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最近読んだアレやコレ(2023.01.22)

 職業上、全国各地を飛び回ることが多いため、平日に洗濯を差し挟む隙間があまりありません。洗濯翌日に出張がぶつかると、干した後に回収するまで数日間放置することになってしまう。そんなわけで珪素土マットを買ったのですが、直観に反するレベルで足の裏の湿りが消えるので、ものすごく不気味です。江戸時代の湯屋の前に敷いておいたら、妖怪として成敗されていたと思う。バスマットの生乾きや洗濯手間が軽減された代わりに、風呂に上がる度に首をかしげてMPを消費するようになってしまったので、ストレス解消としては3歩進んで1歩下がった塩梅です。

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俺が公園でペリカンにした話/平山夢明

 お正月はおめでたい本が読みたいなと思ったので、平山夢明の新刊を読みました。浮浪者のヒッチハイカーが町を巡る連作短編。単行本600Pを費やして、シンプルなフォーマットを20回繰り返す小説としての「強さ」は尋常じゃないものがあり、しかもその全てに眩暈を起こすほどの平山夢明性が詰め込まれています。強い訛りと聞き覚えの無い隠語に多くが占められた会話文は、大半が何を言っているのかわからないのに、なぜか「ろくでもないことを言っているんだろうな」とだけは理解できてしまう不思議。また、平山作品の魅力は、糞便と吐瀉物にまみれた手で頬杖をつきながらいちごのショートケーキをうっとり眺めている様にあると思うのですが、本作はその様子が限りなくゆるくかき混ぜられており、より抽象的で本質的な糞便といちごのセーキを完成させています。清濁併せのむだなんてお行儀のよい話では決してなく、涙を流しながらただ前後不覚に笑い泣いているのです。夢精のようなバッドトリップの中で、悪性と善性がくるくる入れ替わり、起承転結すら曖昧に溶けているのです。11年という長い連載期間の中で、作風がゆったりと変遷してゆくのもおもしろい。平山小説の新たなランドマークとなるべき傑作でした。好きな回を挙げるなら、「ろくでなしと誠実鬼」「にゅう・しんねま・ぱらいそ」「おにぎり鬼と善人厨」「おまえのおふくろ地獄で犬とやってるぜ!」「わがままはわがままぱぱのんきだね」の5つでしょうか。


書楼弔堂 待宵/京極夏彦

〈書楼弔堂〉シリーズ第3弾。明治30年代。甘酒屋を営む老人・弥蔵が関わったのは、とある書舗を探す有名無名の客たちだった。めんどくさいじじいと軽薄な若者がいちゃいちゃする話を書かせたら天下一である京極夏彦が、全編にわたってめんどくさいじじいと軽薄な若者をいちゃいちゃさせており、甘露という他ないですね。物理学者や探偵小説家をゲストに据えたこともあり、全編通して際立つのがヒトの社会に網目を通す因果・縁起・合理による逃れ得ぬネットワークの様相……ある種のサイバーパンク的描写です。絡み合った関係性の連続の中、リアルタイムで「改良」が進行してゆく明治という時代。その基盤を作り得た前時代の価値観に基づく行動もまた、必然、その網目から逃れられるものではなく、その当たり前の事実は『ヒトごろし』で描かれた逸脱と隔絶を俯瞰して描いたもののようにも思えます。一方で、大小のスケールを問わなければ必ず他者に影響を与えてしまう「行動」が持つ力と比べるように、弔堂が客に売る1冊は購入者の基盤を大きく改めることはありません。ネットワークの中で絡みもつれた個人の姿を押し花のようにプレスし、ただふさわしい題を記録する。弔堂を訪れる客たちはただ1冊の本を購入し、そして持ち帰ったその後のことなどこの小説は「知ったことではない。」。どこまでも書物を読み書きする物語ではなく、書物を売り買いする物語であることが素晴らしい。傑作でした。


ノッキンオン・ロックドドア/青崎有吾

 未読だった続編を読むために再読。不可能専門と不可解専門。不出来で不完全な探偵が2人がかりで挑む不思議な事件。余計な愁嘆場を演じることのなく情報ソースとして最適に機能する被害者遺族たちと、無惨極まる死と不条理に対しゲームのようにはしゃいで競い合う探偵たち。全編に通底する軽妙さが醸し出す推理小説特有の不謹慎さがなんとも心地よく、「さあ、今から人の生き死にを使ってパズルをするぞ!」というまっすぐな欲望にあふれています。論理性を重視した作者の他作と比べるならば、本シリーズは瞬間的な発想の強さ・鮮やかさ……言い換えるのであれば「トリック」に重点を置いた作品になるのでしょうか。それをより際立たせているのは、クイズで言うならば「ベタ問」とでも言うべき各出題のシンプルさです。雪密室、遺言解明、無差別にしか見えない毒殺、『九マイルは遠すぎる』ゲーム……どこかで見たことがある作問であること、つまり、既知ゆえに読者の想像は縛られてしまうということ。その想像の頭1つ分上をゆく打球が、本作では必ず返され、それがたまらなく心地よい。軽やかで上質な新規性をスナックのように次々食べられる贅沢さ。「髪の短くなった死体」「限りなく確実な毒殺」など、推理小説以外では絶対にありえない各短編のタイトルも、本作の機能性をより高めていて、なんとも素敵です。


ノッキンオン・ロックドドア2/青崎有吾

 続編。前作の魅力は、シンプルな出題に対して読者の想定のほんの少し上をゆく発想が返される小気味よさにありましたが、本作はそこから続編らしいスライドがなされています。「壁に大穴が開いている意味がない密室」「特注の絶対に狂わない時計が示す殺人時刻」「空のプールに飛び込んで溺れ死んだ被害者」……とにかく出題のひねられ具合がおもしろい。解決編で見せる発想の高度の高さはそのままに、その高さに釣り合わせるようにして問題文にも盛り込まれた小さな飛躍。この進化が、シリーズの『2』としてのコンセプトの前進であると同時に、主人公たちのライバルである「トリック作りの専門家」、そして物語の中心となってゆく「犯人の視点」に焦点を当ててストーリーを一度閉じるための布石になっているのも、このシリーズらしい機能美だなあと思います。「ドアの鍵を開けるとき」と題された最後の収録作は、まさに密室の解体という点で推理小説の完結に相応しいものであり、一方で、探偵事務所の扉を開くという点で推理小説の開幕に相応しいものでもあるでしょう。推理小説自体を推理小説を語る語彙として用いるこの自家中毒ぶりは、どこまでも謎解きパズルと探偵物語に淫している本シリーズに相応しいものであり、快晴の空を見上げたよいな気持ちの良い不健全さを感じます。おもしろかった。


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