見出し画像

相容れない。

今日もまた、愚痴のような話になるのだけれども。
いまの職場に転職して、いま1年になろうとしているのだけれども、
職場の人と相容れない。
なんとか、コミュニケーションをとる努力をしているけれど、
1番連携をしなければいけない人と、全く相容れない。

相手の人が凄く嫌な人なら、それで済む。
あの人は、こうだから嫌なんだ、って自分が納得できる。
けど、嫌な人じゃない。
どちらかというと、私のほうが嫌なやつなんだと思う。

実際に相手からは、『悪い人じゃないと思うけど、なんか嫌』
と面と向かって言われた。

正直、こういうことを面と向かって言われることも
相容れない原因かもしれない。
嫌ならそう思っていてもいいけれど、別にわざわざ言わなくてもいいよ。
ってすごく嫌な気分になった。

でも、そういう人なんだと思うし、この私にとって嫌な部分だけで、
この人が嫌いだなと思うわけでもなくて、
嫌な気分になると同時に、そういうこと言えてすごいなぁと
尊敬にも似た気持ちもある。

嫌いじゃないけれど、日に日に嫌いになっていく。
あからさまに、私にだけ機嫌の悪い受け答えするとか、そういうことの
積み重ねがもう嫌。

でも、こうなったのはわたしが入社したてのころ
コミュニケーションを怠ったからだとも思う。

若いころのコミュニケーションとは、もう三十間近な今では違うのかもしれない。
コミュ障気味だけれど、これまで人間関係で困ったことはそんなにない。
幼稚園のころ、無能すぎてハブにされたくらいで。
あとは、何度か転校もしたけれど、それほど人間関係で苦労はしなかった。
いつも、誰かとは仲良くなってその人と頑張ってきた。

いまの職場は、仲良くなれる人が見つからない。

もしかしたら、いままでコミュニケーションに苦労しなかったのは、
周りの人が凄く気を使ってくれるひとばかりだったかもしれない。

たしかに、これまでの人生、周囲の人には恵まれすぎるくらい恵まれてきたとおもう。
要所要所で、困ったときに助けてくれる人が必ず現れた。
困って解決できないときは、長けてくれる人がいたように思う。

もしかして、いまの扱われ方が私に対する普通の人の対応なのかもしれない。

もしかして、わたしって普通は嫌われる人間なのかもしれない。

この1年、アドラーとかNLP関連の本を読んだりして、
嫌われてもいいとか、色々少しずつ試しているけれど、なかなか難しい。

でもひとつわかるのは、このコミュニケーションのだめさは、
相手じゃなくて自分に問題があるということだと思う。

相容れないと私が思っている人は、とっても優秀にみえるひと。
わたしは、有能だったり優秀だったりする人にすごくコンプレックスがある。
それこそ、幼稚園の時に無能すぎてハブにされていたことに
由来するんだとは思う。

私は幼稚園のころ、無能すぎてハブにされていた。
いじめられていたとかではない。
大縄跳びが飛べなかった私は、休み時間にみんなで大縄跳びしている仲間に入れてもらえなかった。その上、『がしーちゃん、飛べないからあっちいっていてて』といわれる。
帰ってから、必死になって縄跳びの練習をして飛べるようなったけれど、
それはたぶん、トラウマ。

小学生で何度か転校をして、中学になって幼稚園時代の同級生と再開して
高校受験でその子より偏差値の高い高校に合格した時、
このトラウマは克服したと思ったけれど、ずっと克服できずにいるみたい。

有能な人が怖し、有能な人に自分ができない能力について
叱責されると、もう身動きが取れないし、思考がフリーズする。

きっとだからこの人と相容れないんだと思う。
理由はわかるのだけれど、どうにかこの相容れない人ともうまくやっていかなければならない。
だって、大人で、この会社でお給料もらっているから。
お給料分は働かなきゃいけないし、この人とちゃんとコミュニケーションをとることも
仕事の一部だから。

でも、毎日気が重い。朝から、ああ嫌だと思う。
どうせ今日も、不機嫌な声で返事されるし、不機嫌な対応を取られる。
と考えるだけで、本当に気が滅入る。
そして、不機嫌な声で話しかけれらると構えて、
失敗してしまう。

失敗してしまうと、もっと有能な人にならなければ
わき目もふらずに、没頭してしまって、また呆れられる。

わたしが私と闘っている、ただそれだけなのだけれど。

でも、不機嫌な声で仕事してるってありえなくない?

と相手を責めることばが心を満たしているので、ここで吐き出してみた。
私がいま言いたいことは、これなんだと思う。ああ、すっきりした。

毒を吐かないから、心に毒がたまっていく。
ああ、私の悪い癖だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?