~え?それって本当に当たり前??~
どーもー(・∀・)ノ 今日は昼からイオンに来てくつろぎながら文章を作成しておりまーす♬ 本当に、おかしいくらいに人でごった返しております(笑) 3Fのフードコートの窓際でPCとホームWi-Fiのコンセントをブッ刺して、のんびりくつろぎながら、非常にリラッ…いや、相当うるさい中で書いておりまーすwww 両耳にイヤホンブッ刺して音楽聴きながら頑張りまーす♬ 文章冒頭からブッ刺してばっかですが(笑)お時間ございましたら最後までお付き合いくださいませ~♬
早速ですが、つい先ほど昼食を済ませ、おタバコを一服して自分の席に戻る時に、生後1歳数か月ほどの赤ん坊が、ヨタヨタと歩き回っているところを発見。 周囲にはご両親やご家族らしき人は見当たらず、「おいおい迷子か?」と思って「パパとママは?」って声をかけてみたものの、まだ言葉わからんよなーと思いつつ様子を窺っていると、歩いて行った先にご家族がおりました。「なんだ、いるのかよ…。」と、とりあえず安心して自分の席に戻ったのです。
ホントはこれ今回の文章に書く予定ではなかったんだけど、サブタイトルにあるように、まさに「え?」ってことが起きたのでね、書かせて頂きました。 言うまでもなく、こういうことはイオンみたいな人が集まるところではちょくちょくあるんですよね。 あっちゃいけないことが、ちょく、ちょく、と。 親としてこんなんでいいのかなーって、思っちゃいましたよね、普通に。
諸外国に比べれば治安は良い、まさかうちの子が攫われることはない、とかっていう愚かな思い込みがあるのだとすれば、とてつもない平和ボケですね。 最悪の事態を考えられない親が幼い我が子から目をはなす、たったそれだけで命を失う可能性だって充分に考えられる。 我が子の面倒がちゃんと見られないのならイオンみたいなところに連れてくるんじゃないよと、率直にそう思いますね。
現代社会では、これが当たり前なんですかね。 いやそんなわけはないですよね。 アヒルやカモを見てごらんよ! ママに必死に子供たちが付いていくじゃないか! タヌキだってイノシシだってゾウだってキリンだってみんな親が子から目をはなすことなんて絶対にないじゃないか! 「人間のくせにそんなこともできないの?」って動物たちにバカにされたって不思議ではありませんよね~。 ドラえもんの道具で動物たちにしゃべらせたらきっとそんなふうに言うと思いますね、ボクは。 下手したらのび太にすらバカにされてしまう。 (その道具の名前なんだっけ!!www)
お仕事されている皆さんは、普段職場でどんなことを感じながら仕事をしているでしょうか。
ボクなんかはよく思うことがあるんですけれどね、「職場での当たり前」に対してね。 まぁほら、誰しも本来自分の仕事ではない作業をしなければならないとなると「あー、嫌だな…」と思ったり、「なんでオレがそんなことしなきゃいけないんだ…」と思ったりすることは多々あると思うんですよ、多々ね。
じゃあ、例えばですけど、自分と20人の部下で構成されている部署があったとしましょう。 そこであなたはその職場のリーダーとして毎日働いていると仮定します。 突然予定外の事態が発生し、その事態を解決するためにどうしても誰かに作業をお願いしなければなりません。あなたは部下20人全員に「誰かやってくれる人はいませんか」と尋ねます。
するとその時、リーダーであるあなたは、部下20人から怪訝な表情で見られてしまいます。 一見するだけで彼らが言わんとすることはわかってしまいますよね。やりたくなさそうな、面倒くさそうな態度を取られてしまいます。 リーダーという立場なら誰でも経験することだと思いますが、そういう時のリーダーの役割とは、必ず誰かにその作業を任せるというものです。 当然、願わくば誰か一人でも進んで手を挙げその作業を引き受けてくれるとリーダーは特に悩まずに済むわけです。
