マガジンのカバー画像

徒然ポエム(つれづれぽえむ)

16
ふと感じたことを正直に、ふわっとかいています。
運営しているクリエイター

記事一覧

お母さんが神様だった頃。

自分が小さい頃、母親が完璧で神様のような存在に見えたのは僕だけだろうか。 僕だけなら、ぼくのことをピュアな人間だと感じて聞き流してほしい。 ご飯の食べ方を教わって、お風呂に入れてもらって、買い物に連れて行ってもらったり、習い事に送りに行ってくれたり。 学校の宿題を見てもらって、時々怒られて、おもちゃや洋服を買ってもらって時々お父さんも登場したり、家族みんなで遊園地に行ったり。 毎日毎日、色んなことを教えてもらって、喜怒哀楽、沢山の感情が湧き出て また新しいことを知って

幸せとは、仕合せってこと。

様々な場所でよく耳にする、中島みゆきさんの「糸」の歌詞の中で「幸せ」は「仕合せ」という表記になっている。 幸せってなんだろう。ふわっとしていて、なんだかとりとめがない。 でも、お金やモノを手に入れたりして、何かをGETしていくことではないみたい。 お金持ちでも、一枚のステーキを食べて幸せだと感じずに当たり前だと思う人もいるし。その日暮らしの人でも、一枚の食パンを食べ幸せだと感じる人もいるから。 世界一幸福な国といわれるブータンは、GDP(国内総生産)ではなく、GNH(

GIVEされる幸せとGIVEする幸せ

この前、You Tubeのきりぬき動画で見た、ひろゆきさん(2ちゃんねる開設者)の話が面白かった。 お金をもらう方が幸せか、お金を上げる方が幸せかというはなし。 2003年、カナダの大学の実験。朝、通りすがりの人に500円を渡してから、くじをランダムに引いてもらう。 くじの中には「今日中に、この500円を使って誰かにプレゼントするか、チャリティーをしてください」と書かれている。 夕方頃に、お金を渡した人に電話をかけて、今日一日の幸福度を数値化してもらう。※朝、お金

2回目に読む本。

映画やドラマ・本を何回も読む人は多いと思う。 面白かったものや登場人物に魅力があると確かに見てしまう。 ぼくもあまり数は多くないが、映画や漫画で何回も見てしまうものがある。 その中でも、活字の本を2回目に読むと、確かな手ごたえを感じるときがある。特に、1回目読んだときにあまり共感できなかったり、理解できなかったもの。 はじめて読んだときには、本の世界を創った著者に自分が追いついていなかった。しばらく、時が経ってから読むと不思議なことに本の中の活字が、するする自分の中に

写真と旅

「じゃあ、けんけんは、写真家になりたいの?」 最近よく聞かれること。 多分、ぼくは3月末で4年間続けた会社を退職したからだろう。 ここ2年間は休日になるたびに、写真を撮っていたし 写真には強い拘りもある。 仕事を辞めたのだって、毎日を自分の本気になれること(アジアや日本各地の写真を撮影する)で埋め尽くして、いつかそれを仕事にする為だった。 でも、写真家になりたいかという質問にたいして、堂々と「うん、そうだよ」と答えられなかった。 自分の写真が世間に評価されるか分か

柵(しがらみ)を越えて

仕事、恋愛、家族関係。 どんなに幸せそうに見える人でも、大なり小なり、みんな柵(しがらみ)の中で生きている。 自分も自分の友達や恋人も。通りすがりの人や、たまたまカフェで横に座った人も。 そんな煩わしく、嫌だなと思う瞬間があって、悩んだり憂鬱になったり。逃げることもある。 でも、それすらも永遠ではないんだろう。 ずっと一緒にいられる人は結構少ないから。 それは恋人や家族も含め、生きとし生けるもの例外なく。 そんなことを思っていると、少しだけ自分の前の柵(しがらみ

本がわたしを形づくる。

本には2種類ある。 自分が読みたくて探して求めて手に取るもの。 全然探していた訳ではないのに、たまたま手に取ってしまったもの。 何も考えずに興味本位で買った本が、案外あとから自分に大きな影響を 与えてくれたりする。 正直、本を読んでも翌週に内容を聞かれたらほとんど覚えていないことも 多いと思う。でかでかと書かれていたフレーズも、思い出せなかったり。 もちろん、人にアウトプットできるレベルで読む方がいいけど、 気づかないだけで、自分の中に本は溶け込んでいる。

