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読書の癖

本の虫、とまではいかないけれど、軽く活字中毒ではあると思う。毎日ほんのわずかであっても本を読むようにしているし(どこまで読み進めるかはその時の調子と気分による。)、振り返ってみると、子供の頃はマンガが大好きだったけれど、それも2ページ見開きの「絵!!!」というような作品より、登場人物たちの台詞や主人公の心境が文字になっているものが多い作品を好んでいた。何より、今手元にあるマンガはすべてそんな作風のものである。

この軽い活字中毒はおそらく、それなりに読書家である父親譲りなのだろうけれど、読み方のタイプは真逆だ。父親はいわゆる「一度読んだら満足派」で、読み終えた本が「これ面白かったぞ〜」なんて言われながら私の手元にやってくるのは日常茶飯事だった。実家の私の部屋にある本棚は、半分は父親の本棚ともいえるだろう。
対して私は、「何遍でも繰り返し読みたい派」である。新しい本をたくさん、というよりは、同じ本を何度も読む、とはや癖のようなものだ。読み終えてすぐ2周目に入ることもあれば、少し時間をおいてから再読することもある。確かに、重要人物が誰なのか、とか、これは叙述トリックだったのか!など、結末以外にも分かってしまっている要素があるのは、再読には多少障りがあるように思う。ミステリーやサスペンスは特に。だけど、わかっているからこそもう一度読みたいと思うし、わかっていても尚、面白いと思うのだ。
伏線に着目ながら、や、情景描写をあたまに思い浮かべながら読み返すのが、うーんと楽しく感じる。1周目でサラリと読んでしまったところが妙に気になったりしてね。そういうのが、たまらなくワクワクする。
そうやって読み返せば読み返すほど、本がいとおしくなる。読書効率はあまりよくないのだけども。

文章の〆方がわからなくなってきたので、私の本棚の中でも特に読み返しまくっている5冊をそろーっと挙げて終わることにしよう。

①『もしもし下北沢』/よしもとばなな

大学生の頃に古本屋で出会って以来、ずーっと大好きな一冊。
父親を喪った主人公の、殺伐とした日々のなかにおとずれる救いと癒しを描いた物語で、微妙な感情の揺れとか、時間の流れの表現がとっても美しい。若干ヘビーな内容も、傷を癒すために必要な過程も、独特な口調でさらりと読み進めることができるのも魅力。

みじめだ、そう思った。少しも立ち直れず、ずるずると生きている。夜は明けないし、後悔は取り戻せず、言いたかった言葉は言えない。もう二年ちかくたっているのに、一歩も進んでいない、もしかして一生進まないのかもしれない。
それでも私は明日の朝になれば、パンをこね、お湯をわかし、サラダの野菜をちぎり、掃除をしているだろう。体が自動的に動いてくれるし、いらっしゃいませと笑顔になるだろう。それだけができることなのだ。(本文より)


②『キッチン』/吉本ばなな

またまたばななさん。間違いなく、マイベストセラー殿堂入りの一冊。
不思議、かつ妙な縁からトントンと進んでいく物語が心地よいし、ワープロや引っ越しはがきなど、どこか懐かしい情報ツールが奥ゆかしくてあたたかく感じられる。ぽかっと心があたたかくなった矢先、「満月——キッチン2」の冒頭から驚くべき展開を広げるのもこの本の魅力だと思う。

 ——ついこの間までのことすべてが、なぜかものすごい勢いでダッシュして私の前を走り過ぎてしまった。ぽかんと取り残された私はのろのろと対応するのに精一杯だ。
 断じて認めたくないので言うが、ダッシュしたのは私ではない。絶対違う。だって私はそのすべてが心から悲しいもの。
 すべて片づいた私の部屋に射す光、そこには前、住み慣れた家の匂いがした。(「キッチン」より)


③『蹴りたい背中』/綿矢りさ

誰もが知る芥川賞最年少受賞作。周囲に馴染めない主人公と、アイドルオタクの同級生の交流を描く一冊。
初めて読んだとき、恋愛にならない男女の関係があるのか、と驚いた記憶がある(なんせその当時小学生だったから、男女の物語と言えば=恋愛につながると思っていた)。読むたびに火傷のようヒリヒリとした感情がなだれ込んでくるけれど、目を逸らすことができない、というか。終始ヒリヒリ、だけど、終盤のライブ会場に向かって走るときの描写は爽快感さえも覚える。

片方の耳を薬品のにおう机に押しつけて目を閉じると、オオカナダモの細胞の絵を描く鉛筆の芯が紙を通り抜けて机に当たるコツコツという音が、机から伝わって直接鼓膜に響いてきた。他にも顕微鏡をがちゃがちゃ動かす音、話し声、楽しげな笑い声。でも私にあるのは紙屑と静寂のみ。同じ机を使っていても向こう岸とこっちでは、こんなにも違う。でも人のいる笑い声ばかりの向こう岸も、またそれはそれで息苦しいのを、私は知っている。(本文より)


④『砂漠』/伊坂幸太郎

この本に限らず、伊坂さんの作品はどれも何遍も読み返している。とにかく、あらゆる伏線がすごい。
麻雀に明け暮れ、時には合コン、まさかの超能力対決など、めぐるめく大学生活はまさに、二度と戻らないオアシスのような時間。懐かしくもせつなくも感じる。そんな感傷的な思いとは裏腹に、各章に張り巡らされた伏線には何度読んでも惑わされるし、各章の四季の意味に辿り着いた時の高揚感は、毎度心を震わせる。
北本の口癖に「はずだ。」が加えられた、ラストの一文がせつないんだよね…。

「バイト代を注ぎ込みますよ、俺のバイト代を。一万ですか?二万ですか?三万ですか?あの男にひと泡吹かせるためには、それくらいは出しますよ」西嶋は言い、なぜか、「それとも三万五千くらいですか」と急に細かい数字を刻み出した。
「桁が違うよ、たぶん」南は同情するように指摘する。
「うそ、そんなに?」    (「秋」より)

このシーンの西嶋、ほんとうに面白い。四万は出せないんだな。


⑤『木曜日にはココアを』/青山美智子

物語のワンシーンに現れた人が次の物語の主人公、というふうに繋がっていくしりとりストーリー(と私は勝手に呼んでいる)でおなじみの青山さん。些細な出来事が小さな奇跡を生む一冊は、あの人を探しにまた読み返してしまうループを起こす。
ありふれたドラマではあるかもしれないけれど、登場人物が抱える悩みや孤独は少なからず私も感じたことがあって、名前は違えども物語の中にいるのはまさしく「私」。読めば読むほど、心が救われるように思える。

 私たちは笑い合った。そんなことは初めてだったけど、ほんとうは私も、もうずいぶん前から泰子先生とこんなふうに話したかったような気がする。

 ああ、見つけた、と私は思った。

 今は仕事を辞めない。しばらく、ここでがんばる。だってこんなにうれしいもの。
(3 のびゆくわれら[Pink/Tokyo]より)


なお、この5冊に限らず、私の本棚にある本たちは読み返しすぎてほとんどがボロボロなのは言わずもがな、だ。
……活字中毒ならぬ、再読中毒なのかもしれない。