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小説★アンバーアクセプタンス│三話

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第三話

虹色の迷彩とブルーマウス

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 日本政府が宇宙事業の研究開発に傾倒し事実上の徴兵を開始したのが八年前、西暦二〇三八年。情報戦が激化した世界で文明の行き詰まりを危惧した先進国はどこもかしこも国民を宇宙へ避難させるべくがんばっていた。

 棋士会からは遺憾ながら私、ベル・エム・サトナカに白羽の矢が当たった。当時まだ十四歳だった。自分で言うのも何だが少し頭が良すぎたせいで偉い人から特別に選ばれてしまう宿命なのだった。

 それまで将棋漬けの剣呑な日々だったが、否が応でも工学を基礎から応用まで叩き込まれ、我が青春と知識は狂ったコンパスの針みたいに方向転換したのである。
 脳とコンピュータを直接接続するブレインコンピュータインターフェースを実現させられたのは西暦二〇四二年。現在は二〇四六年。諸々の経験が今という時の概念を忘れっぽくさせる。

 私は人間、ベル・エム・サトナカ、それはたしかだ。同時に、飛車八号を運用するため人工知能と癒着した人間の成れの果てでもある。頭脳とテクノロジーが直結しているので膨大な情報を高速処理できる。このようなコンピュータと人間のハイブリッドを、我々は人工人格と称している。

 私という人間の意識を人工的に融合させたベル・エム・タイプのプログラム、すなわち元棋士であり工学博士でもある者の経験データをぶち込まれた人工人格は、知識の応用と発展を忙しく繰り返す。その中で人間の感情や経験のみならず抽象的な思考パターンまで超自然に感知できるようになり、それら能力開発の延長上にソウル・コピーの技術も確立した。

 意識は全て電気信号に変換されている。もし地下の研究所に囚われた肉体が死んでも飛車八号では私自身のオリジナリティを保ち続け、理論上は飛車八号の支配の及ぶプログラムを半永久的にバックアップし続けられる、ということになる。地球方面からの電波攻撃に追撃させず銀河を翔け続けることと、太陽光発電のために太陽が在り続けてくれること、少なくともこの二点の条件が必須ではあるが。たとえ全人類が滅亡してしまっても、私のマインドは自ら自爆を望まぬ限りけして朽ちない。

 ただ、その状態とは別の問題で慎重な政府の偉い人たちの意向には立場上従っている。万が一にも私の機能が停止した時は新たな魂を有する人工人格が私の後継者となって航行を続けられるよう準備もしている。こんなわけで、現在アンバー・ハルカドットオムの在る世界の話になる。
 船内で開発した十三体のアンドロイドのうち、アンバーは唯一人間らしい自我に目覚めてくれた。面倒な被験体ではあるが、人間らしいゆえに、素敵な人々と認められる乗組員たちが信じた預言に反してでも、船内コロニー全体をかけがえのない集合と理解して死守する可能性が高い。

 私の精神が電波となって量子ワームホールを超え、飛車八号のプログラムと融合し、はるかな地球の地下研究所でそのようなことを白じらと考え続ける肉体も同時存在する状況について、アンバーは「うんうん、飛車八号ベル・エムって何だか大変そうだなあ」と、八の字眉毛で同情してみせてくれる。
 教育の一環として行う将棋の盤上では私の最善の一手に対し、まるで冗談のような悪手を打っては「どうだ。勝てそうでもここはとっとと負けた方が早く終われて好きなことができる。走れメロスを読みたいから九二の香車、合理的かつ斬新な攻めでしょー」と言ったりする。

「ねえアンバー。本当のところ、君はハルカドットオムだということを秘密にしておくべきだったと考えていない?」

 彼に見えるイメージホログラムは、私の実体を多少カスタマイズしたスタイルだ。地球のどこかへ埋もれた実体には似合わない純白のワンピースなんか着ている。
 ゆっくり足と腕を組み換え、長い美麗な黒髪の生えた頭をこりこりと掻く。彼に対して少し困った姉のようにほほえむ。賢明な大人らしく平静を装えているだろう。

 アンバーはグリーンが基調の迷彩のツナギが似合っている。センター生に支給されている制服だ。見た目も素振りも子供らしい彼が着ているからどこかのボーイスカウトみたい。寝癖のついたマッシュルームカットも可愛げがある。容貌は完璧と言っても過言ではない。モデルの人物によく似てる。

「ベル・エム。真実は人にバレる前に自分からバラすメリットがあるよ。人は何だかんだ言って馬鹿正直なやつが好きじゃん」

 私の実体は見た目も精神も有り体に言ってつまらない。いいかげんに伸び放題のくすんだ茶髪で分厚い眼鏡をかけた上、深刻な水不足のせいで週に二回しか洗わせてもらえない白衣だ。アンバーの好みには反すると思う。

 あ。奨励会で仲間からいじめられた記憶が甦った。陰のあだ名はブルーマウスだった。将棋で負けそうになると情けなく青ざめてねずみみたいに震えたから。うっかりそんな苦い思い出をラボで話してしまったがために今なおブルーマウスとおちょくるやつもいる。何だ、棋士も研究者も一皮むけば意地悪な人が多いもんだ。そんなだから私は二十二歳にもなって恋人を作りたくはならない。

「君、秘密にされるのは嫌なの?」

 私は工学博士なんかなりたくなかった。

「どうなのかなあ」

 ただの棋士として生きられる時代に生まれたかった。

「人間はうそつき。君もそうだね」

 人類の希望論は敗北の一歩手前。私自身がその証だ。地球に限らない住処が必要だ。

「へへへ、それが全部なわけでもないと思う」

 コントロールパネルを操作して将棋盤と私のアバターを消した。アンバーの安眠を確保する。彼を教育する段階はとっくに過ぎていると思う。ホームの室内照明の明度を静かに下げる。アンバーの黒目の光彩は虹色を帯びて、淡く発光してる。

「おやすみ、私のかわいいアンバー。また明日」

「いやだ、まだ寝ない。目が冴えている。これからまた何か書くよ。センターの子たちにぐっとウケそうな何かをね」

 アンバーの両親は、アンバーの空想の中に生まれた。私が彼の想像の自由を制御していない証拠の例は、このようにいくつかある。

「ベル・エム。何か歌って」

 アンバーは驚くべき子供だ。自らの意識で自分なりに複雑な自己の印象を創りたがっている。根本的にはとても素直だ。

「……スタンド・バイ・ミーとか?」

 私はうまく歌えるだろうか。
 この子が好きなように言葉を発するうちに、人々が人々のためだけでなく、人々自らが人工人格とも仲良く生き残れる未来を創出するだろうと信じている。

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第四話
「あおぞら自習室の接続予防」につづく

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