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最近読んだアレやコレ(2023.06.20)

 インプットとアウトプットを定期的かつバランスよく摂取しよう、という今年の抱負を粉みじんに破壊したもの……それはゼルダの伝説の新作でした。錯乱の末に部下を手にかけて呆然とする魔物の顔面にその部下の内臓を投げつけ、老人の愛馬を探すにあたりセンサーの効率性を上げるために周辺一帯の馬の鏖殺を試み、鉄工所を営む友人に作らせた特注のゾナニウムの弓でヘラジカの肛門から額を貫き、ゼルダに簒奪された愛すべき我が家に大量のコウモリの眼球と蛙の死骸をばらまいて報復し……。労働以外の暮らしの全てを画面の向こうに持っていっていたここ1ヶ月ばかりですが、井戸と洞窟を無事に制覇し勇者の面目もある程度保てたので、さすがにそろそろ元の世界に戻るか……といった感じです。看板と糞便にまみれた地上は放棄しました。なお、真面目な感想としては、ラスボス最終形態からクリアまでの流れが、シナリオとコンセプトが見事に噛み合ったゲーム中で最も素晴らしい体験であるのに、永遠にそこに辿り着かせない作りになってるのは罪作りだな、と言ったところでしょうか。

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十角館の殺人/綾辻行人

 十角形のホールを十の区画が取り囲む、その館の名は「十角館」。館を訪れた推理小説研究会の面々は、そこで彼らがよく知る「お約束」に見舞われる。孤島。殺人。犯人当て。素人探偵たちは探偵の役割プレートを手にし、誰もいなくなる前に事件を解決することができるのか。館シリーズ第1弾。

 再読。4回目、だったはず。かの有名な1文は間違いなく衝撃的かつ象徴的であるものの、個人的にはその1文の背後にぶら下がっている若々しい全能感に魅力を感じます。「理想の推理小説」と「最高のトリック」という夢だけを見つめて書かれたこのテキストは、間違いなくこの世で最も純粋な言葉の連なりであり、息が止まるほどに眩しい光を放っています。そしてその光は、仕掛けを動かす上で無駄な描写がないという賢しい完全性ではなく、子供がお菓子をむさぼるような目も当てられない純粋さに由来するものです。計算高く理知的なものに向けられた無垢で感情的な熱は、時に推理小説に小説である意味を持たせ、擬似論理から新しい価値を生み出してしまう。そしてその熱源は狭く小さな空想に囲われている。その囲いこそが「館」であり、「密室」であり……そして、「重要なのは筋書きではない、枠組みなのだ。」ということ。冒頭で犯人が行うその宣言は、それ自体が強固な枠組みとなって、この作品はおろか、その後数十年続く館を巡る作品群を内側に囲い込み、閉じ込めています。ですので、この台詞と深く結びついている犯人の動機は、かの有名な1文と並び本作の最も重要な部分だと私は思います。


絞首商會/夕木春央

 時は大正。血液学の大家が殺されたその事件には、キナ臭い裏事情が見え隠れ。その背後には「絞首商會」なる秘密結社が噛んでおり、容疑者となった4名も誰かがその手先であるとか、ないとか。その上、胡散臭いその事件の解決に乗り出したのは、これまた胡散臭い「泥棒」だという噂で……。

 舞台背景に重きをおいた演出によるものでしょうか。堅苦しく古めかしい文章は、決して可読性の高いものではありません。しかし、そのアトモスフィアの下で1歩1歩噛みしめるように読んだからこそ、その「古きよき犯人当て」が、最新・最前のアイデアをもってしてひっくりかえる解決編には度肝を抜かれました。「4名の容疑者の内、誰が被害者を殺したか」……極めてシンプルなフーダニットに対して、本作が示した解答は、そこから(少なくとも私が)想像しうるあらゆるパターンから外れたものであり、推理小説の読者であるほど騙されるような……それでいて、間違いなく推理小説としての手続きによって導かれるものでした。未だかつて見たことがない絵図がオールドスタイルに語られている。推理小説という前提が逆転しているのにゲームは破綻していない。探偵役を務めながらも、作中で頑なに探偵の立場を固辞し続ける泥棒・蓮野も、本作の鮮烈な逆転を象徴する存在と言えるかもしれません。推理小説というジャンルの内側に、まだ新規性を発掘する余地があるという事実には、嬉しさよりも少しの怖さを感じました。傑作です。


アメリカ銃の謎/エラリー・クイーン、中村有希

 ニューヨークで催されたロデオショーの真っ最中、騎馬隊が放つ空砲に合わせて、西部劇の英雄が銃殺された。事件の目撃者は、2万人の観客と名探偵エラリー・クイーン御一行。衆人環視の密室の中、忽然と消え失せた凶器はどこに? 国名シリーズ第6弾。

 出題が際立ってキャッチーであり、まさにその1点に分厚い重さを持たせてズドンと撃ち込んでくる良作でした。これまでの長編シリーズで見られた妄執すら感じさせるほどの論理性はなく、例えるならば、キレ味鋭いジョークに対し、洒脱な返しを最適なタイミングでひとつ打ち返すような。言うなれば点のミステリであり、非常に「短編的」な作品で、タイトルに冠された『』が見事に作品全体のカラーを決めています。一方で、それを長編サイズまで膨らませている問題編に中だるみや冗長さが一切ないことには驚嘆するほかありません。それどころか、本作に関しては、むしろその途中過程の方がおもしろいような……? 暴動寸前の2万人の観客を押しとどめ、針の穴も漏らさぬように凶器を捜索する緊張感……にもかかわらず、どうしても凶器が見つからない焦燥……不条理がひたひたと足音をたてて近寄り、「謎」が徐々に輪郭を表してゆく極上のスリル……。クイーンの天才的な筆致が短編に長編足りうる分厚さと重さをを与え、25口径のパチンコを必殺の凶器に変えています。「推理小説を読んだ」という満腹感あふれる1冊でした。


悪霊の館/二階堂黎人

 名家・志摩沼に渦巻く憎悪の呪いの歴史は永く、全てはその館と共にあった。アロー館。悪霊蠢くその館で《奥の院様》が没した時、身の毛もよだつ惨劇が幕を開ける。徘徊する西洋甲冑。二重鍵密室。黒魔術。殺人、殺人、また殺人! 名探偵・二階堂蘭子は悪霊の正体を暴くことができるのか。

 館は3棟あるし、密室は2重だし、双子も2組いるし、スピリチュアル予言おばさんも2人出てくるし、クソみたいな闇金持ち一族がものすごい勢いで殺されまくる。お前がそう聞いて今想像した、3倍の勢いで殺される。あらゆる要素がバカデカく、そもそも物理的な分量においても文庫で約850頁あるというクソバカドカ盛ミステリであり、こんなんもう最高としか言えないですよ。全編が肉汁の洪水であり、ケレン味という名のステーキでできている。クソみたいな金持ち一族のクソみたいなエピソードが怒涛のごとく襲い掛かってくると同時に、そいつらがぽこじゃかぽこじゃか殺されまくってゆく問題編は、まっとうな人間としていちばん刺激するべきではないかもしれない「軽薄な」快楽に満ちていて、よくないけどもとても気持ちがいいい……。結構鼻もちならない名探偵が割とボコボコにされてるのも、申し訳ないが、気持ちがいい……。スマートかつシャープな密室トリックも名作に相応しい鮮烈さではあるんですが、同じ解決編で歴史の闇に隠された恐るべき真実を解き明かす大演説が始まるので集中するのが難しかったです。二階堂作品はこの豪快さがたまりません。おもしろかった。


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