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【職場改善note有料マガジン】You are just a "Prisoner" of TIME.

【1】自由と縛りはどちらも相互に関係している

 ボクもあなたも、きっと何かに心を奪われている。 きっと何かに心を縛られている。 本当の意味での「自由」な人生とは、何にも縛られない生き方ではない。 何かに縛られているからこそ感じられるのが自由。 そして、「自由は有限」であり、「縛りも有限」なのだ。 あなたが何をもって自由とし、何をもって縛りだとするかは、その生き方に示されている。

 自由を求めていろんなことから逃げ続けたとしても、結局のところ人は必ず「時間」からは逃げることができない。 この世に誕生してから保育園、幼稚園、そして小中高(大)という時期を過ごす人がほとんどで、高校卒業時点では18歳、大学卒業時点では22歳、浪人することなく卒業するとすれば、22年という年月を「学び」に投じて社会に出ていく前に準備をするわけだ。

【2】日本の学校教育ではクリエイティブな思考は育たない

 学生時代を思い出してみてほしい。 毎日のように宿題を課せられ、春休みも夏休みも冬休みも、毎年のように宿題を課せられ、昔は年間1学期~3学期という節目に分けられていて、中間テストと期末テストを受け、その点数が何点だったかで学力を評価され、高校入試を受けて高校へ進学し、高校3年生は大学進学を目指して全国センター試験と大学入試を受け、合格すれば大学入学、 そして、専攻科目の講義を受けて課題やテストをクリアして単位を稼ぎ、大学4年には卒論に追われて必死に論文を作成し、提出して卒業する。

 小学校入学から高卒までの12年間と大学4年間の学業に関して言えば、ボクの経験上、学び方に大きな違いがあったことに気付かされる。 高卒まではほとんどが「暗記」で、算数(数学I、数学II)、国語(現代文、古文、漢文)、理科(化学、生物、物理)、社会(世界史、日本史、地理、倫理)、英語、このどれを勉強するでも日本の学校教育ではとにかく暗記することをメインに教育されてきた。 クリエイティブな思考を要求されない教育であったため、応用が利かない人が社会にどんどん排出されてきた。

 そしてこれは、マニュアル社会構築の根源となり、臨機応変に仕事をすることができない高学歴の人材は、マニュアルに従うだけの、ルールや規則を守るだけのつまらない働き方をするようになってしまった。 社会のグローバル化が進み、そういう働き方では対処しきれない事象にはどうしても臨機応変さが必要なのだということを国内でも多くの企業が気付き始め、その結果、学歴不問による人材採用へと形態を変化させてきた。

【3】学歴社会が終わりを告げ、資格社会が重視されるようになったわけだが・・・

 学歴が重視されなくなると、今度は国が定めた「国家資格」や一般企業が求める「一般資格」が人材採用の基準にされるようになってきた。 例えば日本規格協会によるQC検定は、2005年に第一回目の資格試験が実施された。 今となっては製造業のみならず、実に多くの業種で重視される資格の一つとなっている。 それも、社会的にも企業内部不正や不良品や異物混入した製品の市場への流出が後を絶たず、営利活動によって企業存続と社会貢献を目指す会社そのものの体質を是正するために敷かれた一つの基準である。

 しかし、実際はどうだろうか。 QC検定が始まってから実に14年が経った今、それでも不良品流出や企業内部不正が世間に明るみになっているという現実を、あなたはどう捉えるだろうか。 資格はあくまでも資格であって、その資格を持つ者の作業精度向上や問題解決のために十分と言えるほど活かせているのだろうか。 どうもボクにはそうは思えない。 例えとしてQC検定を挙げたわけだが、では、権利はどうか。 国の将来を担う衆参議員を始めとする県議会議員や市議会議員や市町村長が持つ被選挙権を行使するには、年齢が25歳もしくは30歳を過ぎていればいいとか、選挙権を持っていればいいとか、その程度のものだ。

