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最近読んだアレやコレ(2023.11.01)

 漫画は全て電子書籍で購入しており、ノンフィクションもほぼ読むことがない(唯一の例外であるクリーム・シリーズも電子)ため、ここ数年、紙の本は小説以外購入していませんでした。なので、『ニンジャスレイヤーTRPG コア・ルールブック』について、前情報で約300頁と聞いたときは「随分、コンパクトなんだな」と思ったものです。……実物が届いてびびったよね。B5版の巨大な紙面いっぱいに、多彩なフォントの文字と画が高密度で詰め込まれており、しかもそのひとつひとつの情報量が非常に高い。ソフトとして大変リッチな読みものであり(ハードとしても言うまでもリッチですが、それ以上に)、ああ、こういう世界もあるのだなと大変楽しんで読んでいます。同じフィクションであっても、小説などの「物語」とは、アプローチが全く異なっているのがもの珍しく、興味深い。このペースなら先1ヶ月くらいは楽しめそうです。

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情景の殺人者/森博嗣

 浮気調査の依頼人は俳優だった。探偵たちによる張り込み調査が続く中、珍しく雪が降り積もり、とある映画の1シーンを想起させる情景を稽古場に作り出す。白い雪上、流血する美女の死体。それは、現実で起きた幾つかの殺人事件とも類似していた。XXシリーズ第3作。

 推理小説を思わせる出来事が起きるも、推理小説で用いられる手続きは使用されない。Xシリーズの確かな系譜でありながら、小説の中心に据えられているのが「事件」ではなく「犯人」であることに、本シリーズの独自性があるように思います。とはいえ、その取り上げ方が……ミステリでないことは前述の通りとして……サスペンスですらないのは、やはり強烈です。本作の犯人は、起こした事実だけを見るとセンセーショナルな存在ですが、作中で、その人格・行動が熱を煽るような演出に落とし込まれることはありません。騒がしいケレン味は全てTV画面の向こうにしかなく、探偵たちもただ、自らの考えに照らして世間話を交わすのみ。行き遭った殺人はショッキングなイベントでありながら、やはり所詮はイベントでしかなく、主人公たちの人間関係、経済状況……生活の中の由無し事の方がはるかにスリリングに描かれてゆきます。生活は日常の中で絶えず変化してゆく蜃気楼のようなものであり、その上に写った情景を薄れさせ、殺すものでもあるでしょう。ゆえに、その揺蕩いの中でひとつの情景を固定し続ける人間は、まさしく情景の殺人者と呼ぶべきなのかもしれません。以上、殺人よりも加部谷の精神状態の方がよっぽど怖いし危なっかしい、そんな第3作でした。次作も楽しみ。


エレファントヘッド/白井智之

 幸福は容易く崩れ去る。美しい妻と優れた娘たち……理想の家族を手にし、安定した立場を築いてなお、精神科医・象山はリスクを常に考えていた。幸福を維持するためのあらゆる手口は、やがて彼にひとつの薬を手にさせる。象の如く肥大した脳を、異形の論理が張り巡る。長編推理小説。

 推理小説とは、現実の中に作られた小箱です。しかし、小箱の内に詰める奇想と論理の量を増し続け、時空を歪ませるほどの圧縮を行うと、ごくまれに現実の半径をはるかに超える跳躍が生まれ、その先端が彼岸に達することがあります。本作もまた、そんな「辿り着いてしまった」もののひとつでしょう。非人間的と呼んでいいレベルにまで極まったパズル性は、ヒトという意味を無意味という肉片に解体します。そうして盛られたヒト1つ分の肉の隙間に「推理」がシナプスの如く張り巡らされ、小説という形式を異形/推理小説エレファントヘッドに肥大させてゆく。つまり、推理によって壊され尽した「ヒトだった何か」……それをさらに推理小説に暴露させ続けた時、そこに「ヒトではない意味」が生まれ、彼岸の秩序が組みあがるということです。言うまでもなく秩序とは、推理劇の果てに暴かれる「真相」であり……本作においては、このジャンルにおいて何度も作られ書かれ続けてきた要素……「トリック」がその座を占めています。彼岸の秩序、すなわち彼岸のトリック。それを読んだ時、私は絶句した後、声をあげて笑いました。ヤバすぎる。こんなことを思いつく人間が、この世にはいる。全てが悪夢のようで、あまりにも逸脱している。ヒトからかけ離れた向こう岸が、本の形をしてここに在る。断言しますが、今年の推理小説のベストです。傑作ですが、そう呼ぶにはあまりに奇しく悍ましい。