とーころがどっこい(笑) そういう部下たちは、そういう時にこそ残酷だったりしますよね(笑) うまいこと行かないことなんて多々あります。 これが職場での当たり前の一つとボクは認識しています。 なぜなら、リーダーが何かお願い事をする時というのは、少なからず断られたり嫌がられたりすることを覚悟しているであろうことは容易に想像できるからです。
もしそんな雰囲気になるのが当たり前になってしまっているのだとすれば、彼らに対し、リーダーがやって見せてこなかったことの証とも言えます。 極端かもしれませんが、率先して部下たちが動いてくれない状況を作った責任は、100%リーダーにあります。 確かに、いつその職場のリーダーになったかにも因るかもしれませんが、どのタイミングでリーダーとして着任したにせよ、現に部下たちの自発性が欠けているのだとすれば、まずリーダーがやって見せることが何より先決だとボクは考えます。最初はね。
そもそも、如何なる状況においても部下のせいにするようなリーダーはその資質がなく、リーダーになる前においても「リーダーシップ」を磨いてこなかったと言えるでしょう。 多くの人が実績や実力や経験値よりも肩書が先行してしまう経験があるかと思いますが、そうなった時にリーダーシップを磨いてきたか否かでリーダーとしての手腕には天地の差が生じます。 リーダーになってからリーダーたるアレコレを学ぶのではなく、リーダーになる前の平社員のうちからリーダーシップを磨いておく、というのが本来求められるセオリー。 中には、会社の社員教育がウンタラカンタラと文句垂れる社員もいますが、それを頼りにしている社員は教育を受けたとしてもリーダーとしての技量は底が知れます。 そういう人はリーダーになってはいけませんね(キッパリw)。 例えリーダーになったとしても部下から恨まれるだけですからね。
職場で聞く愚痴のほとんどは会社のせいにしたり、所属部署のリーダーのせいにしたりっていう感じなので、正直ボクはウンザリしていますので、耳にフタをします。 職場がそういう風土なのだとすれば、合わせる気には毛頭なれません。それによって協調性に欠けているなどと言われてしまった場合には、期待通りに噛みつくまでです。(ガブ———————ッ!!www)
しかし、それをしようと思うのなら、しなければならないことが一つあります。それがこれです。
これを発動させる回数として、2~3回であれば、周囲の人たちは「ラッキー」と思うだけで楽できることに安堵するかもしれません。 しかしこれが、5回、10回、15回…と回数を重ねるごとに、おそらく周囲の人たちは何かしらの感情を抱くようになるはずです。 リーダーからいつものように作業を依頼された時に、「いつもやってもらってるし今回は自分がやろうかな…」とか「(本当は面倒くさいしやりたくないけど)私がやります。」とか、見た目には自発性が感じられる返事のように演じるようになりますが、心の内なる言葉では()内の言葉をボソリとつぶやいているものです。それくらいの影響力を持つようになるものだとボクは思っています。何度かそうした実体験もありましたからね。
本音と建て前とはよく言ったもので、人は誰でも職場ではほとんどの本音をかみ殺してでも周囲との調和を優先して、建て前の自分を演じてしまうものです。 言うなれば【社会人としての当たり前】というふうに解釈できます。多くの人がそのように解釈しているはずです。 確かに、そんなふうに解釈して周囲に合わせて角が立たないように、当たり障りなくしてさえいれば、仕事上、特にトラブルに巻き込まれたり余計なストレスを感じなくて済むのかもしれません。
しかし、自発性のない人材の人事考課においては特徴に欠け、評価するにしても、これまでどおりの評価に留まり、下手すれば昇給額にも影響するかもしれません。 ですから、もしあなたが「出世をしたい」と思っているのであれば、周りの人たちと同じようなことをしていては、評価の仕様がないために、出世するチャンスすらやってこないことが考えられます。 出世をしたい、リーダーの立ち位置に立ちたい、などと思っているのであれば、仕事中に同僚や部下とおしゃべりを楽しんでいる場合ではないのです。 出世願望がありながらその辺に対する危機感がどうも鈍く映ってしまう人が実に多い。 それもそのはず、未だに年功序列型の昇格システムで運用されている企業はまだまだたくさん存在していますからね。