 特別資格は必要なくて、むしろ国家公務員や地方公務員のほうが国家資格を必要とする。 選挙で多数決による当選を果たした者が国民の税金で生きることを許される。 いや、確かにね、国の政策によって進化した国内のインフラに助けられてきた部分はある。 でも、必要とは思えない公共投資にも税金が使われてきたことは否定しようのない事実でもある。 人口は減っているのに国家予算が100兆円を超えるのはなぜなんだろうね? 国の政策と企業との癒着は、国民には見えないところで今も横行してるような気がするんだが。 経済効果がどうのこうのって東京オリンピックやら大阪万博やらで注目されてるけど、東京オリンピックの経済効果は招致が決まった2013年から2030年までの18年間で32兆3千億円だったかな。 2020年に開催されてから10年間はその経済効果が惰性で続くと計算されてこの数字。

 たったの32兆円、こういう見方がされている。 儲かるのはインフラ事業に携わる企業だけ。 そして、大阪万博はたったの2兆円。 年間の国家予算が100兆円だよ? 焼け石に水だよねって話。 万歳三唱して喜んでいる人たちはそのことに気付いているのだろうか。 こんなことくらいで日本の景気は回復しない。 束の間のものでしかない。

 今この日本は、全国民のうち1%以下の人間たちが甘い蜜を吸える社会の仕組みが出来上がっている。 99%の国民のうち、6000万人超の労働者たちは毎月の給料やボーナスを上げてもらったり出世するために、いろんな資格を取ろうとしている。 資格社会になったことで知識を蓄えた人たちが増えたという事実は確かに存在する。

【4】資格と人間性は同時に評価されなければならない

 でも、資格そのものと人間性は全く別の問題ではないだろうかとボクは思っている。

 思い出してみればなるほど納得できるでしょう? 警察官による性犯罪や市議会議員の政治献金私的流用、医療過誤、裁判員による不当判決、学校教師による虐待やわいせつ容疑、芸能界の薬物汚染。 人々が頼りにしている資格や地位・名誉・名声、学歴が重視されなくなった一方で重視されるようになってきたこれらの評価基準が、今度はその信ぴょう性を脆弱なものに変えてきてしまっている。 そんなに金がほしいのか? 金を手に入れて何がしたいんだ? 手に入れたスキルや能力を、有効に活かそうとは思わないのか? そんな人間たちで溢れ返っているのであれば、敢えて資格を取得する意味もないように思う。

 それに、資格は本来、全ては知識であり、言葉によって形成されている。 実務経験は重視されるところではあるけれど、例え資格を持っているとしても、それを適正に活かせる人間かどうかを判断する材料が現代社会には欠落している。 だから、資格取得者であっても不正を働くわけだよね。 だから、資格取得者であってもウソを吐くし隠し通そうとするんだよね。 そのためにお金が利用されたり、地位や名誉をエサにしたりする。 ボクたちが思っている以上に世の中は腐っている部分もあるんだよね。 ただし、人間社会はみかん箱ではない。 同じみかん箱に腐ったミカンがあれば、他のミカンもどんどん腐っていく。 この酸化現象によりカビるわけだが、人間社会においては環境を選択することができるし、環境を変化させることができる。 意思のしっかりした人間は腐敗を阻止するために行動することができる。 これに資格がいるのだろうか?? あなたはどう思う?

【5】社会には「中和機能」が必ず必要

 液体が酸性やアルカリ性であれば、バランスよく混ぜればそれを中和させることができる。 理科の授業で教わったね? 人間社会に存在する善と悪は、どうあれば平和と言えるのだとあなたは思う? 一切の悪が存在しない善のみの社会が平和なのだろうか?? 犯罪撲滅を叫ぶ警察は、この世に悪が存在しなければ必要なくなるわけだけれども、ハッキリ言って理想論でしかない。 それに、悪を知らないから人は罪を犯すわけで、人間の心に広がる欲求に善悪の両方が存在するのだから、性善説とか性悪説とかそんな偏った理論は元々通用しないと思ったほうがいい。

