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私信

noteの名前ってコロコロ変えていいものなんですか?

すみません、わからないけど、変えました。

noteを始めたとき、誰に読んでもらうとか、全く考えなかったし、自分がこんなにゴリゴリ書くとも思わなかったので、それはもう、何の気なしに名前をつけた。

「だんだん」はこどもの好きな歌の歌詞からもらった。悪くはないのだけど、文章の中で、話しかけられた会話を書くときに、「だんだんさんは~」と書かなければならないので、それがどうもしっくりこなかった。

そして、私はnoteを書くと同時に、ずっと放置していたツイッターも再開した。実働のフォロワー10人以下、公開ライングループのような小さな集まりだ。

「しじみ」はそのツイッターの名前だ。これは、ずいぶん昔につけた名前で、自分とだいぶ馴染んでいる。「しじみさん」と街中で呼ばれたら、振り返る自信がある。

ツイッターではnoteの更新もお知らせしている。「しじみ」が紹介する「だんだん」の記事。なんだかややこしいので、名前を統一することにした。

なんか、スッキリ。

たかが名前なので、私以外誰も気にしていないのだろうけど、勝手にお伝えいたしました。

ついでに、インターネットの匿名性についても書きたい。

私はこどもの病気についてたくさん書いているので、匿名は便利なことだと思っている。こどもが大きくなって、あの育児日記いやだなー、と思ったときのために。

とはいえ、めずらしい病気なので、知っている人が見たらすぐに私だとわかるだろう。でも、わざわざ個人名を出して、情報を増やすメリットもないので、私は匿名で書く。

と、同時に、本名で書くという覚悟についても、少し興味がある。

本名で書く潔さと、責任の重さ。本名で書いているだけで、その文章は信頼度が増すのではないだろうか。本名で発信するぞ、と決めた過程は人それぞれだろうが、その決意を想像すると、私は少しうらやましい気持ちがする。

「だんだん」を「しじみ」に変えただけで、こんなにスッキリしたのだ。それを自分の名前に変えたら、どんな気持ちがするだろう。不安は必ず増える。それでも、ここは本名でなければならない、と思ったその時の決意とは。

noteを本名で書いている人全員に、アンケートをとりたいくらいだ。

どうして本名で書こうと思ったのか?
本名で書くときに、誰かの許可は得たか?
本名で書くと、スキの価値は自分の中で変わるのか?
本名で書いて良かったことと悪かったことは?

年代によっても違うのだろう。私が産まれたときにはネットの世界などは存在していなかったから、私はまだここが怖い。怖いけど、現世でどうしても満足できないので、おっかなびっくり、ここに居る。そして、なかなか楽しい。

私の記事は、私の知り合いくらいしか読んでいないので、私はまだ中傷にあったことがない。しかし、他の方のnoteを読むと、そんな体験も書かれている。

中傷を受けるくらい注目される未来が全く見えないが、もし中傷を受けたら、私はとても落ち込むと思う。注目されずに中傷だけ受けるパターンもあるだろう。

本名こそ名乗っていないが、私は中傷されるリスクを背負って、ここでああだこうだと書いている。どうして、そうまでして書きたいのか。書きたいだけなら、自分の日記に書いて、ひっそりと1人で読み返せば良い。

承認欲求です。と、言えば、誰もが納得してくれるのは知っている。もちろん、私も承認欲求で書いている。スキをもらえば嬉しい。

でも、それだけでは、こんなに書くことに喜びを感じなかったと思う。

私にとってありがたいのは、note、いや、ネットに書くときに、私の「節度」のスイッチが入ることだった。

誰かが読むかもしれないから、わかりやすく書こう。本音を書くけど、できれば不快にさせたくない。もし役に立ったら嬉しい。ハードルは高いけど、もし面白く書けたら嬉しい。もし、共感できる文章なら嬉しい。励ましになったら嬉しい。

それを承認欲求って言うんだよ、と言われそうだが。私にとっては少し違う。

わかりやすい、とか、面白い、とかの判断をくだすのは、私だからだ。私が読んで私が感想を思い浮かべ、それを公開している。公開しているから、ズルをしないでおこうと思う。ネットという場をお借りしているのは、見ず知らずの誰かに審判員、見守り役をお願いしているからだ。

それは、創作活動の精神からは遠い考え方なのだろうか。noteが利用者をクリエイターと呼ぶので、私は自分がここに居て良いのかと、しばしば疑問に思う。

そして、私がいくら私のために書いていると言っても、面白いとか役に立ったとかの判断は、読んだ人がそれぞれ自由にする。

さらに、同じ悩みを抱えた人の役に立ちたいという気持ちも、もちろんある。

他者の視線を意識しないと、自分を喜ばせる文章を完成させることができない。では、出来上がったその文章は、誰の為のものなのだろう。

こんな簡単なことがわからない。クリエイティブとは何かがわからない。

だから、私はもし家族が居なかったとしても、匿名で書くと思う。

こどもが楽しいときに走り出さずにいられないように、悲しいときに人目をはばからず泣くように、私は文章を書かずにいられない。そんなナマモノを、かろうじてルール違反だけはしないように意識しながら、世に出しているのだ。自分の名前をさらす覚悟など、あるはずがない。

そんな、おもいきり初心者の私が、名前を変えようと思ったのは、「できたら長く続けたい」という気持ちからだ。長く続けるなら、自分にしっくりくる名前で書きたい。

誰にも言わなくていいような、小さな決意。

でも、私にとっては大切な話で、クリエイティブでもないし誰の役にも立たないけど、私は私のために、今日も書いた。いつかの私がこれを読んだら、私がどれだけ文章を書くことで救われていたか、伝えられると思うから。

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