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連日の残業で疲れ果ててうっかり乗り過ごした。
肩を叩かれて目を覚まし、反射的にドアへ駆け寄り、転びそうになりながら電車を降りた。
いったい幾つの駅を通り越したのか、そこは全く知らない田舎町だった。時刻表を確認したけれど、今夜はもう電車はないらしい。
寂れたような商店街にはすでに灯りはなく、他にこの駅で降りた人も見当たらない。
タクシーが一台もいないタクシー乗り場で「タクシー乗り場」という看板だけが悪びれる様子もなく、やけに堂々と立っていた。
現在地を調べようとポケットから出したスマートフォンはすっかり電池が切れて何の役にも立たないただの長方形の物体でしかなかった。
「どこなんだ、ここは…」
とにかく誰か人はいないだろうかと思いながら真っ暗な商店街を歩いていくと、ぼわんと曇ったような灯りに照らされた一つのドアがあった。
「クラブ クイーン」
田舎に一軒はありそうなスナックのようだった。
きっと常連客しか開けることのないだろうそのドアをおそるおそる開けると、チリリンとドアの上でベルが鳴り、
「いらっしゃい」
と、女性の声がした。
「どうぞ」
初めて見る顔に特別に反応する訳でもなく、ごく普通に手のひらをスッと出してカウンターの席へと促した。
「あの、ここは何時までやっていますか?」
「何時でも」
「何時でも?」
「そう、居たい人がいれば何時まででも」
「あぁ」
「何にします?」
「ビールをください」
「はい、どうぞ」
流れるようなスマートな動作ですぐに冷えたグラスに絶妙な泡の量で注がれたビールが出てきた。
とりあえず落ち着くために三口飲んでひと息ついた。
「こんな場所だけれど、毎晩ひとりは来るのよ。お客さんみたいなひと。やっちゃったでしょ」
「え?」
「乗り過ごし」
「あぁ…実はそうなんです」
「だからね、何時でも。だってこんななんにもないところで追い出すわけにいかないでしょ?」
「助かります」
頭の上で団子にした髪が1束たれ下がり、紫色のノースリーブのロングワンピースに赤い口紅。一歩間違うといかにも田舎の…というセンスだったけれど、話し方や仕草、クラブクイーンのママはそれがとてもしなやかだった。
「ママさんはずっとこの町のひとですか?」
「そうといえばそうかな…」
あまり深く聞いてはいけないような気がして静かにまたビールを口にした。
「ママはねぇ、この町の女王様だから」
カウンターの一番奥の席にいた常連客らしい男性がそう言った。
「ほら、表に書いてあったでしょ」
「あ、クラブクイーン」
「そう。こうやっていつでも話に耳を傾けてくれる、俺たちの女王様だ」
「あはは…そうね。ちょっと大きな名前つけすぎちゃったけれど、このお店の中では間違いなく私は女王ね。だって他に誰もいないものね。女王様とお呼び!なんてね(笑)」
「ははぁ、女王様、それでひとつお願いがあります。俺にウイスキーロックのおかわりをいただけますでしょうか」
「よろしい。カトやん、さぁ、もう一杯召し上がれ」
「ありがたきしあわせ〜」
「あははは…」
常連客のカトやんさんとママさんの素人のコントみたいなやりとりは妙にいごこちが良かった。
「じ、じょ、女王様、僕にもビールのおかわりをください」
「あ、今噛んだ(笑)」
「人生で初めて女王様って呼びました」
「あはは…これからはもっとお気軽に」

うっかり乗り過ごしてたどり着いた知らない町で、たまたまみつけたクラブクイーンは、次にはわざわざやってきたくなるようなお店だった。
そんなこんなでその夜の乗り過ごし客の僕と常連客のカトやんさんはママさんの言うように居たいだけいさせてもらった。そろそろ始発電車の時間になり、支払いを済ませてママさんに見送られてカトやんさんと二人で駅へと向かった。
切符を買おうと財布から出して販売機へ入れようとしたお札とふと目が合った。

「あ、女王様…」
「だから、言ったでしょ」

にやりと笑ったカトやんさんはポンと僕の肩を叩いて線路沿いの道を歩いていった。




【レモンクリームチーズトースト】

食パン科/チーズ属
採集日 2022.7.12

=材料=
食パン
クリームチーズ
レモン果汁
はちみつ
カルダモン
ドライクランベリー

=作り方=
1.クリームチーズ、はちみつ、レモン果汁、カルダモンをまぜあわせます
2.食パンをトーストし、1をのせてドライクランベリーをちらしてカルダモンをひとふりします


クリームチーズにレモン果汁とはちみつを使うことでチーズケーキのような味になります。
生姜に似た風味のカルダモンがスーッと爽やかな感触を舌にのこしていきます。
そしてクランベリーの赤色に気分が上がるトーストです。

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