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【2020忍殺再読】「ヘラルド・オブ・メイヘム」感想

くだらない戦場と色あせた武勲に

 AOMシーズン3の裏主人公、みんな大好きヘラルドくんを主役に据えた2つ目の短編。UCAに所属するニンジャに拾われた彼は、傭兵に身をやつし、何の興味もない戦場に駆り出される。相当数のニンジャが登場し、シーズン3の二大勢力が激突する大規模なエピソードでありながら、イクサの熱狂もドラマの盛り上がりも全く見せず、死とイクサが淡々と撒き散らされてゆくこの有様は一体どうしたことでしょう。いたずらに奮われるカラテは、ただただ虚空に向けて投げ出され、無為に消費されてゆくばかり。勿論その原因の一つは、ヘラルドくんの狭窄した視野にあります。戦場を映すこのカメラは、彼自身が「宿命」と称するニンジャスレイヤー殺し以外の全ての事象を、モノトーンで塗りつぶしてしまっている。かつて彼が熱狂したイサオシすらも、今や色あせ、見る陰もありません。

イサオシを奪い合う心地よい欲望が微かに胸中をどよもしたが、そうした感情は彼にとっては通り過ぎた過去の影のように、もはや捉えどころがなかった。
……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#2より

 まったく本当にこの子は!0か1かしかないんだから!と、ほおずりしたくなるほどの素晴らしい滋味ではありますが……話を戻して……被写対象にカメラマンが興味をもっていないのだから、映像に熱が宿るわけがないということです。ただ、このエピソード全体に横溢する虚無が、全てヘラルドに由来するものかと言うと、そうではないと私は思います。ヘラルドくんにとって、この戦場は関係のない無関心なものではありますが……目の前の事象に対して心の底から完全に無関心でいられるほど、仕上がったニンジャでは彼はないからです。自分にはこれしかないと呪文のように言い聞かせながら、薄目を開けて他をうかがう未熟なカラテ。その中途半端な焦点合わせは、無関心という断絶において虚無の強調を、関心という融和において虚無の共振を行う形になっており……いずれか片方だけの時よりもはるかに強烈に……その両者の行き来の運動エネルギーを力に変えて……主役でもなんでもないはずの「彼女の世界」を、このお話全体に撒き散らす羽目に陥っています。それは、ヘラルドという端末を通じた、エピソードのハッキングと言っていいかもしれません。

意味があるはずの復讐と価値がないはずの墓標を

 自説を自信たっぷりに語るデズデモーナのアトモスフィアには、どこか捨て鉢なところがあった。彼女は虚無的な女だった。イクサの中に暮らし、肉欲に溺れ、殺しを喜びとする。UCAの行く末やら、死の恐怖やら、そうしたものにはハナから興味がないようだった。
……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#1より

 デズデモーナ。UCA所属として「異質な性格」と評されている彼女は、UCAでありながら、敵対するネザーキョウに近しい気質を持つニンジャであり……そして、ネザーキョウとの最大の差異点として、動機の根源に虚無を抱えています(ネザーキョウの虚無性は、あくまで他者が観測するものであり、彼ら自身は満たされています)。カラテそのもの/イクサそのものを目的とするという点では、ネザーキョウ(あとニーズヘグ)と一致しているにも関わらず、華々しく楽し気に装飾されている彼らのイクサと比べ、彼女のそれはまさに「捨て鉢」の一言。『全てに意味がないのだから、何をしてもかまわない』。そんなお題目を掲げて意味なく社会に害をふりまく災害であり、個人的な解釈を世界のスケールに拡大する迷惑者であり……。その特異性をまとめるならば、『「カラテあるのみ」という思想を不健康に体現しているニンジャ』というのが、私なりの彼女の言語化になるでしょうか。

 改めて読み返し、気がついたのは、彼女の度を外れた自分勝手さです。とにかく他人の話を全く聞いてないし、自分の価値観が絶対に正しく、他人もその価値観を持っていると心底信じ切っている。ヘラルドが強襲作戦後にUCAから離れることを認めておきながら、いざ離脱しようとすると「やれやれだ……まだそんな世迷い言を言っているのか」とか言い出したのには開いた口がふさがりませんでした。この台詞の何がひどいって、ヘラルドを騙していたわけではなく、「ヘラルドはああ言っていたが、本当はUCAの正規部隊に入って私と共に戦いたいに違いない」と信じ込んでいるところなんですね。ヘラルドが目を限界まで細めてニンジャスレイヤー以外が見えないように必死こいている横で、彼女は眼をギンギンにガン開き、なのに何も目に入っていない。邪悪なニンジャの見本市である『ニンジャスレイヤー』ですが、共感性の低さという点に関しては、彼女はトップクラスの逸材です。中途半端に善良なヘラルドくんが主導権を握れるわけがない。

「私はただ敵を倒す。我が使命の為にだ。お前に認められるか否かなど、どうでもよい……!」
「お前の意見など聞いちゃいない。そう簡単には手放さんぞ、私は。イヤーッ!」