職場でのコミュニケーションはもちろん重要です。が、仕事そのものに支障をきたすレベルだと、結果が伴わないだけで「職務怠慢」と捉えられても仕方のない状況と言えます。 当然、日々の与えられた仕事をこなすことは優先されるべきことですが、その技量によって時間に余裕を持たせ、普段の仕事以外のことにも手が回るようになると、周りの人たちがやりたがらないよな雑務も率先してこなすことができるようになる。
ボクは経営者ではありませんが、もし経営者なら、そんなふうに率先してどんどん仕事を片付けてくれる「便利な人材」を欲するでしょうし、それくらいエネルギッシュな人材であれば、ユニークなアイデアやこれまでの在り方を一新するための案をどんどん創出してくれると期待します。 評価とは結果だけを見て総合評価をする、というものではありません。 そこに至るまでの経緯は必ず見られていますし、評価の対象として含まれています。 「結果が全ては嘘」なのです。 なぜそんな「結果が全て」だなんていう虚言がまかり通っているのかボクにはわかりませんね。 一般企業で働いている人たち個人の集まりにおいては、全員がオリンピックで金メダルを獲得するために努力している屈強な人間たちの集まりではないため、1位でなければならない道理は当てはまりません。
何が言いたいかというと、つまりはこういうことです。
どんなに結果が伴わなくても、そこに成長が見られるかどうかが重要なのです。点で見た時に、最初の点から次の点に至るまでにどれだけ成長したか。 そしてさらに次の点に至るまでにどれだけ成長したか。 都度伸び幅を見ているとボクは思います。 当然、成長が窺えない時期もあるでしょう。 スポーツ選手で言うところの「スランプ」です。 一定期間内にどれだけの努力をしてどれだけ伸びたのか、これが一番重要視されるところだと思います。
ハッキリ言いますけれど、上司は自分の都合の良いように事を運びたいと思っています。 自分の都合を二の次にして他を優先するリーダーはリーダーに向いていません。 極論を言うと、リーダーが自分の都合を優先してうまいこと仕事をしようと思うのなら、やはり部下をどうやって動かすかにかかってくるわけです。 「口先で言ってハイハイ聞いてくれる部下」がいればいいなぁなんて思っているリーダーがいるのだとすれば、それはそれでリーターも部下もお互いに苦労することでしょう(笑)
率先して行動するということも度が過ぎれば、身を亡ぼすことになります。 時にはハッキリと「NO」と返事をすることも大事なことです。 その辺のバランスは自分自身で保つべきかと思いますが、もう一度言います。
正直、当たり前だと思い込んでいるってすごく恐ろしいですよね。 一体だれが作った幻想なんだよ(笑)って言いたくなるような思い込みの当たり前には、一秒でも早く気付きたいものですね。 周りのみんなと同じようにやっていても何か確たる保証みたいなものがあるわけではなく、ただ現状においてとりあえず合わせていれば大丈夫と感じてしまうのは、まったく誤った認識と言えます。
集団組織やコミュニティというものは、一定の効力をメンバーに発揮します。故に、その輪の中に入り合わせているだけで、心地よく安堵できる空間と言えなくもありません。 しかし、結局のところ人生とは孤独なもので、判断や責任といったものは全て自分にかかってきます。 どうなろうと全て自分の選択によって至る結果です。そのことを「人が集まる」ということが曖昧にしてしまいかねないのかもしれませんね。