 社会は、善悪を中和する機能が必要。 ボクはそう思う。 ボクは社会学者だよ、こう見えても(笑) 人間は食べないと生きていけないでしょ? それに栄養のバランスを保たなければ病気になったり、満足に運動したり働いたりすることができなくなる。 動物愛護団体を悪く言うつもりはないけれども、鳥肉、豚肉、牛肉、魚、玉子、食べてるでしょ? 植物で言えば野菜食べてるでしょ? 生命はそれを保とうと思えば他の動植物を摂取しなければ生きていけない。 インドのヒンドゥ教では豚肉を食べてはいけないという掟があるが、もし豚肉を食べれば神への冒涜になるわけだ。 でもこれは、宗教上の掟であってその外側では豚肉を美味しく食べている人たちがたくさんいる。 中国では犬や猫を食べるという文化があるようだが・・・。

 何を善とし、何を悪とするかは、人間が勝手に法という無味乾燥なもので定めているだけに過ぎない。 法を破れば逮捕され裁判において裁かれる。 そして、自身が犯した罪を償うためにお金を支払ったり禁固刑に処せされたりするわけだ。 これは社会における中和機能だと表現することができる。 しかし、カルロス・ゴーン氏の4度目の逮捕は頭がおかしいとしか言えない。 中和機能が狂っているように見える。 彼の功績は犯した罪と保釈金の支払いによって相殺されたように思われる。 今はただのおじさん。 これ以上逮捕してまだ保釈金を貪り取ろうとしているのが今だ。

【6】言葉の扱い方を忘れかけている現代人に問う

 人々に一番必要なことは、「言葉への認識と扱い方」だ。 資格は決して悪いものではないけれども、固定観念を植え付けかねない要素も含んでいる。 こうすればこうなる、といった具合に。 結局それも応用を利かせなければ飾りに過ぎない。 ジャンボジェット旅客機のパイロットが飲酒で処分されたというニュースが流れた時、これを悪行であるとするメディアは、あくまでも現代社会だからそのように捉えるのであって、完全自動操縦による離着陸が可能になれば、パイロットもお酒を飲みながら空の旅を楽しんだっていいことになる。

 権利だ義務だという言葉を簡単に口にする人間は、本当の意味でそれらの言葉を認識できていない場合がほとんど。 誰がそれを権利だ義務だと決めたんだ? 人権に関しても、今となっては都合の良いように解釈されていることがたくさんある。 ハラスメント? その線引きは誰が決めたんだ? させないようにすればいいだけじゃないのか? 特にパワハラなんていう言葉を平気で使って上司のアレコレを愚弄する人間がいるが、そういう話をする時には少なからず盛ってるでしょ(笑) そんなにイヤなら自ら動けばいい。 上司の指導教育、注意指摘をいちいちパワハラだなんだと騒いでいたら、全うに仕事をすることなんてできないよね。

 「アイツさえいなければ・・・」とか言ってる場合か?(笑) その時点で支配されてるんだよね、そういうことを言っている人の思考は。 たった一人の人間によって。 自分で自分を鎖で縛り付けているだけ。 そんなことを考えているヒマがあるんだったらもっとやるべきことが他にあるだろうし、考えるべきことがあるだろうに。

 人は、限られた時間の中で幾度となく失敗をしながら生きていく生き物なんだ。 他人の失敗をバカにしたり嘲笑っている場合じゃないぞ全く( ´艸`) どうかしてるぜ。 時間的価値は、言葉の扱い方で上がりも下がりもする。 「努力」とか「頑張る」とか「成果」とか「結果」とか、こういう言葉の意味を正しく理解して行動に結びつけているかね? 努力している人間を見下すような人間たちはその言葉の意味と実際の行動がどうであればイコールになるのかをわかっていないんだよね。 それも、努力している本人が努力というものが誰のためのものであるかを認識して頑張っていることを他者見下して笑うわけだから、理解できるはずもないわけだが。

