見出し画像

まぁいい日

波ちゃんは、会うなりピンク色の封筒をバッグから出した。
メンズばかりの居酒屋に、似合わないカラー封筒である。
「これ、受け取って」
「何?」
「何って、わかるでしょう」
カネか。
「どういうこと?」
「今日のアドバイス料」
波ちゃんが、真っ直ぐに見つめてくる。
話があるから会ってほしい、そう昨夜、LINEが来た。
昨日の今日の話である。
「いやいやいや。波ちゃん、アドバイスって、何?」
「ちーちゃんにアドバイスもらうの、仕事のこと以外ないでしょう」
波ちゃんの口から、仕事の話が出るとは驚きだった。
なぜなら、波ちゃんの亭主はお金持ちだからだ。
最近成功しているコンサルタントらしい。
「アドバイスなら、夫さんにもらったらいいじゃない」
と、突っ込む。
「それができないから、相談してるの」

夫さんと色々あって、別れる準備をしているという。
で、思い立ったらすぐ、が波ちゃんのすごいところ。
すごいけれど、傍迷惑なところでもある。
早急に「和薬膳の店」をスタートしたというのだ。
わやくぜん、何それ?
主婦の行動力は侮れない。

「わやくぜん、というのは、あーーー、面倒臭い。とにかく体にいいやつ」
「ほぉ」
「でね。店っていっても、ネットだけ。オファーがあったお家に行って料理作るっていうサービスなの。料理得意でしょう、私」
知らんがな・・・。

波ちゃんは、独学で「和薬膳」とやらを学んだ。
客は、産後のママとか、体調の悪いシニアの一人暮らしとか、そういうちょっと困っている人のサポートになると思ってビジネスをしようとしているらしい。

私に、お客さんの集め方とか、コピーの書き方とか、
本日数時間で教えてほしい。
ということだった。そんなこと、できるかーい。
雑だ。そんなふうに、雑にしたらダメなんだ。
黙っていると、
「なんか、モチベーション低い。だからね、これ受け取ってほしいの」
と、ぐりぐりピンクの封筒を押してくる。

「いるわけないでしょ、お金なんて。幼なじみから。考え方が間違っている」と抵抗した。抵抗だけでなく、指導した。
「ごめんね」
波ちゃんは、案外スッと手をひっこめ、バッグにお金をしまった。
「いいよ、教えてあげる。でも、入口だけだよ」
「そう言うと思ってた」と、にんまりしている。憎めない笑顔だ。

それから、2時間ぐらい居酒屋で話しただろうか。
平日で、店はガラガラだった。冷房がガンガン効いていた。
体が冷え切った。
おなかがキュルキュルしてきたから、
「もうこれで、おしまい」と話を打ち切った。

波ちゃんには、ちゃんとマーケティングを学ぶように、
数冊の本と、知り合いがやっている勉強会をおすすめしておいた。
やるかどうかは、わからない。
いや、9割はやらない。
だから、この世の中はうまく回っている。
本気の人だけが、のこっていく。

だから、
波ちゃんのビジネスは、成功するかどうかはわからない。
だけど、目をつけた「和薬膳」はいいな、と思った。
名前が「効きそう」な感じがする。
波ちゃん曰く、秋は体調が崩れやすいとき。
こんなレシピがいいよ、とかわいいイラストで描いてくれた。
こっちの方が儲かるんじゃない?とアドバイスすると、じゃあ、本描いてみようかな、かわいいイラスト入りの。だったら、出版社の人紹介するわ・・・と一通りの流れがあった。

波ちゃんから教えてもらったのは、
「しその実とおくらのとろとろパスタ」とか、
「新生姜の炊き込みご飯」とか、
「さけの麹づけと干し柿のマリアージュ」というレシピだ。

「ちーちゃんは、むかしから好き嫌いが多かったでしょう。牛乳にグリーンピース入れて飲んでいたし?」
「大寺君がそうやって飲んでたから、真似しただけ」
大寺君というのは、クラスで一番足の速い男の子で、一番人気なのであった。
クラスの女子は、みんな大寺君のことが好きだった、と私は憶測している。
「ああ、大寺ってさ、あたしとつきあっていたんだよ、しばらく」
そういうことを言うのが、波ちゃんだった。

「ええー!」
「クリーニング屋さんだったでしょう。うち、常連だったんですよ。テーブルクロスとか、ママがいつも出していたの」
「波ちゃん、おいしいところを、ささって持ってくよね」
「でもね、あの頃が一番幸せだったなぁ。大寺とつきあったのが運の尽きで、それからずうっと男運悪いの」
「それからって、どんだけの間、悪いのよ」
そうなのだ。波ちゃんはこれまで2回離婚している。そして、3回目もどうやら、匂う。

「ま、いろいろありますよ」と、まとめる波ちゃん。
テーブルに置いてある注文用のタブレットをポチポチ言わせている。
勝手にクラフト・ジンを注文している。
「ちーちゃんは、これこれ」
と赤ワインのグラスを注文する。
ま、いい。
仕事とか結婚とか昔のこととか仕事とか、
なんかグチャグチャするけれど、
いっしょに笑えれば「まぁいい」になる。

波ちゃんが叫ぶ。
「わたしたちは若いのだ、まだー 」
波ちゃんは笑う。
「きょうが、いちばん若いー」
いやいや、もうすぐ40歳なんだけどね、わたしたち。

二人でごくごく飲んだ。
アルコールで年齢を洗い流せるわけではない。
それぐらいわかっている、大人なんだから。
でも、大人になんかなりたくなかった。

飲んだら、気持ちがさっぱりした。
赤ワインがカァッと効いてきた。
「赤ワインってね、これもぶどうからできているから、薬膳みたいなもんだよ。ポリなんとかが体にいいんだって」と笑った。
私でも知っていることをアドバイスする波ちゃん。
心の中で、うまくいくといいねって思って、別れた。

しその実とおくらのとろとろパスタを、作ってみよう。
で、しその実ってどこで手に入るんだっけ?
気がついたのは、波ちゃんと別れたあとだった。
LINEで聞いてみようと思った。
スマホを出そうとしたけれど、やめた。
知らないことが嬉しかった。
知らないことがあることが、嬉しかった。
月が笑っていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?