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知ること、知らせること

知らない、ということは恐ろしい
私がそれを実感したのは、出産にまつわる諸々

一つは、先天性心疾患の判明
いつも通りの定期検診の日、当時の主治医が、いつもより念入りにエコーをチェックしながら、首を傾げていた
そして、次の予約日として指定されたのは、一週間後
夫婦揃って来て欲しいとのこと
渡されたのは、大学病院への紹介状

最初はどうしようもなく不安で、落ち込んで、沢山泣いて、の毎日だったけれど、今思えば早めに見つかって色々な面での準備ができたのは良かったと思う

あのとき気づいてくれて、転院関係の諸々の手配を急いでしてくれた、当時の主治医の先生には、どれだけ感謝しても足りない
もし転院していなかったら、そして実家側の説得に負けて里帰り出産を選んでいたとしたは、きっと娘は今ここにはいなかった

そしてもう一つは、羊水検査
当時は羊水過多と胎児異常のため管理入院中
その中で、お腹に針を刺して余分な羊水を抜く処置が必要だった

その際、体から抜いて廃棄されるだけと羊水を検査に出すことを、主治医から勧められた
なかなか胎児が大きくならず、かといってエコーやMRI等の検査でも何も出てこない、さあどうしよう‥というタイミングでこの提案

ちょっと何を言っているかわからない
この週数で異常が見つかったとして、どうしろというのか
私たち夫婦は、最初は検査は受けないつもりだった
そこそこ費用もかかるし、判明したところで何か出来るわけではない

でも、そんな中主治医は言った

もしも染色体異常が見つかった場合、内容によってはその後のことも考える必要がある
産まれた後は自然に任せるのか、できる限りの延命をするのか、生まれてすぐに判断するよりも、じっくり考える時間があったほうが良い

なるほど、確かにそうだ
病院側でも、準備の時間があった方が良いだろう
そして夫婦でもう一度話し合い、検査を受けることを決めた
結果が出るまでは、最初数日こそ検索魔になったり、よくないケースばかり考えたり‥思い詰める方向だったけど、そのうちに「考えても仕方ない」の境地に至った

思えばこのパターン、心疾患の告知あたりとよく似ている

その後速報として異常なしとの検査結果を聞いたとき、話している最中は冷静に振る舞った(つもりだった)けど、いざ一人になってみると力が抜けた
考えても仕方ないと納得したつもりでも、頭と心の片隅にはずっと引っかかっていた

これでひとまず安心して出産に臨める、そう思った矢先の緊急帝王切開

元々、その数日後には計画的に分娩する予定だったとはいえ、月が変わる前の出産は想定していなかったので、色々と焦ってしまった
誕生石関係の記念品を、先走って発注していなくて本当に良かったと思う

そして、検査の正式な結果が届いたのは緊急帝王切開による出産から数日経過してからだった

恐れていたものは見つからなかったけど、あの時考えた諸々のifは無駄では無かったのだと思う

思えば、私たち家族が関わってきた先生たちは、本当はこんなことを伝えたくはなかったのだろう

転院の話も、病気の話も、緊急時には母体優先という話も、長く一緒にいられない可能性についても

それでも、伝えてくれたから今の私たちがある

これからも私たちは、娘のことで取捨選択を繰り返す
そのときに、少しでも後悔しない選択をできれば良いと思う

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