 善も悪も、勝者も敗者も、どちらもこの社会に存在しているのだから共存できる道を模索すべきじゃないかね? そのためには中和機能が絶対的に必要だ。 強者が弱者を虐げて見殺しにすれば、経済は成り立たない。 そういう意味では、アルバイトとかパートとか身体障がい者を社会全体が受け入れようとしてきたことは、紛れもなく中和機能が活かされてきたのだと言える。 前科のある人間が社会復帰できるような仕組みがあることも中和機能だ。 ただし、再犯が起きている事実もあるわけだが、社会は継続して中和機能を磨き進化させていかなければならないわけだよね。

【7】考えるにしても順序がある。職場改善はまず自分を改善してから。

 職場における改善活動も、ルールを破った者を責め立てるばかりではなく、その都度ルールを見直して再発防止を繰り返していかなければならないし、やってはいけないことをいつまで経っても辞められずにいるのであれば、「なぜ辞められないのか」を言葉にして可視化しなければならない。 それが出来さえすれば、「ではどうすればいいか」を考えることができるようになる。 一歩進めば修正が必要か否かも見えてくる。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」なんて言ってると、その集団に車が突っ込んでくれば何人かが重軽傷を負うことになるでしょ? 場合によっては全員巻き込まれる可能性だってある。

 つまり、危機感が薄れてしまうような職場環境を作ってはいけないんだよね。 恐い上司も必要なんだよ。 場をピリっとさせる上司がね。 厳しい指導教育をパワハラだと喚き散らかすのであれば、それをさせないように中和機能を行使すればいいじゃないか。 違うか? 自分たちに都合の良い考え方に慣れてしまったら、どんな言葉も適正に活かすことはできない。 上司の部下に対する嘆きもそうだ。 「部下が言うこと聞かない」とか「部下が成長しない」だなんて嘆いている上司は、自身の無能さを嘆いていることに等しいと思わないか? 「情けない人だな」とボクはいつもそういう目で見ている。

 職場の改善を推進したければ、そこに属す全ての従業員一人一人が個人で「自分の改善」をすることが根底になければならない。 QCには「4S」とか「5S」という言葉があるじゃないか。 これは元々、自分の身の周りの整理整頓を意味しているのに、それができていない状態で職場改善なんかできるわけがない。 当番制で回ってきたからって、小手先の、比較的簡単な改善テーマをやって評価されようなんて甘いと思わないか? 大体ね、評価体制もおかしいんだよ。 なんで一律同額の報酬なわけ? それに、会社が賞賛するような何十万何百万という金額をコストカットできるような改善活動やってる? いや、できないよね。 本気で考えてないんだから。

 面倒なことに時間と労力を使って毎月給料をもらおうとするだけなら誰でもできるでしょ。 面倒だと思うなら方法を改めて同じ成果かそれ以上の成果を得られるように努力したらいいじゃないか。 自分独りではどうにもできないというなら巻き込めばいいじゃないか。 一つの改善で他の人たちやこれからその作業をする人たちにとってプラスになることは言うまでもないんだから。 本気でやれば形になる。 手を抜けば無駄になる。 資格なんてただの飾りに過ぎない。 やるかやらないか。 できるかできないか。 それだけのことでしょ。 それほどにシンプルなことなのにどうして考えようとしない? 他人事として切り捨ててるからじゃないのか? 真面目か不真面目かなんかどうでもいい。 不真面目な人間でもやるべき時にしっかりやれるならそれも能力として認めるべきでしょ。

【8】あなたの持つ資格は活かされているか、それとも、ただのゴミか。

 時間には縛られても、思考は縛られてはならない。 資格や知識は活かせば知恵になるが、活かせなければゴミ同然。 だってそうでしょ? 実際に行動に示すことができなければ何のために知識を得て資格を取ったのかわからなくなるでしょ。 「資格は持ってますけど〇〇が✖✖なのでできません」なんて言われたら笑うしかない。 結局のところ、資格も知識も、得た後の時間でどう活かすかを考えなければ、単なる過去になっていくだけなんだよね。 ボク自身の英語力もそう。 TOEIC600以上のスコアをたたき出した大学3年当時の英語力も、それから10年以上何もしなければ使えなくなる。 身をもって体感したよ(笑)

 昨日までの結果は、何の意味もないもの。(イチロー)

 だから、「継続は力なり」というわけよね。

以上。

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