見出し画像

令和に考える姓を継ぐ….お墓をまもる

福本です旧姓尾崎です
みなさんお墓参りってしますか?
私は海外に住んでいるので、決まった時期に行くというのは難しいです。
帰国するたびに行くようにはしています
行く時には祖父を連れて、福本家の墓へ。

お墓を綺麗に洗い、お花を生けて手を合わせる
私はプロテスタントのクリスチャンなので先祖の冥福を祈るというのはありませんがそれでも、自分のまだ見ぬ子供たち家族、そんなことを思い巡らしたり祝福を祈ったりします。

尾崎から福本へ

私が18歳のときに、祖父の家へと養子に入りました。
高校を卒業する際、両親、祖父から説明を受け
養子になり苗字を変えることについて話が進みました。
祖父が専門学校の学費を出してくれることとなっていたので、私はその話をとくに考えもせず
ただ苗字が変わるだけだと軽く受け止めていたのを覚えています。
私には兄と姉がいます、いわゆる末っ子というやつです。
どうやら私が産まれる前から母方の祖父と両親、また父方の祖父で養子の話は決まっていたようです。もし私の両親に2人目の男の子が生まれたのならその子を養子に下さいと。

母方の祖父には兄弟姉妹がいますが福本家を継ぐ子供はいなかったのです。

こうして18歳、専門に入る頃には私の苗字は尾崎から福本へ変わっていました、同時に祖父と暮らすこととなり生活も激変するのですが
私にはカードや保険、免許証の名前変更手続きが面倒だなくらいの変化しか感じなかったのを覚えています。

家を継ぐということ。

家を継ぐ 昔の話によくありそうなイメージでしたがときどきあるみたいです
祖父としては、「福本の家をここで終わらせてたくはない」、「福本家のお墓をまもる人が必要だ」、そんなことを聞かされていました。
自分なりに理解して納得していましたが
当時の私はお盆、お彼岸にお墓参りをするということを祖父が願っていたことまでは
わかっていませんでした。
また初めての共同生活の中で、祖父とは何度もぶつかったり、叱られたりしました
今となっては良い経験だったと心から思いますが、それはやっぱり今となってはです。
それから一人暮らしをしたりした時期もあり
社会人になってまたおじいちゃんと暮らすことになりました。

自分の先祖から続いてきたものが、自分の代でなくなってしまう、それはいけない
そう思うおじいちゃんの気持ちも理解できるようになっていきました。
一緒に暮らしたり、社会人生活で人の気持ちを察したり、理解することを覚えたからかもしれません

その土地に残って相続していく

相続の問題はたまにニュースでもら取り上げられています、私も両親や祖父からそういう話をされたりしたことはあります。
早めに子供の名義に移すとか
おじいちゃんが亡くなった場合 相続は私と私の母(義理の姉ということになるのでしょうか汗)とする。
両親が亡くなった場合、相続権はわたしにもあり兄弟姉妹3人で分けるなど。
しかし、1番大事なのはお墓を受け継ぐということなのらかなと思っています
ここは自分の想像ですが、やはり誰にも思い出されず忘れられていくのはやりきれないのでしょう。
お墓参りをすると、周りに手入れのされていない雑草などの茂ったお墓があるのを見かけます
それらのほとんどは無縁仏という、親族のいない、もしくは断られた身寄りのないお墓のようです。
たまに墓石が倒れているもの
管理者からの立て札がされてるもの
金、キムなどの朝鮮半島の名字が書かれているものなど。
おじいちゃんの側に立ってみれば自分のお墓がこんなふうになっては欲しくない、そう思うのは普通のことかもしれません。
放置されたお墓はそれだけで、寂しいような虚しいような、まったく知らない人のものですら心苦しい気持ちにさせられます。

最後に、、、

私はまだ26歳で自分の死とか病気そういうものに向き合う機会はないです。
おじいちゃんは90を数える年齢で、それこそ日常生活は問題なく過ごしていますが
血圧などの薬は飲んでいますし、万全の体調であるとは言えないです。
姓をお墓を継ぐからには、自分の子孫を残さないといけないとか、仰々しいことを意識したりもします。もちろんただ素敵な奥さんと幸せな家庭が築きたいと素直に言えといわれればそうかもしれません。
それに、続いてきた名前を継ぐことに今は誇りを持っています。
福本家はどうやら三浦の豪族に仕えていて佐島を拠点にしていたようですが、三浦氏が滅ぼされたときに伊豆へ落ち延びたようです。
嘘か本当かこんな話を聞くと自分の先祖に思いを馳せずにはいられません。
私は結構ロマンチストなのかもしれません。
もし子供ができたらそんな話しをしっかり伝えたいなと思ってます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?