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自分で自分を守るのは難しい

誰かにカチンとくることを言われた時、その場で言い返せなくて、家に帰ってから「あの時、ああ言い返してやればよかった」とギリギリ悔しい気持ちになる、ということがある。

そういう「攻撃と言う名の防御」を身につけるためには、今度同じようなことがあったら、こう言おう、ああ言おう、とシミュレーションして練習することに効果があって、そうやって悔しい思いをしながら、何度も繰り返しているうちに、少しずつ身につくらしい。

しかし、そのためには何度も実戦で刀を交えなければならず、最近、人付き合いもめっきり減った私は、ずいぶんと戦闘能力が落ちていると思う。戦闘能力は落ちているけれど、嫌なことを言われる機会が減っているのだから、それはそれで悪くない。

うちの2番目の子、ニンタは、平日に放課後デイサービスに通っている。放課後デイサービスは、障害のあるこどもたちが、学校が終わってからの数時間を、勉強をしたり、一緒に遊んだりして過ごす場所。ニンタはそこでの数時間を問題なく過ごしている様子だったし、時には楽しそうにその日の出来事を話す。素人の私がニンタにイチから勉強を教えるのは、かなりしんどいことだったので、専門の先生に見てもらえてとても助かっている。

そのデイサービスの先生から、電話があった。ニンタに普段と違う様子がないか、ケガがないかどうか確認してほしい、と言うのだ。デイサービスの時間に、上級生の活動をニンタを含む下級生が並んで座って見学していた際、ニンタの周りで不審な動きをがあったのだけど、先生たちの確認ではよくわからなかったので心配だ、とのこと。

その日もニンタは元気に帰ってきていた。変わった様子はない。まあ、念のため、ということなんだろうな、と思って、「何かわかったらご報告しますね」と言って電話を切った。

「だれからでんわ?」とニンタが聞くので、
「放課後デイサービスの先生からだったよ。ニンタがお友達に痛いことをされていないか、心配で電話してくれたんだって」と答えた。
「きょう、されたよ。みんなですわってみてるとき、◯◯ちゃんに。ぎゅーって」。
「え?そうなの?一回だけ?」
「よんかい」。
「痛かった?」
「いたかった」。
「…そうなんだ。痛かったり嫌だったら、先生にすぐお話してね。おかあさんにも教えてね。話してくれてありがとう」。

困ってしまった。ニンタはまだいろんなことを正確に伝える力がないので、全部をそのまま信じるわけにはいかない。「さっき、昨日、このまえ、今日」という言葉の使い分けも、まだ完全には出来ていない。でも、話が具体的だったし、何かあったことは確かだ。跡が残るような怪我をしているわけではないので証拠もないが、先生の心配はどこか当たっていたのだと思う。

私が心配で顔を曇らせてしまったので、ニンタも自分が何か悪いことをしたような心配顔をしていた。今から思い返すと、ニンタは悪くないんだよ、ということを伝えてあげるべきだったし、◯◯ちゃんのしたことはダメなことなんだよ、という説明もするべきだったか。でも、その場ですぐにニンタの話を全部信用してはいけない気がしてしまって、ニンタのお友達を責めるような言葉を出すことをためらってしまった。

こういう問題は障害児に限ったことではなくて、3番目の子、ミコの保育園でもケンカで怪我をして帰ってくる事はあるし、幼い本人に聞き取りをしてもよくわからない、ということがある。

でも、ニンタが特別に心配なのは、その「本人に聞いてもよくわからない」という期間がどれだけ続くのかわからない、ということだ。ケガをさせられた、というわかりやすい出来事であれば、ニンタもそのうち説明できるようになる気がするが、もっと大きくなって、例えば、「元はと言えば自分も悪いのだけど、でもそれが原因で度々ひどい皮肉を言われるようになってつらい」というような複雑な出来事を、本人がどれだけ言語化できるだろうか。

自分の気持ちを言葉にする、というのは、私にだって難しいことで、なんだか落ち込むけど、なんだかわからない、なんだろう、何がひっかかっているんだろう、と三日三晩考えて、「あ!あの人、私のことをバカにしてあんな事を言ったんだ!」と気付いたりすることもある。

年齢を重ねていく程、人の悪意というのは巧妙に隠されるようになって、けっこう真剣に訓練をしないと、そういう悪意に瞬時に気づいて瞬時に抗議する、という達人技は身につかない。おそらく格闘技みたいなものだ。そういう瞬発力には個人差もあって、もちろんアンガーマネジメントが必要なのは言うまでもないけれど、土鍋のようにじっくり温まるタイプだと、自分を傷つけてしまうこともあって、それはそれで問題だと思う。

今回の一件に関して、これは私の全くの推測なのだけど、おそらく、ニンタは「痛くていやだな」と思ったけれども、許容範囲だったので黙っていたのではないだろうか。本気で痛ければニンタは「泣く」という形で訴えることができたはずだ。

でも、この先どんどん「わかりづらい痛み」が増えていくのだということを、私は知っている。そして、その時どうやって自分を守るのか、ニンタに教えられる自信が、私にはない。

一応、ニンタの発言をそのまま連絡帳に書いて先生に伝えて、確認をお願いした。それで相手の子が認めるかどうか、真実がわかるかどうかは定かではないが、大きな怪我があったわけではないし、結果はどちらでもいいと思う。

大切なのはこの先のことで、相手が誰であろうと、場所がどこであろうと、不愉快だったら不愉快だと伝えることができる、意思の強さを獲得することだ。それは私にも完全な形では備わっていない機能で、それを障害のあるニンタに授けることは、途方も無い課題だと思っている。










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