見出し画像

熱海月面調査

日本でいちばん月が綺麗なのは、熱海だと思う。

高校3年生の2月、卒業制作のデータ入稿に追われていたところに訃報が飛び込んだ。もう何年も会えていない静岡の下田に住む親戚。その葬式の日取りは入稿締め切りの翌日だった。

締め切り当日、ほぼ何も食べずに作業する私を見兼ねた母が手伝ってくれたはいいものの、あまりのもたつきにブチギレられながらようやっと入稿できたのは深夜2時。下田へ出発する時間まで残り30分を切っていた。早朝から始まる式に遅れまいと早めに移動を始めたいせっかちな叔父の意だった。いくらなんでも、と異を唱えようにも移動する車を運転できるのは叔父しかおらず、渋々最低限の身支度でプリウスに飛び込むこととなった。

疲労困憊を二乗してもまだ収まりきらないだるさに打ちのめされながらぼんやりと眠る街の光を追う。首都高を通り過ぎると途端に光量が減る。すっかり眠りこけた世界で、真黒な水平線に小魚の群れのようなきらめきを見つけたのは夜が明ける少し前だった。魚は、月の光だった。家のベランダで見るよりひとまわりも大きな月が静かに海を照らしている。機械文明のこの街にこれだけ絶対的な自然があることが信じられず、車窓を吐息で曇らせながらじっと光を見守った。

ズタボロな夜を味わっても、変わらず月は浮かんでいる。人は死んだら星になるというまったく科学に反した俗説が、なんのために今日まで残り続けているのかわかる気がした。これから荼毘に送るおばさんもあれになるんだな、とようやく眠気が訪れた頭で船を漕ぐ頃には月は消えていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?