~見るもの全てが変わる魔法~
皆さん、いつもアクセス頂きありがとうございます。 心から感謝申し上げます。 さて、今回のノートのタイトルについてですが、「好きになるということ」が一体どういうことなのかを考えていきたいということで、タイトル画像を作ってみました。 これはいつものことですが、タイトルと画像デザインは何の関係もないという(笑) Excelで作っているのですが、結果的には惰性で出来上がっております(笑) あ、そういえばアジサイの季節だなーなんて思いながら作り始めてこの出来上がりですからね(笑) アジサイには見えない作品、と称しておきましょう(笑)
今回で10回目の更新となりますが、ここで改めてボクが書く文章の性質について記しておきます。 ボクが文章を書く時というのは、完全に思考の中から出てきたものを可視化することが主旨となっておりますので、特別にどこからか情報源を引っ張り出してそれを元に書く、ということは基本的には致しません。 ですから、時には間違った認識のものや、見る人によっては価値観が全く異なる表現なども含まれます。 これを前提として読み進めて頂けるとありがたいです。 正しいか間違いかで捉えてしまうと、共感よりも批判的思考が働きやすくなってしまうものでもあると思いますので、どうか偏った捉え方はしないようにご留意くださいませにゃむっ✨(・∀・)あはっ🎵
まず、皆さんには、これまで生きてきて心底好きになったことがある人や物事について思い返して頂きたいです。 今現在好きな物事でも構いません。 人は、好きな事をしている時、好きな人と一緒にいる時、感覚的に「時の流れ」が早いと感じるものです。 2倍、もしくは3倍ほどの速さであっというまに流れてしまいますね。 実際にはそんなことはなく、何をしている時も時間は一定に流れているのですが、人間の感覚とはその時々で時の流れの速さを早くも遅くも感じさせるのです。
3度目の登場となるボクの言葉を書きます。 「人を愛するということは、人間として最も美しい感情である。」 好意を抱く、好感を持つ、という意味ではもちろんこの言葉も「好きになるということ」の一つですね。 ボクも初めて心から人を好きになった時は、その瞬間から世界が違って見えたものです。 もうあんな初々しい恋愛を経験することはないだろうなと思えるほど美しい時間だったと今でも思います。 たった一度の人生で、今思えば一瞬にして過ぎ去ってしまった美しい時間を経験できただけでも、生まれてきた甲斐があったというものです。 なぜ人が人を好きになるのか、ということは「004 想像は”宇宙”だ」でも書き記している通り、”死を意識すればこそ”ではないかとボクは考えています。 命には限りがある、ということこそが美しいのだと。
好きになるということで体感できる美しい時間は、その対象が人ではなくとも、「何をしているか」によって体感することができます。 ところが、何をしていてもつまらない、面白くない、楽しくない、そんなふうにしか感じられずに毎日が過ぎて行くことというのは、非常に勿体ないと言えます。 なにもこれはプライベートにおいてだけのことではなく、働いている時間についても同様に「早く今日が終わればいいのに」「早く帰りたい」としか思えずに時間をやり過ごしているのだとしたら、一週間は愚か1か月であろうと1年であろうとあっという間に過ぎてしまいます。 そう、体感としてです。 あれ? 変ですね、冒頭では『人は、好きな事をしている時、好きな人と一緒にいる時、感覚的に「時の流れ」が早いと感じるものです。 2倍、もしくは3倍ほどの速さであっというまに流れてしまいますね。』なんて書いているのに、特に好きな事をしていなくても時間はあっという間に過ぎてしまうという、結局、時間は残酷に過ぎ行くものなんだということですかね。
どうせあっという間に過ぎ去るのが時間なら、好きな事をする時間や好きな人と過ごす時間をより多く確保することがどれほど大事かということが言えますね。 いや、ボクはそんなふうに確信します。 ”他の何を差し置いても譲れない時間、そう思える時間が如何に多いかが人生を豊かにするための必須条件”なのだと。
自分のために生きてこそ人生、それが誰かのためになることこそ人生の真骨頂。 ボクがこうして物書きの時間を「好きなこと」と位置づけをしたその主旨は、決して誰かのためではなく、自分のためなのです。 そうして自身が過ごす時間を豊かにすることを続けることで、時に誰かのためになるのであれば願ったり叶ったりです。 こんな贅沢なことがあるだろうかとも思えます。 仕事以外で誰かと共に時間を過ごすということがない分、自分の時間は十分に確保できているのです。 孤独であることに対して寂しいと思ったことは過去何度もあったものですが、そういう時こそ「好きだと思えること」が何も見付かっていなかったのだとわかります。
