見出し画像

何分の一かの、純情な感情

「失礼します!こんにちはー」

元気よく挨拶したものの、診察室は騒然としていた。
すでに診察を済ませた別の患者さんが、
院内で具合を悪くして転倒したらしい。
クラークと呼ばれる事務員さんが、
慌てふためいて説明している。

エリィ「ありゃりゃ..だ、大丈夫ですかね..」

どうしよう。出直したほうがいいかな。

主治医はクラークさんの話が終わると
振り返って、こちらを向いた。
まったくもって落ち着いた表情で、
何事もなかったかのように話し始める。

主治医「どうですか?熱はあがっていませんか?」

ああそうか。
もうスイッチ切り替わってるんだ。

がんセンターには、重篤な症状の人がたくさんいる。
何かある度に慌てていては、仕事にならないだろう。
先生は、感情をコントロールして
こっちのややこしい方の診察に集中していた。

でも、こっちのややこしい患者は
人さまの転倒がとても気になって仕方ない。
神早で大丈夫アピールをした。
本当に大したことないし、
これから遊びに行くくらい元気だもの。
それに、今日は
白血球増量注射を打ちに来ただけだし。

エリィ「昨日から熱が下がり出しました。
喉の痛みとか、細かい不調はありますが
許容範囲です。
食事はいつもの半分は食べられます!」

いつも聞かれる質問を先回りして、
回答をまとめる。
そして外来用のオレンジファイルを
主治医へ渡した。
これは、オレ的「帰る合図」である。

主治医「白血球が増えてきたようですねー。
なんとかいけそうですかね?
じゃあ今日も注射を打っておきましょう。
次は月曜にお待ちしていますね」

にっこりとかけられた言葉にお辞儀して、
診察室をあとにした。

患者は今日、自転車で病院に来る予定だった。
ところが愛車にまたがると、
タイヤがパンクしていることに気がついた。
仕方なくタクシーに飛び乗って、病院へ向かった。
赤信号に全部引っかかって、いつもの料金より
500円くらい高かった。
こんなことくらいでも、「いーー」となる
やわな感情を持て余している。

主治医の優しいのんびりした診察に、
患者の背筋がピンと伸びた。

喜怒哀楽に振り回されると、ろくな事がない。
それは、感情を呑み込むというのとはまた違って。
純情な感情は、正しく伝えないとな。
と、なぜかSIAM SHADEの曲を脳内再生しながら、
痛い注射に身悶えした。