掛け替えがとにかくない日々

1番遠い記憶の音楽はm-floのcome again
母が昔ずっとm-floを聴いていた、私が産まれる前からだという

中学の頃にm-floのcome againにたまたまたどり着いて聴いてたらなんだか懐かしく思えて
忘れていた幼少期の記憶が鮮明に目の前に現れたことがあって、「音楽ってすごい」とその時初めてちゃんと思えた。
記憶想起スイッチともいえるのかも

小さい頃、母が夜私を連れて
工場地帯の近くのコンビニの駐車場に連れていった、という記憶である。
工場夜景が何故か好きで、それを見ると
どんなに酷く泣いていても泣き止んだという。
その時車で流れていたのが、多分、いや、母に確認をとったら驚かれたので確実に、m-floのcome againだった

中学の時に、工場夜景の写真を集め始めたり m-floを聴き始めたりした。小さい頃の記憶がふと甦ったというよりも
何となく生まれたまもない記憶、遠い過去に戻りたいと思うような時期だったのかも。(この時期、自律神経を病むなどして結構しんどい時期だった)

今でも工場夜景を見ると、無性に得体の知れない不安に駆られて眠れなかった中学生の時の夜感情や
泣きわめきながら夜の道路を走る母の車で揺られた感覚を思い出す。m-floのcome againを聴いても、同様に

でもそれでも、時々胸の奥が当時を思い出してチクッとしたり鼻の先がツン冷えるような感覚になったりもするけれど
工場夜景とm-floが私にとって「嫌なもの」「嫌なことを思い起こさせるもの」ではないのである。正確に言えば、そうだった時もあるかもしれないけど、そうではもうなくなったのである。
なんなら、その痛みや凍えすらも私を構成する感受性・感性の1つだと思って丸ごと包み込むことができるような気概が 今はめきめきとある!からである。

だから今でも夜高速道路を走ると目に入る工場夜景に心を奪われてしまう、m-floのcome againを聴きながら通学・通勤したりもする。
その時のキュッとした感覚が、大人になった証であり心の成長痛みたいなものの1つなんだろうな。

両方大好きです🫶
私の人生の要所要所で必ず存在感を発揮していたから。最近m-floはprismという曲ももっぱら好きで聴いている。 宇宙に行きたくなる、m-floを聴くと、あ、工場夜景を見てても宇宙に行きたくなるかも。私は宇宙に行きたいのかもしれないねー、、、


本日はそんな母と旅行をした。
22になったけど、母と2人で「旅行」をしたのは
正直初めてかもしれない…

お寺を参拝したり自然の中を散歩したり
私の空想・想像好きや何でも比喩したがるのは圧倒的に母譲りなのだが、今日も独特なセンスを見せてくれて この人といると面白いなと思った。でも、もしも出会い方が違っていたら(もしも、も大好きな人こと私)面白いなと思っていたのかな?とか思ったりした

(母は、今日寺を参拝中空を見上げて「肺のレントゲン写真みたいな雲」などの感想を述べていた)

(母は、カフェの窓辺の席にて 射し込む陽の光に揺れるプリンを愛おしそうに眺めていた)

初めて本格的な旅館に止まって、いじらしくも緊張しながら中に入り
各々好きなことをしながら過ごした。
母はウロウロと動き回って韓国ドラマを見て
私は編み物をして本を読んで
こういう風に時間を忘れて感覚に身を任せて過ごすのはいつぶりだろう、と考えた

そして母は常々「あたし、江戸時代なら寿命超えてんだよ!」と言うのだが(…)
たしかに、人生百年時代の半分をとうとう過ごした母。あと何回こうして旅行ができるだろうか、などとも考えた。今回は折半旅行だったけど、いつか私のお金で連れていきたいものだなとか思ったりもしたりしたのである(恥ずかしいのでごにょごにょ喋る)

今日食べたお刺身が、私が生きてきて食べたお刺身で1番美味しかった。あのお刺身たちを口に入れた瞬間、私がもしも漫画の中の生き物だったら次のコマで目の中ハイライトいっぱいだっただろう。
おさしみ、おいしい…… 今はまだ胸がいっぱいで感情が溢れ出し、それを象る語彙が追いつかない。このお刺身がいかに美味しかったのか、語彙力が私の元にまた追いついてくれたらいつか書き記したいと思う。

母が食事をしながら、ぼそっと「幸せー」と言った時に少し泣きそうになった。
最近母は職場でありがたいことに昇給したものの抱える仕事や責任に追われていたり
友人の不幸があったり そういう姿を見ていたから。それでも笑顔でいようと努めてくれて、最近は 母の本心はどこにあるのだろう 母は今幸せだと思えているのだろうか。などと感じていたから。 よかったなと思った。具体的な言葉や感情よりも「よかった」と

母がグゴグゴ…いや、スヤスヤと眠っている傍ら、これを書き記している。なんだか本当にいい一日だと思った。空が異様に澄み切っていた、旅行後の私の心を暗示していると捉えてもいいかな きっとそう!

明日からもその先からも、これからもずっとずっと母 それから家族の人生の瞬間の中で
それが刹那的であっても爆発的なものであっても壮大に「幸せー」と思わず口から漏れ出てくるようなそんな日々があるといい。もちろん、✨私✨にも。

2人で引いたおみくじは大吉だった。
幸先いいじゃん!

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