見出し画像

赤子の姿

始踏切内のわが子を救うために身代わりとなって亡くなった母親がいる。1月27日午後の出来事であった。その行為は、功利的でもなく、また、道徳的でもない。今まさに電車にひかれようとしているわが子を見て、全く吾を忘れ、あたかも本能から出たかのように飛び出して行ったのである。

これこそ美の極致、意志によらない無条件の行為であった。かくまでに、母の愛は深く、そして、はかりしれない。
なぜ、これほどまでに、子は母の愛を一身に集めるのであろうか。それは赤子が無力であり、母の手によらなければ生きて行けぬからである。

自分のありたけを母に委ね、母の信じる神さえも信じるわが子を見て、いとおしいと思わぬ母はいない。疑うことを知らず、善悪の区別もなく、いばりもせず、おそれもせず、ただ生かされるままにある赤子の姿は人間誕生の姿そのままに、人としての真の在り方をうつし出している。

人は年とともに、この愛すべき神聖を失い、不自由を身にまとう。人として大事なことは、如何に得るかではなく、如何に失わないかである。バイブルの一節に「嬰児の如くならずんば天国に入る能わず」とある。君たちが失わずに持って、僕をいくども救った少年の夢、とこしえに健やかなれ、と祈らずにはいられない。      (卒業アルバム寄稿)

(See you)