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発達障害ハッキリさせようか問題

二番目の子、ニンタに知的障害が残るということは、1歳半から疑われてきて、3歳くらいで確定した

知的障害があり、運動面でも体幹の弱さや手先の不器用さで苦手があり、それだけでサポートを受ける必要性はハッキリしている。

行政サービスを受けるための手帳も発行してもらったし、療育も受けてきたし、小学校になってからは支援級に所属し、放課後等デイサービス、障害児一時預かりも利用している。

なんなら、その障害の原因となる遺伝子異常もわかっていて、通院も服薬もしているし、体調管理のための食事療法もしている。

だから、もうこれ以上ニンタの症状に名前をつける必要はない。何か新しい名前がついたところで、今のサポート体制が変わるわけではないのだから。

主治医からは「何らかの発達障害がある」とは言われていて、療育の先生から「しいて言えば、自閉傾向かな、とは思う」と言われたこともある。他の小児科医で、「発達遅滞ではあるが、発達障害ではないと思う」という人もいた。

いろいろご意見は頂戴しているものの、発達障害は検査の結果、専門医が最終的に判断するものであって、その診断をニンタはまだ受けていない(のだと思う)。

そういう状況であるのだけど、私は最近ニンタの発達障害について、もっと詳しく知りたいと思うようになってきた。

おそらく、それはゆっくりながら、ニンタの発達が進んできたからだと思う。小さなときは、ただ泣くばかりだったり、なんとなく機嫌が悪い、というだけだったものが、「こわい」「うるさい」など、言葉で意思表示するようになった。

また、昔からあったこだわりも、小さいうちであれば、「これがお気に入りなんだよねー」と思っていたものが、大きくなってくると「ものすごく融通がきかないな」という感想に変わってくる。

そして苦手ばかりでなく、好きなことも出てくる。今、ニンタは放課後デイサービスで習ったダンスがお気に入りで、毎日のように家でもやっている。いくら好きでも、やりすぎだろう、と思うほど続いていて、もしかして習い事でもさせたら伸びるのだろうか?という淡い期待もある。

やっぱり自閉症なのかな、と思い、そういう類の本を読んでみるが、読むと「いや、そこまで強い傾向はないかも?」という感想になる。例えば、食事時に3番目のミコの声がうるさい、と泣いたり怒ったりするので、「もしかして聴覚過敏かも」と思うが、遊んでいるときはなんともないので、ただ難癖をつけているだけなのかな…という疑いも拭いきれない。

でも、泣いたり怒ったりしているのは困ってしまうので、ニンタがお世話になっている先生に相談すると「聴覚過敏であれば、イヤーマフという手もありますが、そういう感じもしませんよね。ニンタちゃんだけ音楽を聞くのはどうでしょう?」と提案された。そこで、ヘッドホンで音楽を聞かせると、食事時は驚くほど平和になった。自分が特別扱いされて嬉しいだけかもしれないし、しばらくしたら飽きるかもしれない。でも、こんなことくらいで平和に食事ができるのなら、なんとありがたいことか。

自閉症児への対応というのは、どんな子にも有効でわかりやすいので、今までも参考にしてきた。でも、もっと詳しくニンタの苦手や得意を知りたい。家での合理的配慮を増やして、ニンタも私達家族も楽になりたい。そのためには、もっと私が勉強する必要もあるし、もっとニンタの特性を知る必要があるんじゃないかな、と最近強く思っている。

発達障害の診断を受けるか否かという問題は、よくグレーゾーンと言われる子の親の悩みとして聞かれる。

知的な遅れはないが、苦手な場面が多くて困りごとがある場合、はっきり診断してもらってサポートを受けた方が良いのか、それとも診断されることによって劣等感を持ってしまったり、レッテルを貼られてしまうから良くないのか、という両面でとても悩むのだと思う。