自分を好きになる方法/本谷有希子

 16歳、リンデはさえない同級生とボーリング場にいた。34歳、リンデは身勝手な夫と海外にいた。63歳、リンデはひとりで荷物を待っていた。いつの日でもリンデは誰かを求め、待っている。1つの人生から切り出された6日間を混ぜてできるのは等身大の方法論か、有毒の共感か。連作短編集。

 かつての本谷作品の暴力性は、「悪」と書かれたこん棒を振り上げ猿叫と共に読者の脳天を殴打するようなものであり、私もそのパワーには大いに憧れていたものですが……なんでしょうか、本作のこの周到さは。モンスターが被害者の声真似をして、人間を誘い出し始めたような不気味さは。ここには人間が長い人生を送る中で通過する、少しだけ傷み、黒ずんでしまった日常的な瞬間だけが盛られています。そのトリミングは当然偏っており、これだけで1つの人生を語り切るものではありません。しかし、生(き)の生活を剥き身にくりぬくド迫力の筆致と、おそらく悪意と呼んでしまってもいい『自分を好きになる方法』というタイトルが、その人生を一貫性ある物語に変えています。そうして、傷んだ肉と果実だけを盛った山を指し、これがあなたたちの人生の「本当」なんだ、と囁きかけてくるのです。共感という名の感染経路を通じて盛られる、致死には至らない、ほんの少し胸を悪くするだけの毒。悲劇や絶望に満たない、ゆえに、着実に、確実に、読者の背を崖に向けてそっと押す、優しい力。一体何の恨みがあってこんな厭な小説を書くんだ!と、そんな歓喜の声をついあげてしまう素敵な1冊でした。読む際は、本作が持つ「前進」のベクトルだけを、適量、適切に、服用を。


嘘の木/フランシス・ハーディング、児玉敦子

 19世紀英国。博物学を愛する少女フェイスは家族と共に島へ移住する。引っ越しの原因は、尊敬する父に向けられた化石の捏造疑惑。緩やかに壊れてゆく家族の生活を目にし、フェイスは真実を暴く覚悟を決める。父の名誉を守るため、謎めいた1本の”木”の力を借りて……。ジュブナイル長編。

 理の通らない不条理の中で、それでもヒトは探偵を必要とし、そして探偵でなければならない。なぜなら、世界から正面から向き合う時、ヒトはそれを観察し、理を推し測らなければならないからです。……科学の徒である主人公を通して語られるその「正しさ」は、あまりにも強く、輝かしいものであり、お話の進行と共に「たとえ、その手段が、他人を害する嘘であっても」という但し書きすら許容する苛烈さを帯びてゆきます。19世紀英国という舞台。未成年の女性という主人公の属性。そして「嘘を養分にして真実を実らせる木」という設定。語るべきものを語るために、必要なものを整然と揃えてゆく本作の手つきはあまりに格好がよく、ピンと伸びた背筋の上の眼差しは、目指すべき1点を見つめ、ブレることがありません。「幽霊を撃ち殺す」。これは1人の未熟な博物学者がそのシーンへとたどり着く成長譚です。目的とゴールは定まっている。ただ、そこに至る道筋を辿る上で、「撃ち殺す」という暴力的な手段をとることは許されるのでしょうか? 真実のために「嘘」をついてもいいのでしょうか? ……その問いかけから、この小説は逃げることはありません。しかし、個人的には、その問いを前に逃げ出してしまう大人たちもいること、そしてそれを許容するやさしさがあることが、本作を名作ジュブナイル足らしめていると思います。


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