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「仁美ちゃん、この朝顔の種は、応接間の引き出しに入れておくから、おじいさんが死んだら、それを仁美ちゃんが植えるんだよ」
自宅の庭で交わした私と祖父の約束。とても大切な約束だったはずなのに、私は、その約束を守れなかった。
どうして守れなかったんだろう。
何よりも大切な約束だったはずなのに。
父方の祖父が亡くなったのは、1994年8月20日で、私は、1986年12月23日生まれだから、当時私は、7歳だった。
もうひとつ、父方の祖父と交わして守れなかった約束がある。それは、大学に行く約束。
「仁美ちゃんは、頭がいいから、大学に行かなあかん」
父方の祖父だけがそう言ってくれた。
私は、知的障害児だと思われていた。
当時通っていた幼稚園には、ことばの遅れや発達の遅れがある園児が通う通級学級「ことばの教室」があり、私は、そこに通級していた。
薄い煎餅のようなものを囓って、いろんな形を作ったことを覚えている。
幼稚園の先生たちは、私のことを「みんなと同じことができない子」として接していた気がするけれど、ことばの教室の先生は、私にできることを探してくれていた気がする。
たとえば、幼稚園の先生は、お遊戯でみんながダンスを踊っているとき、ダンスを踊らない私の前で張り付いた笑顔を作りながら、体を屈めて、私の方をじっと見て、ダンスを踊るよう促していたけれど、ことばの教室の先生は、そんなことはしなかった。
私がダンスを踊りたくないと思っていると気づいてくれていたんじゃないかと思う。
私は、あの頃から今もずっとダンスが苦手だ。
朝顔に向かって、「おい、なんでお前はダンスを踊らないんだ」と言う人はきっといないだろう。
微かな朧気な記憶を話すことが許されるのなら、父方の祖父が亡くなった次の年、私は、朝顔の種を植えようとしていた。父はあのとき、なんて言ったんだろう。
「そんなもの植えてどうするんだ」「そんなもの芽が出るわけがない」
私は、朝顔が好きだ。
朝顔が好きだから、朝顔が見たいから、朝顔の種を植える。
それをどうしておかしいと言うの。
あの頃の私は、朝顔の種を植えることで、大学に行くことで、未来が開けると信じていた。
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