私のように、こどもの障害がはっきり分かっている立場から見ると、ぜひ診断してもらってサポートを受けてほしいと思う。発達障害は恥ずかしいことでも悪いことでもないし、サポートを受けることは、よく「視力の悪い人がメガネをかけるのと同じこと」と例えられるように、とても合理的な解決方法があったりする。

と、そこまで思うのに、実は私も「ニンタは発達遅滞だけで発達障害はない、って事だったら楽だろうな」と思ってしまっている。

まだ想像でしかないが、例えばニンタが20歳になるまでに8歳程度の知的レベルまで成長できたとする。8歳の子は、大人のような判断力や応用力はないが、ある程度のことは一人でできる。でも、音や場面の苦手やこだわりがあると、どうしても克服できないことが残る可能性があるんじゃないかな、と思ってしまうからだ。

発達障害であっても、訓練や工夫によって、苦手な事柄でも上手に対処していける場合もあるらしい。だから、そんなに悲観的には思っていないのだけれど、いやでも、やはり苦手なことがない方が楽には楽だ。

だから、現実を直視したくない気持ちが、私の中であったのだと思う。

でも、ニンタも少しずつ大きくなってきて、いろんな好き嫌いの表現が出てきた。ニンタ自身にも「どっちがいい?」という程度の聞き取りができるようにもなってきたし、そろそろ本腰を入れて我が家の合理的配慮を整えるべきなんじゃないかと思っている。

自閉症とADHD、両方の特性がある場合もあるし、ニンタが発達障害のどのゾーンに属すのか、ということを知ること自体に、それほど意味はないと思う。

今、私が必要だと思っているのは、診断名ではなくて、ニンタの苦手と得意を知ること。そんなの親であればわかるだろう、と思われそうだが、全くそんなことはなくて、私はニンタがどんな世界を見ているのか、全然わかっていない。だから、急にニンタの逆鱗に触れてしまうこともあるし、急に成長する姿を見てびっくりすることもある。

それはきょうだいも似たようなもので、上のいっちゃんも下のミコも、いつもニンタに気を使いながら生活していて、それはけっこう疲れることだ。

だから、もっと先回りしてトラブルを回避したいし、得意なことがあったら伸ばしていきたい。とにかく、もっと楽しく暮らせる方法があるような気がする。

が、知的障害の親としてはある程度の時間を重ねてきたものの、発達障害の親としては、これから本格デビューとなる。右も左も分からないので、学校やお世話になっている施設に相談してみたり、いや、まずは次の検査入院で主治医に相談かな、などと、のんびりスタートしつつある。

これまでも、ニンタの療育先を探したり、病名を突き止めるために病院を渡り歩いたり、未知の領域を一歩ずつ進んできた。その延長線上にあるステップをまた一つ登るだけのことなので、私としては明るい気持ちというか、何か生活の質をあげるための解決策を持った親へと成長できるといいな、と思っている。

その先には、この病気(グルコーストランスポーター1欠損症)特有の、発育が伸びる時期に起こると言われている体調不良もあるかもしれないし、その先の思春期、そして大人になってからの自立の問題も待っている。

そして、親亡き後のことも。

何もかも誂えてはやれないけれど、私の小さい器でできることであれば、なるべく手を伸ばしていきたい。

ニンタが3歳のとき「一生なんらかのサポートが必要でしょう」と診察で言われ、その時は目の前にある事実の大きさをとても受け止めきれなかった。でも、ニンタがゆっくりゆっくりと大きくなってくれたおかげで、今、その言葉はしっかりと私の体の中に収まっている。

まだまだ力不足だけれど、そう思えるまでに月日が流れたこと、たくさんの人の協力を得ながらここまで来られたことは感謝でいっぱいだし、私もニンタも家族も頑張ったと思う。

そして、これからもずっと、この試行錯誤は続いていく。それは特に悲観的な未来ではなくて、この日常の続きとして、良くも悪くもなく、当たり前の顔をして、遠くの方に見え隠れしている。

さて。まず検査する場所を決めなければ。






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