雨の次の日。

昨日は雪が降った。ニュースでは大雪だと言っていたけど、ぼくの住む城南エリアでは、みぞれ雪程度だった。 翌日になって今は、岐阜県に移動している道中で、静岡の海岸線あたりを眺めている。 雨の次の日は、景色がとても綺麗だ。海や空がきらきらしていて、そこにある街や人もなんだか趣深い。 雨の次の日は、"旅" と似ている。 旅に出ると予想外のことが沢山おこって、 苛立ったり、楽しかったり、悲しかったり、切なく、呆然とすることもある。 でも、ひつと言うことができるのは 辛いことが

Next Seat , Different Life

一人ひとりの、星の数ほどある人生を もっと覗いてみたい。 そんな衝動に駆られているのかもしれない。 ふと旅先や街ですれ違う人々を見て この人はどんな毎日をおくってきたのか、 気になってしまう。 同じ教室で席を並べていた友人に、会うたびに「久しぶり」と言っている。 あの頃は「また明日!」って言ってたのに。 同じ部活で励ましあっていた友人と出会っても、別れるたびにお互い自分たちの生活に戻っていく。 あんなに一緒だったぼくたちが、 今はこんなに違った人生をおくっている。

学校の屋上

よく映画やドラマで青春ものを見ていると 学校の屋上で空を眺めるシーンがでてくる。 最近ふっとそんなシーンを思い出して、 学校でなくても建物の屋上から空や街を見たいなと思った。 でも、最近では安全面のためなのか、屋上は立入禁止になってしまって中々入れない。 写真を撮っているとこのことはよく感じる。 数十年前なら立ち入れたであろう場所に入れないこと。 そこにある一つの世界が見れなくなると思うと、とても残念だ。 ぼくの通っていた学校も屋上は立入禁止だったので少し憧れ的なも

あなたは、壺の中に何を入れますか。

ひろゆきさん(2ちゃんねる開設者)も話していた「壺の中に何を詰めるか。」という小話がある。 ある大学の講義で教授が壺を持ってきて、壺の中にある物を入れる。 まずはじめに、石を敷き詰めて教授は生徒たちに聞く。「この壺は満杯か?」 生徒は「はい」と答える。教授は石の隙間に砂利を流し入れる。 次には教授は砂利をギリギリまで入れる。「この壺は満杯か?」生徒は「はい」と。 教授は砂利の隙間に砂を流し込む。 その次に教授は砂を隙間なく入れる。 「この壺は満杯か?」生徒は、今回は

本当に大切なものって

本当に大切なものってなんだろう。 多分、そこにあるだけ、いるだけで幸せって感じれるものだと思う。   日々せかせか働いたり、自分のほしいもの買ったり、スケジュールをテキパキと埋めて過ごしているとあんまり考えないけど。 これがあれば、人生楽しくなる、心が豊かになるてもの、むしろそれだけは掴んでおけばいいのかも。  ふと、帰り道の電車で思った。

不安

少しだけマイナスなことを書いてみる。 マイナスなことを言葉にするのは好きではないけど、noteは自分の正直な 気持ちを綴るところだから良いだろう。 一人暮らしをしてから、家事が中々できない。 家事自体は一応できる。掃除も洗濯も料理も。 でもどれも後回しにしてしまう。自分が面倒くさがり屋なのもあるけど、多分不安なんだと思う。 自分が今何者でもないことに。 なんだそりゃと思うだろうけど、不安が薄く膜をはっていて家事をやろうとする気力を奪っている。 アジアに旅に行くこ

暗闇から見る光はまぶしい

暗闇から見る光はまぶしい。 自分が暗い闇の中にいるとき、キラキラとひかる人たちがまぶしくて直視できないだろう。まぶしくて目を背けたくなるかもしれない。 逆に自分がキラキラ輝いているときには、周りにいるどんよりとした闇に佇む人たちが見えなくなるだろう。 大切なことは目をつぶってしまわずに、ゆっくりと光に向かってあるくこと。 いつか自分もいたうすい闇の中にもしっかりと目を凝らすこと。 闇にも光にも、奥には自分が必要としている何かが待っている。