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舞台『性年バイバイ』(劇団ユニット愚者愚者)を観てきた!

 ユーキース・エンタテイメントが贈る<ユーキースショーケース>の人生劇場第一弾である舞台『性年バイバイ』を観た。脚本・演出を手掛けるのは『劇団ユニット愚者愚者』の久我真悟さん。キャストAとBの公演は全日程が事前予約にて完売、当日観劇を希望する場合はキャンセル待ちとなるが、ツイキャスによる有料配信をA・Bともに視聴することもできる。※増席の案内をする場合もあるので、公式や役者のTwitterをチェック!

 ※個人的な感想です。

『性年バイバイ』キャストのサイン入り脚本2,000円

物語の概要
夜の世界に生きる者たちは皆、何を求めて生きているのか。人の欲が渦巻く世界に飛び込んだ青年は欲にまみれた人間の本来の姿を目の当たりにして、この世界は醜いものだと絶望する。|しかし夜の世界に触れていくうちに、その世界に生きる者達の人生、生き様、愛の深さを知り、次第にその世界に生きる者に惹かれていく。本当の愛とは、偏見が無い世界とは。

『性年バイバイ』フライヤーより転載

 もっとざっくり大筋を言うと、妹が抱えている多額の借金を肩代わりするため男性用風俗(男性が男性を求めるウリ専の店舗)で働きはじめた聡(さとし:源氏名はカケル)がアダルトな " 奉仕 " を通してこれまでの価値観を見直しアップデートしていく。長く交流のある親友(康雄:ヤスオ)の彼女も風俗店で働いているが、そのことを隠している。他にも、店舗で働くキャストやそのお客さんが登場する。

キャストAとBで印象が変わる

 この物語で、「他人が全員じぶんと同じ価値観で生きているわけではない」「立ち位置が変われば見える景色も変わるし、同じところにいたって感じかたは人それぞれ」「思い込みで他人を決めつけ我知り顔で語るのは滑稽(こっけい)だ」というメッセージを感じとったが、観劇した皆さんはどうだったのだろうか。

 あるシーンをAキャストで回想すると、「仕事なら他にいくらでもあるのに俺なにやってんだろうっておもうことはある。でも、誰かがやらなきゃいけないからやる。じぶんに向いてるかどうかなんて気にしなくていいんだよ」と、職業に貴賤はないと言いたさげな聞き分けのいい善人ムードの男性(聡の親友・康雄、低賃金労働者であることを自覚しておりコンプレックスがあるようす)がもっとも風俗の仕事を見下しており、業務内容を通して人格を否定する。周囲の考えは遮断し、おのれの正論を武器にガンガン怒鳴りちらかす。怒りのままに暴言を吐き、ひとりで勝手にきもちよくなっていそうである。「常識的に俺が正しいんだからみんな俺の理屈にあわせて生きるのが当然だろ? それができない汚いヤツは近寄ってくるな!」と、全力で自己防御しているようにさえ見える。わめけばわめくほど視野の狭さが露呈されて見苦しいのだが、どちらかというと彼の主張のほうが世間一般的には認められがちなのも確かである。おもしろがってはいけないのかもしれないが、一見オモテうらがなさそうな人の建前と本音のギャップがモロ出しになる瞬間を演劇で見せてもらえるのは痛快だ。きっと「彼は彼で正しい」といえるのだろうが、個人の持論で死ぬほど他人を殴っていいわけはない。ああ、この人とは一生分かり合えないんだろうな……、という絶望感に見舞われる。

 だが、同じシーンをBキャストで観ると印象ががらりと変わる。もちろん、台詞は一緒のはず。ただ相手を頭ごなしに否定しているように見えるAに対して、Bは「こんなにも大声をあげている本人がなぜそうなっているのか、何を大切にしているのか」を怒りや哀しみの強弱にあわせて想像したくなるし、してしまう。彼が信じてきた世界と目の前で起こっている現実には隔たりがありすぎて、もう後戻りできないラインまで全員が進んでいることに混乱しているんじゃないだろうか。親友がこれまでじぶんに言っていたこと、見せてきた態度とは別のものを急に知らされて、重心を見失いそうだから持論でふんばっているかんじ。怒りというより嘆きがデカくて、理解が追いつかないから扉をとじるしかないような。Aが威嚇による防御、Bが嘆きによる攻撃。ずーっと威勢のいいほうほど言葉で身を固めていて、「かつての俺たち」を持ちだす静穏さほど心に攻め入ってくるかんじがした。

 AとBに同じ温度でかんじる共通点は、「高校3年間を片思いで過ごした現在の彼女がめちゃくちゃ大好きで盲目的になっている」ことだった。熟成された恋心が実り、いつまでも変わらないでいるはずの「俺の彼女」が、じぶんには相談なく風俗の仕事で稼いでいる。ふたりの日々の経験が積み重なってできたはずのイメージが知らないあいだに実像とはかけ離れていたかんじだ。そばにいるのに、いちばん近いところにいるじぶんには何も知らされない。不信感や不安感が募り「俺のこと好きじゃないのかな?」とパニクるきもちは分かる。