夢を叶えるために日々自分磨きに没頭し、孤独に耐えている人は少なくはないと思います。 特に、今でこそ世界トッププレーヤーであるスポーツ選手は、目指すべき「結果」のためにケガやスランプを乗り越えて今に至っているはずです。 同じ人間でありながら、そこまで自分を追い込んで頂点を目指す人が同じ時代に生きていることは、他人事ではないのだとボクは思います。 小さい頃から夢見た舞台で今を生きている人たちは、きっと何があっても諦めるつもりがなかったのかもしれません。 漫画「はじめの一歩」の鴨川ボクシングジム鴨川会長はこう言ってますね。 「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」と。 好きなことのため、好きな人のためならば、人はどんな努力も惜しまないのだと思いますが、決してすべての人の努力が報われるわけではないのだということです。
努力のために費やした時間は、決して無駄にはなりません。 しかし、それが無駄になってしまうのだとしたら「諦めた時」ではないでしょうか。 残念ながら、人間は、結果が報われないと諦めることができる生き物でもあります。 諦めることも諦めずにいることも、本人の意思次第なのです。 ハッキリ言って、ボクがこうして個人的にノート配信者になったことも報われるかどうかなんてわかりません。 諦めようと思えばいつでも諦めることができることでもあります。 でも、好きなことなので諦めるという選択肢はそもそもないのです。 目が見え、両腕が動き、これに費やす時間が確保できている以上、ボクは続けていきます。 もう一度言いますが、好きなことですから。 何人たりともこれを邪魔しようものなら、全力でパンチします(笑)
Twitterはこちら→ https://twitter.com/nyamu913
もし、好きなことをして生きていこうと思うのなら、自分を売り込まなければなりません。 今、そうして活動しておられる方が徐々に増えて来つつあるように思います。 自分自身を看板に見立て、そこにValue(=価値)を創出していくこと、これをボクは"Self-branding"と称しています。 言い方を換えると、自分で自分をプロデュースするということです。 自己管理なんていう固い考え方ではなく、もっとゆるくていいと思います。 ボクの場合で言うと、文章そのものもタイトル画像も商品であり、そこに如何にして価値を見出すかということを追求する"楽しい努力"によってSelf-brandingを実現していくことが主旨です。 そう、自分のためです。 模倣という要素を一切排除した、オリジナリティに特化したSelf-branding。 そのフィールドが現在noteということでやっていますが、先々はもっと幅が広がるといいなと考えています。 ボクを示す顔文字は今やコレ→(・∀・) 今現在ボクのアカウントのサムネイルは「ねこぺん」キャラクターをお借りしていますが、近いうちにこれもオリジナルのサムネイルに変更したいと思います。
柄物のデザインならボクでもやれそうな気がしています。 確たる自信はありませんが(笑) Excelアートを趣味としてやってきたことでアレンジを効かせられるようにもなってきているため、独自のセンスとしておりますが、センスがあろうとなかろうと、作品は回数を重ねていけばいくほど磨かれるものだということがわかってきています。 資格という世間が前提基準としているものをボクは無視します。 ボクが思うに、英語をはじめとする語学についても資格化されたことには正直疑問でしたね。 それに、今後益々語学力が要らなくなるくらいにコンピューター技術が進化していきますから、それほど重要ではなくなるということは予測できます。 大学時代、TOEICスコア600を取りましたが、何のことはない。 その後の人生には微塵にも効果を発揮しなかった。 今後、もし英語力がためされるようなことになるのなら、また一から勉強したいと思いますが(笑) 次にトライするなら750~800overは狙いたいですね(笑)
英語は唯一好きで勉強していた部分もありますので、大学時代、全てネイティブスピーカーの講師による講義で、社会学、経済学、政治学、宗教学、心理学、社会心理学、といったあらゆる講義を英語で学び、課題はもちろん、卒業論文もすべて英語。 プレゼンテーションなんかも当然のように英語でやっていたことを思い返すと、よく頑張ったなあの頃は・・・と思います。 しかし、その努力は今のところ報われておりません。 なるほど、そういうことかと思い知らされることになったわけですが、英語から離れて10年経っても、基本的な英会話程度はできるもので、外国人観光客に道案内やバスや電車の案内をすることはチラホラあり、まったく役に立たなかったわけではなく、グローバル社会に少しだけ適応することができました。 ビジネス英会話ともなるともう次元が違うため辞めてしまいましたが。
