私のための歌
何年か前、主婦同士の会話で、「最近音楽を聞かなくなったなあ〜」という話題が出た。世の中恋愛ソングばかりで、私のための歌、という気がしないのだと。
まあ確かに。でも、若い人の方が音楽を聞くっていうから、主婦に向けて作っても売れないのかもね、などという感じで話は終わった。
その後、私はその人の誕生日に、歌を作ってプレゼントした。私に曲を作る才能はないので、その人の旦那さんが好きなアイドルの替え歌を作って、毎日子育てに頑張るその人のエピソードを盛り込んだ、笑いの要素が強い歌だった。その場で私が歌い、あはは、と笑って終わった。
それから数年経つ。テレビはほとんどこどもに独占されているので、私が音楽番組を見る隙はあまりない。
しかし、NHKの「みんなのうた」で流れてきた音楽に、私はおや、と手を止めた。「おばけでいいからはやくきて」という歌だ。画面では、迷子になったハムスターが、母親の迎えを待つ。歌詞もそのような内容だ。
でも、これ絶対比喩でしょ。どうぞ解釈してくださいって感じがものすごくする。音楽に疎い私が、気になって検索すると、ずいぶん有名な人が歌っていた。この私でも名前を知っているくらいの、尾崎世界観という人が。クリープハイプというバンド名はそのときに知った。
最近、クリープハイプは、またこども番組の歌をうたってくれた。一番上のいっちゃんが楽しんで見ている「あはれ!名作くん」のエンディングだ。タイトルは「およそさん」。
「おかあさん、この歌すき。なんかこう、ギュッと悲しくなる感じがいい」
「そうなんだ〜。私もすき。でも、ちょっと気になるのが、
『ただただ楽しいからって笑ってるわけじゃないし ただただ悲しいからって泣いてるわけじゃない』
ってとこ。楽しいから笑ってるわけじゃない、ってとこはわかるんだけど、悲しいから泣いてるわけじゃない、っていうところがわからないんだよね」
「そうかあー!そうだねえー!大人になったら、わ・か・る・よ!」
私は、最も陳腐な答えを、ふざけて言った。私も、きちんとした言葉にはできなかったから。でも、それこそ私がもっと大人になったら、もう少し上手に言葉にできるかもしれない。
そして、後からこのことを思い返して、10歳の子が、楽しいから笑ってるわけじゃない、っていう部分はしっかりとわかるんだな、ということに改めて思いを巡らせたりした。
私は今も、相変わらず音楽から遠い生活を送っている。若い時も近かったわけではないけど、テレビから流れてくる歌に共感したり、好きなCDを買ったりしていた時は、この歌は私のもの、という錯覚を感じさせてくれたものだ。
しかし、この数年で変わったことがある。「歌ならなんでも良くなった」ということだ。クリープハイプはいろんな世代が楽しめるようなカラクリのある、有難い歌だと思うが、もうそんなカラクリがなくてもいい。こどもの運動会で流れていたアイドルの歌でも、「おかあさんといっしょ」で流れてくる歌でも、なんでもいい。単純な歌詞ほど心に刺さる。「ぼよよん行進曲」などは、親も泣ける曲として有名だ。私などイントロで、もう泣く。
歳を取ると、涙腺が弱くなるのは、本当だった。
そして、アイドルの歌でもこどもの歌でも、言葉のプロが本気で作っているわけで、聞けば聞くほど、自分で解釈をする余地を残してくれていることに気づく。
最近、私は、私の歌がないなあ、とは思わなくなった。きっと、心が弱っているのだと思う。それは、生きていくには大変なことではあるけれど、好きなものが増えるという、少し嬉しいおまけを連れてきてくれた。
最近気に入っている歌詞は、嵐の「Happiness」。ニンタの保育園のランニングのときの歌だった。こういう応援歌的なものは、もう、全部が主婦の歌として解釈(曲解?)できるくらいなのだが。特に
走り出せ 走り出せ
明日を迎えに行こう
君だけの音を聞かせてよ
全部感じてるよ
という部分は、孤独な主婦業を誰かが見てくれている気持ちになるし、自分のこどもの気持ちを、この歌詞のように、もっと受け止めてやりたいとも思う。どっちを思っても泣けてくる。
もう、「なんでも泣くおばさん」だ。
3歳のミコは、私が料理などしながら話半分に「うんうん」と相槌をうっていると、「おかーさん、ミコのオカオ、ミテ!」と、言ってくる。保育園の先生の真似だと思うが、人間関係の要求はこれに尽きるのかもしれない。
私を見て。私を褒めて。私に笑って。
残念ながら、現実では全部受け止めきれないが、歌の世界なら、「全部感じている」と言い切ってくれる人がいる。
歌は救いだ。
世の中には、まだまだいい歌がたくさんあるのだろう。私が知らないだけで。
私はこんなにインプットが少ないのに、私の生活の範囲に流れ込んできてくれた素材だけで、これだけ感動しているのだから、それはそれですごくないか。
私のための歌がないなあ、なんて言っていた時は、まだまだ元気だったということだ。弱ってくると、なんでも拾い集めて、自分の歌にする。
クリープハイプという、バンド名をあげておきながら、私はまだ、こども番組で流れたその2曲しか知らない。もし、クリープハイプの海にざぶんと飛び込んだら、カラカラに乾いて一滴の雨水も逃さず生活していた私は、どうなってしまうのだろう?あるいは、激戦と言われている嵐のコンサートに行けたとしたら?
たぶん、私はどちらもしないと思う。もう音楽の聞き方も忘れてしまった。音楽を聞くにも体力がいるし、作業しながら聞くと、歌詞も頭に入ってこない。
クリープハイプには、ぜひ次のクレヨンしんちゃんの映画曲を歌っていただきたい。そうしたら、こどもと一緒にまた口ずさめるから。
今、音楽と私は、そのくらいの距離が一番負担がない。あるいは、10代のときにさんざん聞いた歌を運転中に聞くとか、そういうことくらいが。
クタクタに疲れた私のすぐそばを、救世主が通り過ぎて行ったのに、それを捕まえる力も残っていなかった。「ぼよよん行進曲」で泣いている人は、そういう人たちなのかもしれない。
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