……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#2より

 どこまでも身勝手で、徹頭徹尾自分しかいない彼女の世界は、本作の主役であるヘラルドのドラマに対して接触事故を起こし、ぶっ飛ばされたヘラルドを放置して、あっという間に地平線の彼方へと走り去ってゆきます。最早、拍手するしかない見事な轢き逃げっぷりなわけですが……轢かれた方は、たまったものではありません。ドラマを1本に絞ろうと四苦八苦しているときに、噛み応えのありすぎる生首を急にパスされたわけですから。ヘラルドくんは、当然、それに対し、いつもの通り「己の宿命と比較すれば価値のないもの」と目を逸らすことで対処するわけですが(惰弱!)、彼女自身が彼女の世界に建てたテーゼが「無価値」である以上、それは、彼女への共感であり、同調に過ぎません。「無価値」という価値、あるいは意味。所詮は机上で言葉を弄んだだけのくだらないダジャレであり、それは本来、鼻で笑って蹴り飛ばしてしかるべき呪いなのですが……言葉を弄することで全てをニンジャスレイヤーのせいに仕立て上げてきたヘラルドにとって、それは真正面から突き刺さる呪いとなってしまいます。ゆえに、「無駄死にはごめんだ。……何に対して無駄なのか?」と、あってはならないはずのエラーを吐くことになるのです。

 ヘラルドは女の首を埋め、土で覆った。
「充分です。ただ、死んだ。死ねば価値はない」

……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#3より

 おお、バグっておる、バグっておる。もうやることなすこと無茶苦茶ですわ。決め込んだエゴがここまで綺麗に破綻することってあるんですね。おもしろすぎるよ、ヘラルドくん。この有様を目にして、苦笑するにとどめるニーズヘグさんの奥ゆかしさたるや。私は笑い転げ、そして泣きました。墓を作りながら、死の無価値を主張するんじゃない。匿名掲示板のアスキーアートか君は。画像と文字が全部矛盾してるやつだろ。今思えば、彼のシナリオは、もうこの時点で完全に破綻していたのでしょう。伏線は既に機能せず、記述は明らかに矛盾して、そして、その修正は行わず、ただただ目を逸らして放置する。これはもう、形だけでもお話をとりつくろうとしていたインダルジを下回るひどさです。

 それでも、フジキドやマスラダでは語り得ない失敗作の復讐譚を、ヘラルドは綴り続けるのです。最早、その物語のただ1人の読者となった自分のためだけに。振り返ることは決してなく。

……決してなく?

 DOOOM……遠い空で雷が閃いた。彼らはすぐに動き出した。それ以上かわす言葉もない。去り際、ヘラルドは埋めた土を一度だけ振り返った。
……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#3より

 ……がっつり振り返ってんじゃねえか!ヘラルドてめぇいい加減にしろ!お前だけは振り返っちゃだめだろ!!チラチラ見てしまうのは百歩譲ってよしとしても、せめて薄目であれよ!お前が振り返ったら、もうどうしようもないだろこの復讐!!!読者がもう1人も残ってないじゃねえか!おい!ヘラルド!ふざけるな!おい!!

未来へ……

 宿命以外を無価値だと信じ込みたいヘラルドと、全てが無価値だと信じ込んでいるデズデモーナ。本作は、虚無もどきと虚無のコンビにより演出された「無意味なイクサ」のお話なわけですが、端役であるニーズヘグもまた、その無意味さを強調する一助となっています。戦闘狂であり、イクサ自体を目的とする彼が、「無意味なイクサ」を唱えるというのは矛盾しているようではありますが……。そこはさすがですね。ヘラルドくんとは違って、しっかり筋が通っていいます。

(決まっておろう。キョート城に帰還し、イクサを続ける。今更、ケチくさい、しみったれた傭兵稼業なんぞに熱くなれるか)
……「ヘラルド・オブ・メイヘム」#2より

 ……筋は通ってはいるんですけど、なんかこの人だけ虚無のレイヤーが違うんですよね。ていうか、さらっとめちゃくちゃひどいこと言ってませんか。デズデモーナとヘラルドのドラマを、まるまま切って捨てるような残酷さがここにはあります。「全ては虚無」「ニンジャスレイヤー以外は無価値」という2人の主張に対し、その参照領域は狭すぎるし全然「全て」でも「以外」でもないよと突きつけている。虚無と判定するプロセス自体を否定するような、2人のニンジャとしての構造自体を丸ごと矮小なものにしてしまような、えぐさです。セクション2で言うな。せめて話が終わってから言え。

 早い話が、格が違うんですよね。彼のイクサの果てにあるものは、カツ・ワンソーとのカラテの応酬以外の全てを……乱暴に言い換えるならば、新生ザイバツ編以外の全てのエピソードを「ケチくさい、しみったれた」お話だと断ずる光景です。それはまさに、グランドマスターの称号に相応しい規格外の邪悪であり、カラテだと言えるでしょう。大蛇の口はあまりにも大きく、蛙を井戸ごと丸呑みすることすら、できてしまうのです。


■note版で2020年12月23日に再読。

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