話をSelf-brandingに戻します。 いくら自分を売り込みたいからと言って意図して「炎上」起こすなんていうのは、美しくないとボクは考えています。 それは自分をブランド化する上で、決して良いイメージを残さないからです。 アンチがいて当然、アンチの言うことはお構いなし、気に入ってくれた人たちだけを集めて楽しくやりましょう、そんな印象しかありません。 しかもそれを露骨に公言しているあたり、煽っているようにしか見えないのです。 今後重視されていくと思われるコミュニティの在り方は、現状のものとは色も形もどんどん変わっていくと思います。 いま勢いよく人気を集めている人たちも、それに群がっている人たちも、それぞれが自分の在り方を考え、所属するコミュニティを選択したり、自身でコミュニティを立ち上げたりと、社会的にも活発になっていくことだろうと考えます。
やっていることがどんなことであろうと、自身が好むジャンルで今を楽しみたいと思っている人たちが集まることで出来上がるコミュニティは、そこに加わる人たちに有意義な時間的価値をもたらすようになると思います。 無名の個人でも、これからは「評価経済社会」へと変わっていきますので、「自分にできること」「自分がやりたいこと」に特化した時間の過ごし方をすることをオススメしたいです。 無から有を作り出すクリエイティブな思考はこれから益々重視されることになります。 人工知能には成し得ない、人ならではの創造が、これからの社会を作っていきます。 勝手にその一員として加わるということから何か新しいことを始めてみるのも面白いかもしれません。 これまでやってこなかったこと、やりたくてもできなかったことを、時間の許す限りやってみるのです。 やればやるほど方向性も定まってくると思いますので是非やってみてください。
個人的には、人の得意分野に興味があります。 自分にできないことができる人というのは非常に魅力的であり、その力を自分の何かと融合させることはできないかと考えることも好きです。 文章は書けないけど絵が得意な人、風景画は苦手だけどキャラクターを描くのは得意、表現するのは苦手だけど身体を動かすのは得意など、本人だけが突出して得意とする何かは、他の何かと融合することで予期せぬ化学反応が起きることがあります。 ボクはその瞬間をたくさん見たいと思っています。 ハッキリと何が出来上がるかわからないけどとにかくやってみようとするトライする意志、それがいいのです。
つまり、好きなことなら何でもいいのです。 現段階でやり方がわからなかったり基本的なことしかできなかったりという状態でも、好きなことならなおさら突き詰めることが大事になってきます。 社会に出てからノートパソコンを常に手元に置いてきたことが、今では「自分にとって重要なアイテムであったこと」がわかります。 そこに自分の好きがあったことに気付けたのは大きな収穫だったと言えます。 いま好きなことが特に見つからないという人も、ひょっとしたら目の前にあるかもしれません。 視界に入っていても普段は気付いていないのかもしれません。
「好きになるということ」は、もしかしたら生きていく上で人を動かすに足る強い原動力なのかもしれませんね。 これを見つけずに生きるということは、時間をドブに捨てているのと何ら変わりないと思います。 センスは始めたその瞬間から磨いていけばいいのです。 例え好きなことでも多くの失敗をすることがあるでしょう。 でも、好きなことで失敗しても挫折することなんてないと思います。 自分が自分自身を認めることで、好きなことだったらいつまでも継続できます。 そういう意味でも、【自己を肯定する】ということは一つの能力と言えるかもしれません。 他者が何と言おうと続けられる好きなことを、是非あなたも見つけてください。 そしてそれを、他の誰かの好きと融合させ、化学反応を起こす瞬間に遭遇してください。 始めなければ、その瞬間はいつまでもやってきません。 そして、Self-brandingを成功させ、幸せな時間をより多く過ごして下さい。
人はそう簡単には変われません。 しかし、心底好きなこと、心底好きな人を見付けたその瞬間から、人は変わります。 必ず変わります。 その時初めて、何が必要かも見えてきます。 自分探しをするのではなく、自分が好きなことを探し見つけてください。 自分が好きな人を探す、というのは理に適わない言い方かもしれませんが、実はあなたの近くにいるかもしれませんからね、そればかりはどうしようもありません。 ただできることは、「好きなことをして自分を磨く」ということでしょうか。
他人のあれこれに意識を奪われている暇はありません。 しかし、あらゆる物事を「他人事」として意識の外に追いやってしまうのももったいない考え方と言えます。 自分のこと以外のことに意識を向ける時は、そこに得るものがあるかどうかを観察してください。 もし得るものがないという場合は、意識を向けるだけ時間の無駄です。 切って捨ててください。 得るものがある場合は、しっかりと意識を向けて観察し、キャッチしてください。 そんなふうにしてインプットし続けたものは、あなたが何かの形にしてアウトプットする時の貴重な材料になります。 そうすればネタに尽きることがありません。 事、物書きに関しては、ネタなんて無限にあります。 それくらい言葉というのは幅広いものなのだと、そして、表現の形には限りがないのだとボクは考えています。
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