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自己肯定感を上げるとか引き寄せの法則とかどうなの?

ほとんど読まれていないので、気軽に書けるのが note のいいところだなぁとポジティブに捉えるようにしている自分です。こんばんは。

ガジェットの話とは関係なくて恐縮ですが、タイトルについての話です。

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世の中、自己啓発的なものって溢れかえっていますよね。
それは全然いいのですが、自分はどうしてもそのようなものは懐疑的に見てしまいます。

こういう話題って、自分を「好き」だの「許す」だの言いますが、言うは易く行うは難しの典型なんですよね(個人の意見です)。
引き寄せの法則とかも「あると思えば、すでにある」とか言うのですが、「ないものはない」のです(個人の意見です)。

最近のなんちゃって科学本みたいなものだと、「量子力学」を引き合いに出して、「願えば叶う」的な超絶論理展開をするものも多くあります(何冊か読んでみたけど、みんな同じことが書いてあった。しまった、連中の売上に貢献してしまった)。

それに、この手の話の人はなぜか公式LINEに誘導したがったりしてるからね。なんだかんだいって金儲けに囚われているじゃないか。
豊かな精神性は何処へ行った?

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そんな愚痴はともかくですね。どうしても懐疑的になってしまうのは、次の理由からです。

私は何一つ叶っていない。

シンプルですね。体験できていないから、信じられないのですよ。
でもそれは、「信じ方が足りないからだ」と言われると思います。
本当にその通りなのです。否定しません。そうなのです。

これらが言っていること(量子力学は除く)って、結局は、
自分を信じ切れるかどうか?信じ切れた人は成功する
ですからね。信じ切れば救われる。

でもね、そんなの理屈じゃわかってるんですよ。
どんなに頑張ったって信じ切れないから困ってるんですよ。
アル中がアルコールの危険性を頭で理解していても、酒のやめ方がわからない。みたいなものですよ。

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だからその信じ切り方を教えろって話です。
しかし、そんなの無理な話ですからね。人の心の話ですから。
なので、過大な謳い文句(「必ず叶う」とか「すぐにでも運が開ける」)は、随分と無責任の話に聞こえてしまって、どうしてもこの手の話は白けてしまうんです。

捻くれているのはわかっているのですが、仕方ないです。
でも、この手のものを無邪気に信じるのは危険だと思うんですよ。
「自分を信じ切る」という行為はあくまで自分に依存していることで、自分がクリアしない限り、誰も助けてくれないから。

依存すると「助けられない」ことに対して逆恨みしちゃうかもしれないしね。危ないですよ。本当に。

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なので、日々を丁寧に過ごしつつ、今日を大切に生きていくことが大切だと思うのです。
チープな結論になってしまいましたが、そんな風に思う次第です。

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