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絆創膏カレーライス

親と子を繋ぐ”魔法の料理”がどの家庭にもあると知ったのは、母が死んで五年がたったある夏の日のことだ。
今日は月に一度設けられた、僕の好物のカレーライスを妻が作ってくれる日だった。

階下で、妻の大きな怒鳴り声が聞こえて、驚いた僕は執筆部屋を出て、リビングへ向かった。ドアを開けると、五歳の息子が跪いて大声で泣いている。
僕たち四人が食卓を囲む大きめのテーブルに、ボロボロになった父のガンダムのプラモデルが置いてあった。
「だから、これは危ないって言ったじゃない!」
裕翔を叱りつける妻の手には、最近息子に買った、某隊の日輪刀(確か、水の呼吸モデルだったかな)が握られている。
「これは没収!」
妻は息子の日輪刀を台所の上の棚に直した。裕翔の喚き声が一段階ボリュームアップする。
息子の大泣きを見ても、妻は断固として返そうとしない。息子がいつか、誰かを傷つけないように。これがダメなことだと、身をもって知らせるために。この人と結婚して本当によかったと思う。
息子の泣き声が、鬱陶しいようで懐かしい。僕も昔、こんな子供だった。妻の強気な姿に、昔の母を重ねる。
「ほら!おじいちゃんに謝りに行くよ!」
息子の手を取り、無理矢理二階へ連れていく妻を僕は制した。
「まぁまぁ母さん。ここは僕に任せてよ」
僕の仕事上、子育てはずっと妻に任せっきりになっていた。こういう時ぐらい、父の役目を果たさないとどこかでバチが当たる。
「裕翔、父さんと謝りに行こう」
息子が、スンと泣き止んだ。妻は、不服そうな様子で再びキッチンに立った。
リビングに、香ばしいカレーライスの匂いがしている。


「おじいちゃん、ごめんなさい」
「おじいちゃんはかまわないさ。裕翔とお母さんにケガがなくて良かった」
父はそう言って息子を抱きしめる。
息子の温もりを感じていた父だったが、しばらくしてゴホゴホとむせはじめる。
「薬いる?」
「あぁ、すまない」
机に置いてあった2つの錠剤を手に取り、差し出す。錠剤を口にした父は、少量の水を口に含んだ。父も、もう長くないはずだ。
「裕翔、大丈夫さ。裕翔の父さんも、よく婆さんに怒られていたから。な?」
父が僕の顔を見ながらそう言った。
「よく覚えてるね。そんな昔のこと」
僕は父の言葉にとても驚いた。父は昔から、僕と母の大喧嘩に目もくれず、プラモデルと睨めっこをしているような人だった。
「まぁ確かに、よく怒られたよね」
「あぁ」
「その度に出てたよね。カレーライス」
「懐かしいわ…」
三世代を揃えたこの狭い空間に、生ぬるい風が吹く。


僕は、本当によく怒られた。
当時の僕は、戦隊モノが大好きで(具体的な名前を出してしまうと、年齢がバレてしまう可能性があるのでここでは割愛)今の息子と同じように、暇さえあれば剣を振り回していた。
その度に家の壁を傷つけて、僕は母を怒らせた。
「何回言うたらわかるんや!お前は!!」
脳天に母のゲンコツを喰らい、痛みを我慢できなくなった僕は大声で泣き喚く。
「あんたが悪い!また、管理人さんに怒られるやないの!」
母は日々のストレスぶつけるかのように僕を怒鳴りつけた。(そうではないことぐらい、今になればわかる)
それが悔しくて、僕はまた泣いた。
そんなことを、僕らはほぼ毎日ルーティンのように繰り返していた。

でも僕は、母さんと喧嘩をしたまま眠ったことがない。母さんと僕を繋ぐ”カレーライス”が僕たちの仲を取り持ってくれたからだ。
僕を叱った後、母はいつもカレーライスを作ってくれた。
出す時は何も言わない。
「これ食ったら、仲直りな」
カレーライスに込められた、母の無言のメッセージだった。(当時は正直、不服だったけれど)
食べ終わると、僕たちは何事もなかったかのように話し始める。
僕は母に、完全に手懐けられていたわけだ。(そういえば、そんな僕らを見てクスクスと笑っている父を、見たような見ていないような…)

