有気音、無気無声音、濁音(無気有声音)
台湾人は濁音、つまり音が濁るか濁らないかには気をかけず、発音時に吐息が漏れないことに気をかける。日本人が発する濁音(無気有声音)は吐息が漏れないので、中国語の無気音として聞いている。そして、この無気音を書き表す時に日本語仮名の脇に点々(濁点)を書くのだと思っている人が多い。しかし、日本人が無意識に発音する促音の後にくる清音や語尾にくる助詞の「か」を発音する時も吐息が漏れないことが多い。だから、台湾人に文章を書かせると、「たった10円なのか」が「たっだ10円なのが」になってしまうことが多い。
逆に日本人は日本語の中で無意識に有気音(吐息が漏れる清音)と無気無声音(吐息がもれない清音)の使い分けをしているが、これを意識して使い分け、発音することが苦手だ。特に無気無声音(吐息が漏れない清音)というのが理屈ではわかっていても、うまくコントロールして発音ができない。それで、中国語の無気無声音(吐息がもれない清音)を発音するべきところを日本語の中の濁音で代用してしまう。また、中国語のローマ字表記はこの無気無声音(吐息がもれない清音)を書き表す時に日本人にとっては日本語の濁音を表すB、D、G、J、Zという字を使う。それで多くの日本人が濁音で読んでいいんだと勘違いしている。
また、台湾人にとっては音が濁っているか濁っていないかはどうでもよく、発音時に吐息が漏れていなかったら、中国語の無気無声音(吐息がもれない清音)の正しい音として認識する。ただし、耳が敏感な人には濁音を代用する中国語は独特の訛りがあると感じているようだ。
だから、日本人が濁音混じりの中国語を話していても、誰も変だとは指摘しない。語学学校の中国語教師自身も濁音(無気有声音)なのか無気無声音(吐息の出ない清音)なのかの区別ができないので、外国人に教える時にこの問題は取り上げない。
「通じれば何でもいいじゃない!」という考え方もある。確かに外国人にとっては発音が訛っていても、ありとあらゆる内容の話が自由自在にできるほうが重要であろう。でも、濁音を代用する中国語を醜い発音だとか、酷い日本人訛りがあると感じとってしまうような耳の敏感な台湾人や訓練して有気、無気の使い分けが意識してできる日本人もいる。
台湾人が日本語の濁音(無気有声音)と無気無声音を聞き分けることは非常に難しいが、日本人が中国語や台湾語の中の無気無声音を聞き分けたり、話す時に使い分けをすることは、練習を積めばできるようになる。
少しでも自分の日本人訛りを直して、きれいな中国語を話したいと思っていたら、練習して身につけることをお勧めする。ちなみに「パチンコ」の「パ」は台湾人にはPa(ㄆㄚ:吐息が漏れるパ)に聞こえ、「葉っぱ」の「ぱ」はBa(ㄅㄚ:吐息がもれないパ(ぱ))に聞こえている。日本人にとっては同じ「パ(ぱ)」だが、台湾人には全く違う音に聞こえていると思う。
台湾では雞肉(チィロウ)をメニューや看板に書く時に漢字で書かず、G肉と書くこともある。このGは雞の中国語発音、吐息の漏れないチィを表しているが、多くの日本人はこれを見ると日本語濁音のジィで読み、ジィロウと日本人訛りで発音する。
日本語を台湾人に教えていて、よく聞かれる質問は例えばこうだ…「先生!行きますか?それとも、行きますか?」とか「ショッピングモール?それとも、ショッピングモール?」それで、僕が「はい、そうです。行きますかですよ!ショッピングモールですよ!」と答えると、「いや、行きますかのかは、かですか?それとも、か?」とか「ショッピングのピングのピはピですか?それともピですか?」と聞いてくる。そこで、僕も初めて発音時に吐息を出すのか、抑えるのかが気になっているんだと気がつく。
で、この場合はどちらでもいいですが、字を書く時に「が」や「ビ」、つまり濁点を書かないでくださいね!と教える。でも、台湾人にとっては吐息を出す清音と吐息を出さない清音は全く違う発音として認識する。だから発音はどちらでもいい!という僕の説明に対して半信半疑になる。
だから、僕は日本語を発音する時にその違いは重要じゃないし、日本人には区別できないし、しないから気にしないで!ただ、字を書く時に濁点をつけたら、日本人にとっては全く違う音だし、意味も変わることが多いから気をつけて!と言う。
すると「じゃ、濁点のある、がやビは、どんな発音ですか?」と聞いてくるから、僕はわざと無気無声音で「か」「ピ」と発音して、次に濁音で「が」「ビ」と発音すると、その違いはわからない、同じ音に聞こえるという答えが帰ってくる。だから、心配なら「か」「ビ」は中国語の有気音のように吐息を出しながら発音して全くかまわない!と教える。
日本人も無意識に発話する時には促音の後の清音や語尾の清音は吐息の出ない無気音になり、頭音(第一声目)の清音は有気音(吐息が伴う音)になることが多いが、必ずしもそうなるわけではない。気分や気持ちに左右されて、発音が無意識に変わっていることも多い。例えば、落ち込んでいて、元気がない時に発音する「パパ(父)」は台湾人の耳には「Baba」と聞こえ、普通に話している時の「パパ(父)」は「Paba 」に聞こえ、何か興奮して叫ぶようにして発音する場合は「Papa」に聞こえていると思う。
中国語でなく、台湾語の話題だが、台湾語をローマ字を使って学習していない日本人は、台湾語の中の無気無声音(吐息が漏れない清音)も濁音で代用する人が多く、濁音だらけの台湾語になっている。たとえば、雞肉(ke-bah:ケェバァッ)をゲーバーと言っている。しかも入声音(促音のようにつまる音)の存在を知らないので、肉(bah)の発音をバーと長音で発音する。ゲーバーと発音すると、台湾人には同性愛者が集まるバーに聞こえているかもしれない。
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