 ただ、風俗店スタッフとキャスト側の態度が「理解しろとは言わないが、否定される筋合いはない」とはっきりしているのに対し、聡の親友である康雄は「じぶんの考えを理解してくれ、指示されるべきなのは俺だ」の一点張りに見えてしまう。どちらも、それぞれの立場で傷ついている。歩み寄るつもりのない康雄の激情はカラ回りするだけで、あのままでは決して昇華されないだろうな、とおもう。

 脚本・演出の久我さんに伺ったところ、やはり公演後に多少は演出を加えることがあるそうなので、どの日のABを観たかによって雰囲気が違う可能性がある。わたしは公演3~4日目のABを観た。あくまでも、わたしはわたしの感性でそのときそう見えたんだなあ……、こんな人もいるんだなあ、くらいにおもってほしい。

「正しさ」の共感度

 『性年バイバイ』に登場する人物は、本当に「みんな正しい、悪くない、間違ってはいない」のだろうか。わたしはそう言い切ってしまうのは少々なげやりで、態度が他人事すぎやしないかとおもう。リアルでこういう場面に遭遇した場合、「正しさの共感度」、つまりじぶんがいったい誰の感情や言い分に心から納得できるか?共鳴するか?によって、その立場の対岸にいる人物の考えは受け入れられない(=じぶんにとっては正しくない)ものになるはずだからだ。それほど明確なきもちが今ないとしても、どの立場に歩み寄りたいか?を考えたときゲージの濃淡くらいは付くんじゃないかとおもう。

 この舞台で誰かが糾弾されるとき、その場では「そういう見方もあるよね」「ナシ寄りのアリ」みたいな生ぬるいジャッジができる状況になく、是か非か、やるかやらないかの判断を急かし合うような展開に迫られる。

 わたしのなかで共感度がもっとも高いのは、聡(さとし:源氏名はカケル)だ。彼が決断をした行動に反発する人物2名のうち、ひたすら風俗の仕事を毛嫌いする康雄(やすお:聡の同級生)の言動は激しくなればなるほどコメディのように映る。冗談だろ?と笑い飛ばしたいきもちになる。ただ、こういうリアクションをする人が同じ世界線に存在するのはわかっている。できれば一度も接触せずに暮らしたい……と、女性用風俗ユーザーのわたしは内心おもっている。

 風俗で働くことに反対する人物には聡の妹である真希(まき)もいるが、彼女の場合は、「多額の借金返済のためじぶんが風俗業界で働くことになる可能性が濃厚だったが、芸能界で生きる道を諦めたくはなく、決して選択したくはなかった。しかし、知らないうちに実の兄が風俗業界の門を叩いてしまい、それによってじぶんの求めている未来が拓けた」というバックグラウンドがある。同じ拒絶でも、親友の康雄とは経緯や意味合いが異なるのだ。妹・真希の「身体を売るってどういうことか分かってる!?そんな仕事やめて!そこまでしてほしいなんて言ってない」という迫真の絶叫には、じぶんがもっとも進みたくなかった道に、じぶんのせいで兄を進ませてしまったという謝罪と後悔が見え隠れしている気がする。

風俗を利用するワケ

 男性用風俗の描かれかたをみると、キャストが女性か男性かを問わず「客(風俗店ユーザー)の性欲の発散」がどっしり大きくあって、キャストは自意識をいったん置いといてお金のためにその達成に付き合う、従う、相手をする……というのがよくある雰囲気だなとおもう。寄り添う、というニュアンスではあまり描かれない気がする(それを前提にした作品があったらぜひ教えてほしい!知らないだけなので)。

 先ほども伝えたが、わたし自身は女性用風俗(=女風)のユーザーであり、キャスト(=セラピストと呼ばれる)には心身ともにさまざまな面で救われている。利用のきっかけや理由は人それぞれだが、女風の場面は単に性欲の発散だけをしたいわけじゃないことが多い、というのはよく言われていることだ。もちろん、性欲の発散も大切な項目だが、プラスアルファで各ユーザーが抱えている「きもちが満たされる諸条件」をクリアできることがセラピストには求めているとおもう(実際わたしもそう)。

 そして、そのことは女風セラピスト側にとっては「風俗業界で働く大義名分」になるとわたしはおもっている。得意分野にあわせてTwitterのbio欄に「じぶんがどういうタイプのセラピストか?」を記していたりもする。何が言いたいかというと、女性ユーザー側の繊細な要望や複雑な欲求が先にあって、それを満足させることがヨシとされる感覚があるぶん、セラピストにとっては風俗で稼ぐことはマイナス感情からのスタートにはなりにくいだろうってことだ。そのあたりが、舞台やドラマなどでの男性用風俗キャストの語られかたや描かれかたとは雰囲気が違うよなとおもう。

 わたしは女風セラピストのようすならば多少はみているので、『性年バイバイ』での「風俗業界に対する世間からの理解のされなさ」に触れると悲しくなる。舞台で、田端(タバタ)という男性客が登場する。彼は、じぶんがゲイであることを表向きは隠しながら生きてきた。しかし、男性が男性に身体を売る「売り専」と呼ばれる風俗店を利用するようになり、じぶんがじぶんでいられる場所がようやくできたと泣く。風俗キャストの存在価値や真髄が、はっきりあらわれているシーンだとおもう。

 なんだかいろいろ書き殴っちゃったけど、本当におもしろかったな……。『劇団ユニット愚者愚者』の久我さんが脚本・演出する作品は、これからもチェックしていきたいな。