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八月某日 言葉を大事に

「言葉を大事にしなさい、言葉には言霊がいるんだから」

中学生のころ、大嫌いだった先生から放たれた言葉だ。
あんなに反感を持っていたのに、幾何かの時間を経た今、ようやく私の心にストンと落ちこんだ。
せっかく心の中に漂うようになったので、ここで今一度言語化を試みたい。


自分で言うのもなんだが、わたしは言葉を大事に生きてきた方だと思う。
少なくとも、高校を出るあたりまでは人一倍言葉に気を遣っているつもりだった。自分の心の動きを、目に映る景色を、やさしく掬い上げるように一語ずつ拾っていった。

大学に入ってから、それが少しずつ変わっていった。


「自らはモラトリアムにいるのだ」という漠然とした焦燥感に、大学で初めて触れる学問(とりわけ社会科学であった)という新しい言語も手伝って、わたしにとっての「言葉」は、その役割を大きく変えた。

あるときには、一つ一つの言葉に定義が与えられ、より厳密に思考を組み立て、より論理的な議論を展開するための道具になった。
あるときには、自分の半生を、長所を、短所を、自己PRを「表現」することで為人のつじつまを合わせる道具になった。
あるときには、人間関係をスムーズにするための「アピール」になった。


以前は感性とつながっていたはずの言葉が、しだいに切り離されていった。

感情を凌駕する「理性」によって、言葉は自分と切り離されたものとして独り歩きをできるようになった。

独り歩きした言葉は、自分を縛るようになる。自分から離れた言葉はその瞬間に石になって、わたしを取り囲む。

固い言葉ばかりを生んでいれば、わたしは身動きをとれなくなる。
単調な語彙に頼っていれば、目の前はどんどん殺風景になっていく。
鋭い言葉を投げ続ければ、厚い棘の鎧に囚われてしまう。

あなたが発した言葉は、過去のあなたに、未来のあなたに、いまのあなたに、受け止められる。
言葉を受け止めたあなたは、言葉を通して感じ、考え、再びちがう言葉を紡ぎあげる。

そして言葉たちは、あなたの心を方向付けるようになる。言葉が導く方へと、あなたの心は変容していく。

あなたが生みだした言葉が、あなた自身を創っていく。


言葉には魂が宿る。


言葉を大事にしなさい、言葉には言霊がいるんだから。

言葉を大事にしなさい、言葉には言霊がいるんだから。


言葉を大事にしたい話をうまく言語化できないのは、なんとも歯がゆく間抜けなものである。





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