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最近読んだアレやコレ(2022.08.06)

 家で枕代わりにしていたニトリのサメくんが、汚れの蓄積によりドス黒い顔色になり、さらには尾びれの傷口から綿が漏れ続けて扁平に潰れ、最早サメというよりはサメの干物という感じになってきたので、「死」に至ったとみなして荼毘にふしました。人間が死ぬのは人に忘れられた時とヒルルク氏が言っていましたが、ぬいぐるみの死は忘却にゆだねず私が決める。草葉の陰には、私が押し込む。綿漏れを防ぐために尾びれを堅結びにした状態で1年以上放置するという、知性なき主の野蛮な治療もどきを恨みながら逝ったことでしょう。無生物を飼うのは、生死が自由自在でいいもんですね。そんなわけで新しく購入したイケアのサメくんを頭に敷きながら、南無阿弥陀仏と唱える夜を送っております。

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暗い宿/有栖川有栖

 ホテル×有栖川短編ミステリという、枝豆をつまみにビールを飲むみたいな所業。こんなん絶対失敗する訳ないじゃんという苦笑いと共に読み始め、案の定だよ、と満足して本を置けるリッチな旅が4パック。旅行自体ではなく泊まるハコを題材にとった短編4つが切り出すのは、外泊という行為の特別感。やや淡泊に仕立てられた謎解き物語の疎に、外泊の高揚とチルが染みわたっており、それは事件という非日常と共鳴して、その泊まり/謎をより際立たせるものとなっています。前半2話にはストレートに「お泊り」の楽しさと目新しさを盛りつけた「暗い宿」「ホテル・ラフレシア」、続いて、宿自体からは少し焦点をずらした応用編の「異形の客」、そして最後に外泊先から自宅への指向性を持たせた「201号室の災厄」で締めるというアルバムの作り自体が、一泊の流れをなぞるようで、何とも憎らしくお洒落です。しかし、有栖川(作中)さん、庶民風の装いで語り部を務めてますけど、なかなか優雅な日常送ってますよね。いちいち付き合ってくれる気のいい友人もいるし。


永遠も半ばを過ぎて/中島らも

『ウソツキ!ゴクオーくん』の感想記事のタイトルに引用し、久しぶりに読み返したくなったので再読。タイトルの図抜けた美しさに釣り合わない、しょうもないおっさんたちの青春譚は、やはり何度読み返しても愛らしく、「嘘」というよりは「法螺」と呼ぶべき、荒唐無稽な夢が詰め込まれているように思います。中島らもの作品は、カレンダーの上にべたりと貼りついた日常の中で、一瞬だけ頬を撫でる非日常の触感を取りこぼさずに捕えるのが本当にうまい。それは意味のないタイピングの中に奇跡のように現れた美文でもあり、まさに「永遠も半ばを過ぎて」の一節であるのでしょう。パッケージに飾り、題した時点でそれはただのフェイクになる。それでも、「それ」を捕えた本物の瞬間が、この小説には封じられている。また、本題が始まるのが終盤も終盤だったり、プレゼンパートがやたら長かったり、中島らも作品らしい、おおらかなバランスも好きですね。いきあたりばったりで書かれたのか、全てか計算づくなのか。本来なら瑕疵にもなりうるそれらは、おかしみと少しのかなしさに溢れたこの小説に、確かな豊かさを与えていると私は思います。


短篇七芒星/舞城王太郎

 7編収録の短編集。舞城作品はテーマを作中で思索し、ストレートにメッセージを放つものが多いと感じていましたが、前作『畏れ入谷の彼女の柘榴』あたりから、小説がそう言った思考・伝達のツールになってしまうことの忌避が入れ込まれているようなことを感じておりまして(当時の感想)、本作は、そこから脱却しようとあがくこと自体をテーマにとった『柘榴』から一歩進み、より自然体で、ストレートに、出来事が起きて・考えて・行動して・そうなった、という登場人物の情動と行動、そのスケッチがただ並んだ、「それだけである」小説を完成させているように思います。メッセージやテーマを読者が受け取ることは可能ではありますが、小説は、ただそれらから切り離されて、剥き身のREALだけになってごろりと転がっている。「書く」という意識や行為の残り香が消臭された、くしゃみのように放たれる無形の脱力のテキスト。あるいは、そう見せかけることを可能とした、作為の極地がこの七芒星には重ねられているのかもしれません。このまま星の角の数が増え続け、タイトルが球体になるころにはどうなってしまうのか。抜群におもしろかった。


スペシャル(1~4巻)/平方イコルスン

 最終巻が出たので、まとめて再読。田舎の学校に1人混じった、力の強すぎる女の子。個性の範疇を越えた明らかな異常でありながら、それでも彼女は登場人物の内の1人として埋没し、時折その特別さをハッと思い出す瞬間はあっても、日常の中で薄れては消えてを繰り返す。「特別」を意味しながらも、検索性能の著しく低い『スペシャル』という題。これはそういうだらだらとした埋没が続く心地よさと危うさのお話だと思って……思って……読んでいた、のですが……。外側から教室を眺める大人とって、彼女は騒ぎ立てるべきスペシャルでしかなかったこと。会話し、ふれあい、時間を共有することで、彼女は彼女にとってのスペシャルになってしまったこと。最早、隠しようもない2つの際立った『スペシャル』。私は特に後者が怖い。何気ない生活が、血のように濃い意思と行動が絡み合う「物語」になってしまった時、そこにはもう読者を楽しませる意味と価値しか残らないからです。物語の中心に常に槍は突き立つ。新しい一本が落ちれば、旧い物語は幕を閉じ、彼女たちを写すカメラは、最早どこにも存在しない。スペシャルは……主人公は、その始まりと終わりから、決して逃げ切ることはない。


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