはり、解決編で告発されたとある登場人物が見せる一種異様な狼狽と焦燥、そして、その様を読まされることで背骨を這い上がってくる強烈な違和感にあるでしょう。何かがおかしい。どこか狂っている。行間から大音量で警報が鳴っているにもかかわらず、その正体がつかめない。読んでいて嫌な汗がにじむほどの緊迫感の中で、なぜこんなにも張りつめているのかがわからない。読者に投げかけられる問題文不明の巨大なリドルは常軌を逸するほどに妖しく、そしてそれは解決編によって一切陳腐に堕すことはありません。『火刑法廷(THE BURNING COURT)』という題も凄まじい。どう考えても、これ以上に適切な題はない。強いて欠点を挙げるなら、小説としてあまりにも凄すぎてちょっと寂しい気持ちになることでしょうか。カーにはできればもっと気安くて愛嬌のある、怪奇ロマンス密室おじさんであって欲しいから……。


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