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偶像
自分の周りにいる人が自分を写す鏡なら、好きになる人は昔好きだった人の偶像なのだろか。
昔、韓国アイドルのオタクをしていた。いや、今でも全然好きなんだけど完全に親戚のオバチャンが甥っ子の進学を祝う距離感で各々のグループの活動を見守っている。
そして、この先どんな素敵なアイドルが登場しても、この距離感が変わることは今後ないだろう。
数年前、私がまだ女子高生だった頃に当時大好きだった推しが急死した。彼は自らの手で命を手折った。7年無事に活動を続けるのが不可能と言われる韓国アイドルの世界で、デビュー10周年を目前にした真冬の日。寝耳に水どころか稲妻を打ち込まれた私は翌日学校のホームルームで号泣をかましクラスを地獄に変貌させた。
英語の偶像という単語からその職業名を取っている彼らは、追いかけているとついついその人間性についてわずかでも理解できている気持ちになる。まあ、そういう親近感とリアリティを持ってアプローチするのが彼らの魔法だよね。しかし実のところ、世界一表情管理がうまい彼らの素顔なんて、メンバーでも家族でもない異国の人間にとっては到底わかりもしなければ、いくらライブに行こうが曲を聞こうが、心の支えになんてなれるわけもなかった。舞い上がり切ったひとりのファンとして、大好きだった彼から受け取った教訓はこれが最後だ。
推しから勝手に貰ってしまった両手に収まり切らない人生の煌めきを、何一つお返しできないままに持て余して数年が経過した頃、あるアイドルを見つけた。推しの良さを語ってくれ、と言われても大抵のオタクがその全てを語り尽くせないように、そのアイドルの何に惹かれたのかはじめはよくわからなかった。ステージを見るまでは。
彼のパフォーマンスには、死んだ推しの面影があった。少なくとも私はそう認識してしまっていることに気がついた。完全に別人であることは脳が理解しているし、倫理にも反しているとわかっているけど心の同じ場所が反応するのは止められなかった。ここまで固有名詞を使わずに記事を作っていたのはこれが理由だ。申し訳ない。
推しが死んでしまった当時、めちゃくちゃ慕っていた国語の先生が『彼はきっとあなたの中に息づいていますよ。』と励ましてくれたのを今でもはっきり覚えている。彼がまだ私の心の美しい偶像なら、この先の人生で出会う愛する人全てに彼の虚像が反射しているのだろうか。思い出との正しい訣別の方法がわからないまま、自分の愛の正しさを疑いながら生きる今、私は誰かを真っ当に愛していると言える資格がない。
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