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細川興元と其甥細川忠利(切支丹大名史)

細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟ですね。

細川忠利は細川忠興の三男。
興元から見ると甥っ子です。

今回はミカエル・シュタイシェンの『切支丹大名史』より、興元の受洗について引用しました。


ミカエル・シュタイシェン『切支丹大名史』十三章 細川興元と其甥細川忠利


谷田部の大名細川忠興の弟細川興元及其の家臣達は忠興の妻ガラシャの熱心なる信仰を見て深く感じ其の教を研究する事となりしが高山右近と交わるに及びてますます感動し終に信仰に入り大坂に於てひそかに洗礼を領したのである。

然るに其の父及親族等こぞって彼に反対せしが、彼は此の反対をも顧みず我はキリシタンなりと公然之を表現するのであつた。ガラシャは彼の受洗を聞きて歓喜し我こそ一族中最も幸福なる者なりと證せしが此の時よりガラシャの生活も平穏に帰したのである。

忠興は興元の勧めに依りて其の妻ガラシャに対する厳しい態度を漸く改めしかして己が二人の娘に洗礼を許したのである。之に続いて長男忠利にも洗礼を授からしめた時は一五九五年(即ち文禄四年)の事であった。かくて興元はガラシャの子女の養育並びに保護者となりしが彼等は叔父の範に倣いて善き信徒となり其の教を堅く守つたのである。

ミカエル・シュタイシェンの『切支丹大名史』十三章


ざっくり考察


興元の洗礼について概要はつかめる記事ですね。
しかし、この記事、ちょいちょい誤解が…
後半の忠利が「長男」となっていますが忠利は三男です。

忠利の洗礼が1595年と記載されていますが、忠利は洗礼を受けていません。
大正時代に書かれたものですが『切支丹大名』『キリシタン研究』などと比べると信憑性にかけるかな、という印象です。

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