僕が中学、高校になっても、母は変わらず僕にカレーライスを出した。
夜の街を走り回って警察にお世話になった日も、大切な人を守ろうとして誰かに手を挙げた日も、母は僕にゲンコツをお見舞いした。そして食卓には、やっぱりカレーライスが並んでいた。
今思うと、あの頃はこのカレーライスが母との唯一のコミュニケーションだったと断言できる。

夢を追いかけて家を出ようとしたあの日も、母は僕にカレーライスを出した。
母は鬼の形相で僕に向かってきたけど、あれも僕のショックを和らげるためだったと今なら分かる。
最後には、僕を送り出してくれた母。手渡された小包には、温かいカレーライスがパンパンに詰め込まれていた。その時ようやく、このカレーライスが世界一だということを思い出した。

母が倒れた時、初めて僕がカレーライスを作った。
母は「あんまりおいしくない」と言って僕のカレーライスを五杯も平らげた。穏やかな父も、さすがに心配していた。
その時初めて、妻を紹介した。 
母は本当に嬉しそうに
「カレーライスの作り方を教えたい」
と言っていた。今では、妻が母のカレーライスを完全再現して、僕たちの食卓を支えてくれている。

母が、最後にカレーライスを作ってくれた。
僕も、父も、最後だと分かっていた。だから、何杯でも食べようと思っていた。
でも結局、三杯で終わってしまった。あの時、もっと食べられたはずなのに。僕は、まだ少し後悔している。
妻が子供を産んでくれた。母の死ぬ前日だった。
孫の顔を一目みた母は、満足そうにこの世を去った。

今思うと、母との思い出のほとんどが怒られたことだ。でも、その度に出るカレーライスはどの料理も勝ることができない。
そして、息子が母を上回ることも、一度もないのだ。

「おばあちゃんと父さんは、ずっとあのカレーライスで繋がっていたんだ」
気づけば僕は、息子にゆっくりと語りかけていた。
息子は、僕のバカみたいに長い話をずっと頷いて聞いていた。成長を目の当たりにして、言葉では表せない喜びを感じる。
「裕翔も大きくなったらきっと分かる。母さんは、裕翔が大好きだから、裕翔が大事だから、怒っているんだ」
裕翔は、少し首を傾げる。
「父さんには分かる。そうだろ?じいちゃん」
「あぁそうさ。じいちゃんも父さんもそうだったんだ。裕翔にもわかるよ」
「うん!」
父の言葉に、裕翔は首を大きく縦に振った。
じいちゃんはせこい。じいちゃんは孫に嫌われることはないから。でもそれは、嫌われ役を終えた後の細やかな贈り物だろう。僕はこれから、父のように嫌われ役を全うできるだろうか。やってみるしかないけれど。

「僕も、お父さんとおばあちゃんのカレーライスを作りたい!」
多分これは、妻と裕翔の間にも、傷口をふさぐ”絆創膏のような料理”があればいいということだろう。
「それはいい考えだ。明日、母さんに作ってもらおうか」
「うん!」
裕翔は大きな声と共に頷いた。
「何がいい?」
「ハンバーグ!」
「分かった。じゃあ今から、母さんに言いに行こうか」

ちょうどよく、階下からご飯の知らせを告げる妻の声が聞こえた。


リビングに入って、僕は驚いた。
そこに並んでいたのはカレーライスじゃない。そう気づいたと同時に、裕翔が大きな歓声をあげる。
「ハンバーグだ!!」
あぁ、これだから母というものには勝てないんだ。
母というのは、僕たち男の気持ちをすぐに読み取ってしまう。本当にすごい。すごいよ。
「当たり前でしょう?」
母さんの声が、どこかから聞こえた気がした。
そうだよね母さん。あなたの料理で、僕は大人になったんだ。僕のことなんてなんでもお見通しか。

「今日はカレーじゃなかったの?」
妻を冷やかすように、僕はそう言った。
「あら、じゃあ食べない?」
「ごめんごめん。食べるよ」
僕は慌ててイスに腰を下ろす。
続いて父、裕翔、妻。家族四人が、全員席に着いた。
「じゃあ、食べようか」
それぞれの声を揃えて、僕と息子はそれぞれの母に感謝を言った。


「いただきます!」
「いただきます!」

「はい、どうぞ」



表題曲
魔法の料理〜君から君へ〜/BUMP OF CHICKEN

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