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4ヶ月、毎週note更新を続けたあとにプッツリと2ヶ月半、note更新が途切れていました。こんにちは。

タイトルの通り、とても久しぶりなnote更新です。

そもそも、なぜ最初にnoteを書こうかと思ったのか?

自分が会社員を辞めて、地方でのんびり働かない個人事業主としてやっていこうと思ったときに、
同じような選択肢を取ってみたいと思っている人に参考になるといいな、という気持ちと自分の備忘録を兼ねて更新し始めたのでした。何かしらアウトプットしたい気持ちがあった、というのもあります。

ではなぜ、更新が止まってしまったのか。

上記の気持ちがあったものの、それが強いわけではなかった。他の活動とリンクしているわけでもなく、頑張れる気持ちが薄まっていった。
自分の一番読んでいただいたnoteは以下のものだけど、

4本目に書いた(ちょーど1ヶ月目くらいの計算になる)ものが一番読まれてて、これ以上書いて意味があるんか?と思ってしまった部分もある。

あとは、実名のアカウントでnoteを一本だけ書いたんだけど、前職の方々にシェアしていただいたこともあって上のnoteと同じくらいのviewをあっという間に稼いでしまった。

リア友含めて各方面に反応してもらったのはとても嬉しかったんだけれども、結局俺は何のためにやってるんだ…という気持ちが強くなってしまったんだと思う。

実際更新が止まる寸前にも同じようなこと書いてたし、ずっとそれを課題感として持っているということだなあ笑


当初想定していた目標を達成していないわけじゃない。

 ・自分の備忘録
 ・近い境遇の人が読んでくれる
これらの想定していた目標は、別にどちらかというと達成できていると思う。

じゃあ何が不満なの?というと
 ・数十〜数百 程度の閲覧数を少ないと感じている
 ・どうすれば人の助けになるのか見えていない
 ・届けたい人に届けるべき努力をしていない、届いてる実感がない
ということなのかなと思う。


自分が宮崎で1ヶ月住んだ、とても気に入っているシェアハウスのnoteを書いた。

このnoteを書いてから2ヶ月後に、またこのシェアハウスに戻ると、なんとtwitterから僕のnoteに辿り着いて、このシェアハウスに入居することを決めて住んでる人がいた。
すごい嬉しかったし、書いた意味があったな〜と感じられた。

マーケティング的観点でいうと、届ける母数もやっぱり大事なんだけれど、その届いている中にどれだけ本当に興味がある人、行動する気がある人がいるのか、ということも大事になる。

そういう意味では数に縛られているのは馬鹿らしいことだな、と思いつつ、
自分の活動をもっと包括的に、なにかこう設計する必要があるのかな、と感じたりしている。


ま、そんな難しいこと考えずに、書きたいことを書いて、やりたくなりゃやればいいじゃん、といわれたらそれもごもっともなんですけれども。
これこそ「なにか意味があることをやらねばならない、」という〜〜すべき病に囚われている証拠ですね😦


そんな感じの近況報告でした。


冬は当初の予定通り、雪国でほぼ毎日スキーをする生活をしております⛷



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