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そこそこやれてたスタイリストをやめて家事サービスを始めることになったわけ

私は個人で事業として家事サービスをやっています。

家事の仕事、特に掃除は重労働の類だとやってきて思います。
他人の家で制約のある中で全力集中して段取りを考えながら仕上げるのは体力も神経も使います。

私はかつて大きな出版社の女性誌や有名企業の仕事を手がけるスタイリストでした。当時は雑誌や広告は人気の媒体で責任は重くてもやり甲斐があり、素晴らしい人の中で自分の選んだ仕事を楽しく(苦しく)やっていたので、仕事が辛いものだと思ったことがありません。

子供が小さかった頃 親族に頼る人がいなくて、離婚した時に元夫の負債も抱えた状態で自立することが必要でした。公私共に嵐のように多忙でうちにはシッターさん、家政婦さんと入れ替わり立ち替わり色々な方に来ていただいて家事や育児を手伝ってもらっていました。

親身になって下さる方もいる一方で、
見ていない時にサボる人、お金を盗むような人もいました。あからさまに子供に冷たい人、忙しい中息子に風邪をひかれたらとピリピリしている時に断りなく自分の子供を連れてきちゃう人など第三者が見ていない家庭という仕事環境の中では驚くようなサービスが行われていることがわかりました。

このサービスにおいて何が問題で人が人に対してそのようになってしまうのか、またどうしたら相手の立場に立って考えるサービスが実現できるのかものすごく考えました。

まず自分でやってみようと有名無名幾つかの会社に登録して1年余り目標1000件で働いてみました。ギャグか!と思って面白がってましたけど、ダッサい作業服を着る会社もあり、汚くなるしクタクタに疲れます。朝は神奈川県にいて夜は千葉県に居たり、疲労と強い洗剤で幻覚が見えたこともありました。なのに朝昼晩3件やって月に25万がやっと。請負なので経費がここからさらに引かれます。

実際に手を動かす人が受け取る報酬が労働の重さに対して低く、そりゃ見合ったところで手を抜くのは仕方がないことだねと気がつきました。

世帯収入が上がりすぎないように調整したい主婦にとっては報酬は多くない方が都合がよく、それ以前に家事というのは主婦や母親が文句も言わずに無償で担ってくれるのが当たり前でした。家事労働が高く買われるはずがありません。

テキパキに参加するとき最初はみんな目を輝かせます。なので業界の中では私の支払う報酬は多い方なのかもしれません(中には求められるレベルがキツくなってしまう人もいます)。価値ある仕事をしてお客様から喜ばれることに嬉しさを感じる経験をしてもらいたいという願いを込め、いいループになればなと思いながら毎月スタッフにお給料を払っています。

お客様にありがとうと言われ、その方の人生の出来事をお話していただくこともあり、それまでやっていた仕事とは違う普遍のやりがいを感じます。シングルマザーとして孤独と闘い悩みながら生活してきてこれこそ本当に助けが必要な人を救えるやりがいのある仕事ではないかと思い、大きくなったり小さくなったりしながらですが 丁寧に事業を育てています。

恵まれているように見える方でも人は痛みを抱えているものです。私たちのサービスで心を和ませ、良い面に目を向けて頂きたい、単純にそう思うのです。

来年で15年になりますがその気持ちは全く変わりありません。

 

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