ボク個人的には、当たり前を当たり前に実行する、という「当たり前の良さにも目を向けること」をしますが、一般的には個人もしくは集団組織の単なる思い込みや洗脳といったケースがほとんどではないかと考えています。 それが固定観念化してしまうと厄介ですね。 これを破壊しようと思うのなら、周りの人たちと同じことをしていたのでは定年まで何事も叶いません。 やはり大切なのは「信念」ではないでしょうか。 固定観念や常識に囚われないほどの信念。 これさえしっかりしていれば、例え場の空気が乱れることがおよそ想定できたとしても、言うべきことは言うという考え方にブレは生じませんし、実際に行動に移すことも可能になってきます。
人と違うことをしようと思うのなら、その選択の先に待つ如何なる出来事にも耐えなければなりません。 そして、乗り越えなければなりません。途中で膝をつき腰を下ろし諦めてしまった、といった具合に途中で諦め富士山頂に到達しなかった者に、山頂からの絶景について語ることはできないのですからね。 言い換えれば、10人いて9人が諦めても自分は諦めないという意志のことです。 富士登山において言えば、7合目、8合目辺りまで必死に登り、残りの山頂までの距離を時間をかけてでも諦めずに歩いたものだけが到達する。 それには相応の意志の強さがないと叶わないのですよね。
人が「当たり前だ」と口に出す時というのは、その人の物差しを基準に測っている時であり、本当に当たり前かどうかは言われた側が自分の解釈と見解で精査しなければならない。 「本当に当たり前なのかな?」と思ってみることが大事。 なぜ当たり前なのかがわからなければ、鵜呑みにするしか手段がないことになります。 時にはこうしたモノの見方が、「当たり前の盲点」を指摘することもあります。はい、ここでこれです。
目に見えているものばかりに気を取られていませんか? 現実が真実だと思い込んでいませんか? もしそうなのだとしたら、あなたが思う「理想」を掲げてみてください。 そして、現実を理想の横に並べてみてください。 どこの何がどう違うのか比較して見える違いを数点見つけてください。 理想と現実に見られる違い、それは何ですか? 普段から意識の中にあるものですか? それとも今まで全く考えもしなかったものですか?
そうなんですよね、理想を掲げないからこそ現実に囚われやすくなり、それが当たり前だと思い込みやすくなるんですよね。 ほら、思い浮かべてみてください。 目標のない人たちってどんな人たちですか? 現実で抱えているいろんな悩みやストレスにまみれて理想とかもう眼中にない感じの人たちではないですか? そういう人たちこそなおさら理想を掲げなければらならいんです。 不思議と目指すものが定まると、人は始めの一歩を踏み出せるものなんです。 しかし、現実に囚われてしまっている人たちは、そのことをいつしか忘れてしまうのです。 もうね、まさにこれですよ。
欲求や野望というものは、人を前に前に押し進めてくれる原動力になります。 まず、ゴールを定めてください。 そして、そこに辿り着くためのステップを全て挙げてください。 次に、それら全てのステップを優先順位で並び替えてください。 最後に、行動に移して下さい。 無論、行動する際に必要なものは全て揃っているかもお忘れなく確認してください。 これであなたも、誰かが勝手に決めた「当たり前」という幻想から解放され、見るべきものを見、目に見えていないものに意識を向けて考え、行動することができるようになります。結果を恐れず、行動してみることから始めましょう♬
なんかすんごい小難しいことを言っているようで、実はこういうことなんです(笑)
ボクはこれを【当たり前】だと認識しています(笑)←まるでペテン師www
第3回のnoteは、長くなりまして申し訳ありません(・∀・)お時間を取らせてしまうかもしれませんが、何卒ごひいきにぃ~(≧∀≦)←身勝手の極み(笑)スキもサポートも大大大大大大大大カンゲー—————です♬
最後までご精読頂き、ありがとうございます♪もし宜しければ、ご意見・ご感想・ご評価などを頂けるとありがたいです♬皆様からのお声を今後に活かして参りたいと存じます(≧▽≦)ウキャ!!
以上、にゃむでしたぁ~(・∀・)あはっ♬
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