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精神科に入院中短歌を詠んだ その1

はじめに

プロフィールにも書いたけれど、私は統合失調症の患者です。精神病院に入院してそう診断されました。それより2年ほど前から症状が出始めていたと思いますが、なにせ病気の急性期の渦中で記憶もおぼろになっているのでいつから病気だったのが定かではなかったりします。ひとついえるのは東日本大震災のあとぐらいから精神的なバランスが崩れはじめたこと。私は被災地のある県に住んでいます。震災とその後の混乱の中で見たものが私の精神に何らか作用したのは間違いがないようですが、ここではそれは詮索しないことにします。精神科に入院した経緯も入院生活も色々あって思い出深いのですが、それについてもまた別にまとめて書こうと思っています。誤解を恐れずに言えば9ヶ月にわたる(通常はもっと短い。訳があってこんなに長かったのです)精神科入院は私にとってはかなり面白い体験でした。私はこの入院を経て世の中の見方、自分の生き方がドラスティックに変わりました。

精神科を退院してから丸6年が経ちます。現在は退院後のリハビリもかなり進み、就労継続支援事業所A型で仕事もしていて(幸いなことに前職のデザインを続けることができています)寛解と言える状態です。退院後調子を崩して再入院というのは精神障害者が日常を送っていく上でよくあることなのですが、再入院もすることなく、模範的な患者としてここまで回復してきました。根が用心深いたちなので万難を避け努力や頑張りはやめカタツムリが這うように慎重にストレスを避けて暮らしてきました。それができたのは医師を始め病院スタッフのおかげであり、私は非常にラッキーだったといえると思います。

あんなに暑かった夏が終わり、秋風が吹いて気温も下がり、そういえばこんな季節に退院したんだったなぁ、と思ったある朝、精神科に入院中に読んだ短歌を少しずつ発表しようか、と思い立ちました。なにせ400首もあるんです。

なぜそんなに詠んだのかというと、私は精神科に入院してから6ヶ月後ぐらい、症状が治まって入院生活にも飽きてきた頃、ある人を好きになりました。恋に落ちたわけです。といってもまるきりの片思いでしたが。

入院マジック

その当時私が入院した精神科の病棟は比較的軽症の、救急外来で拘束された後の急性期からある程度落ち着きつつある患者が男女混在して入院していました。もちろん男女で部屋は分かれていましたが、狭い病棟内で外部からの刺激はスマホもネットも禁止、面会も制限があり、早寝早起き。規則正しいので基本的には体は健康。そういう環境で何が起こるかというと恋愛が流行りだすのです。

前にツイッターでもツイートしたことがありますが、おもに男性の患者は女性患者に、女性の患者は男性看護師に恋をしてしまう。毎日患者が口にする話題はそれでした。もっとも看護師を除いては全員病人だし、病院という管理下にあるので恋愛といっても何をするというわけではありません。看護師は仕事で私たちに接しています。患者同士の恋愛(これはとても稀でした)でなければ両思いにはなりません。女性患者が男性患者のケアをするということもありません。なにせ恋する対象がすれ違っているうえ、全員医師や看護師をはじめとする病院スタッフのケア(治療)が必要な精神病なのですから恋愛は成就しないのです。ただ誰かを好きになっては相手の行動に一喜一憂しているのが入院患者の暮らしでした。そんなわけで恋愛(厳密に言うと片思い)が病院内で流行っていたわけです。

私は心密かにそれを入院マジックと呼んでいました。私は当時すでに若くはなかったので若い入院仲間たちが誰かに恋をして熱くなりやがて病状が回復し退院する頃になると、すっとそれが覚めて憑き物が落ちたようになって退院していくのを繰り返し見ていました。その時はまさか自分もその病院マジックにかかるとは思っていなかったのです。

詠んだら400首に

これからここに書いていくのは、その病院マジックに浮かされて詠んだ短歌約400首と詩のようなものです。なぜ短歌だったのかというと、好きになった人が短歌を詠む人だったから真似をして自分も詠んでみるかと思ったまでです。恋ってたわいないものですね。短歌じゃなくて狂歌(?)かもしれないし、精神症状が出ていた頃のものなので戯言に近いかもしれません。他にも入院中に毎日絵を描くのを日課にしていましたが、これもおいおい短歌と一緒にここに出していきたいと思います。

前置きが長くなりました。次の記事から入院中詠んだ短歌を書いていきますのでよろしくお願いします。

※間違いがあったり意味がわかりづらいところを加筆修正しました(2021/9/17)



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