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最近読んだアレやコレ(2022.10.30)

 2022年の逆噴射小説大賞の作品募集が、ぼちぼち終わるみたいですね。冒頭800文字だけを対象としたパルプ小説の賞であり、要綱上、非常に気楽に応募ができるのもいいところなんですが、それが「小説を完成させる」というより強い娯楽にあとあと結びついてくるのも素敵だと思います。小説を書くのは娯楽の中でも極めつけに濃度の高い代物であり、幸福感のぶっとく白い束が脳みそを貫いてゆくような快楽だと思うのですが、とにかくカロリーを使うのでなかなか着手ができません。しかし、800文字だけを書き投稿しておくことで、「作品を完成させていない」という罪悪感という名の布石が日々の生活に打たれます。アレを完成させるには……と、ついあれこれ考えてしまうことは程よいストレスで楽しいですし、何より、ふ、と書きたいな、と思った瞬間にロケットスタートのための火薬が搭載済みである状況が心強いです。私も1年前の投稿作品を、先月、出張先でいきなり完成させたくなり、現地でポメラを買って書いたりしました。楽しかったです。2021年の投稿作品を全て完成させたのは、自画自賛ですけど偉いと思う。

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本と鍵の季節/米澤穂信

 青春ミステリ。「華やかな世代が引退した後のしけた図書委員」という青春物の焼け跡みたいなシチュエーションの時点で「よ、米澤節……!」となるのですが、その上、扱う謎のいずれもが「本と鍵」にかかっているというのはもう、読者の口いっぱいに青春のにがい砂をじゃりじゃりに噛ませてやるぞという気概しか感じられなくて怖いです。棚に収められた本を開き、知らなかった物語を主体的に読むということ。閉ざされた扉に鍵をさしこみ、自発的に扉を開くということ。……つまり、誰かに読ませるために作られたものと、誰にも知られないために作られたもの。相反する意思をもって(時には悪意をもって)作られた本と鍵を、「意思をもって」開くという探偵の手続きには、やはりどこまでも醜悪さがつきまとうものです。事実、本作の2人の主人公は、推理の大鉈を危なっかしく振り回すことで、時には記された物語に呪われ、時には隠された禁忌タブーを土足で踏みにじることになります。それでも、その境界線を見誤ってしまう高校2年生というそんな季節を描いた本作は、決して露悪的ではない、痛切で鮮烈な青春ものであると私は思います。続編も楽しみ。


Iの悲劇/米澤穂信

 南はかま市役所 甦り課の業務は、山間の集落・蓑石のIターンプロジェクト。希望者の移住も終え、新しく始まった生活。しかし、次々と起きるトラブルが、住民と土地に暗い陰を落とし始める。事件ごとに登場人物が減ってゆく嵐の山荘型ミステリを、住民が歯抜けのように減ってゆくIターンプロジェクトの崩壊に当てはめようというコンセプトが何より秀逸ですし、そしてそれ以上にろくでもないです。心のひだを砂で揉むことを何よりも得意とする米澤穂信の筆致により、丁寧に、それはもう極めて丁寧に描かれてゆく閉塞と焦燥、そして諦念が、ページをめくるたびに染みこんで指先を黒ずませるのです。事件が起こり謎が解かれる。解かれたところで、去った住民は帰ってくるはずもなく、現実は避けられない失敗に向けて淡々と転がり落ちてゆく。米澤ミステリはロケットの打ち上げに似ています。「謎を推理によって解き明かす」ことは、本当の問題編を見つけ出す過程にすぎない。そして、あくまで推理小説である作品内において、最早、探偵の手続きでは取り扱えないその解決編は描かれない。推理小説という1段目を切り離し、真の「問題と解決」は読者の読むことのできない大気圏外に飛び出してゆく。読者には、そのベクトルだけが示される。とてもおもしろかった。


オメガ城の惨劇/森博嗣

 オメガ城。孤島に建てられたその城に、天才マガタ・シキが招待した7人のゲスト。運命の晩餐を終え、夜が帳を降ろした時、電話線は断たれ、悲鳴が上がり、密室の中で死体が見つかる……。あらゆる要素がコテコテにかためられて作られた本作は、人工甘味料でできたお菓子の家のようです。「オメガ」「Last Cace」「シキ」「サイカワ」の文字群は額縁に入れて飾りたてられ、「密室」と「殺人」と「先生」は、恥も外聞もなく舞い踊る。『森ミステリィ』がにこやかに笑って、僕たちと握手! ……もちろん、そんなわけがない。そんなわけがないのです。それが、笑顔という名の無表情であることはわかっているのです。あまりにもあからさまな「あえて」の数々を目にした時点で、これが冷笑であることもそしてそれを冷笑と捉えてしまう私の読みすらも意図の内だとわかっているのです。しかし、それでもやはりこの事件の真相はシニカルが過ぎるし悪趣味が過ぎると思います。「わかったから、2度とこんなことはやらないでくれ」……そういう意味でのLast Case。「そこがいいんだよな」すらも封じるように、最高の完成度と最高の無関心を持って構築された一撃であり、悪意すら誤読してしまう程の最高の無表情が本作です。結構本気で嫌な気持ちになってしまったにもかかわらず、それでも「案の定やってくれたなぁ!」とつい笑ってしまった私は、やはり掌の内なのでしょう。不愉快で軽薄な駄作であり、痛快で計算高い傑作でした。最後のオチだけが、ほんのちょっとだけ優しいのが本当に憎たらしい。


堕ちた天使と金色の悪魔/浦賀和宏

〈松浦純菜・八木剛士〉シリーズ、その7。主人公・八木剛士がついにその異能を覚醒させ、彼をとりまく世界の秘密が大きく暴かれ始める……という流れを受けて1巻まるまるかけて描かれる、八木くんがクラスメートのエロ妄想したりPC教室でエロ画像ダウンロードして鼻の下を伸ばしたりしてる回。おい、お前、いい加減にしろよ。『堕ちた天使と金色の悪魔』ってタイトルで、こんな内容が許されんのかよ。……主流となる物語がありつつも、それら全てを背景として、八木剛士という少年の懊悩を、性欲を、打算を、性欲を、嫉妬を、憎悪を、憤怒を、性欲を描き続けるのがこのシリーズの肝であることは承知の上。承知の上ではありますが、7冊マジでずっとそれをやり続けてるのは正気の沙汰ではないと言うしかないし、狂ってるとしか言いようがありません。しかもその内面描写も何らかの前進がみられるものではなく、大体同じことを延々と繰り言のようにこねくり回し続けている。この「繰り言が多い」って感想すら、前に書いた記憶がある。娯楽性すらも置き去りにして『世界でいちばん醜い子供』を1人、描き尽くすこと。本当にそれだけに全てを費やしてゆく迫力に、チビります。このシリーズを書き上げた浦賀和宏も怖いけど、これを9冊出版した講談社も怖いな、と最近思うようになりました。おもしろかった。


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