見出し画像

~これで距離感が決まる~

 はい、皆さん、こんばんにゃむっ!!(・∀・)にっ♬ 現在7月16日午前0時15分を回ったところにゃむ。 最近、サムネイル制作の受注が途絶えているために、にゃむがヒマしているにゃむ(笑) 仕事をくださいにゃむ♬ 自分のためだけにサムネイルを作るのは、あまり楽しくないにゃむね(´・ω・`) にゃむのデザインスキルは、回数を重ねていけばいくほど、アレンジに幅が出来てきて、思いがけずナイスな作品が出来上がったり、自分ではイマイチと思っていても他者からのご評価がよかったり、「評価」や「批判」などといったあらゆる反応は、アクションを起こす者にとっては常に最も重要にゃむね。

 企業のカスタマーサポートセンターみたいなところは、きっと連日のようにいろんなお客様からの声が集まっているんだと思うけど、その多くは「クレーム」であり、そこで従事するスタッフたちは連日対応に追われていることだろう。 もちろん、お客様を相手にする企業対企業、企業対個人だけでなく、お店単位の接客業では、不特定多数のお客様と対峙し、時にはそうしたクレームを直接浴びることも少なくはない。 皆さんは「クレーム」にどんなイメージを持っているだろうか。 中には罵詈雑言を浴びせるだけの、怒りに任せた物言いをしたがる悪質な人もいる。 納得がいかないとか、言わないと気が済まないとか、特に何が言いたいでもなく、ただただ従業員を困らせてやろうとする種類の人間。

 ボクは社会に出てから数年、働いてきた業種はそのほとんどが接客業で、クレーム対応を迫られたこともしばしばあった。 そのおかげで、「クレームとは何か」や「クレームを言う客の心理」といったことを学ぶ機会を得た。 今ではその経験が、ある一つの気付きへと導いてくれたのだ。 ボクが学んだクレームの本質とは、【お客様からの「接客対応及び業務」の改善要請】であるということ。 たとえクレームを言ってきた人(=お客様)がどんな物言いをしたとしても、何かが気に入らなかったり怒りの感情を抱いたりしたことには、必ず「改善の余地」があるということのサインなのだと、真摯に受け止める必要があるのだ。

 だからと言って、全てのクレームがそっくりそのまま改善に繫がるわけではなく、中には到底不可能なものも含まれている。 そういう類のクレームに対応するにはどうしたらいいか、そういうこともまた独学で学ぶことが今なら可能だ。 ただヘコヘコ謝り倒すだけのクレーム対応では、お客様は決して納得しないし、去り際には捨てゼリフを吐かれることも避けては通れないだろう。 では、もし如何なるクレームに対しても完璧に対処することができたとしたらどうか。 ズバリ、【理想のクレーム対応】を描くとしたら、結果どうなればいいのだろうか。 そんなことを考えさせられた時期もあった。

 世の中に当たり前のように存在しているあらゆるサービスは常に完璧なわけではないということは、サービスを提供する側も、サービスを利用する側も、それが前提であることは頭ではわかってはいるはずである。 しかしながら、サービスを提供する側のミスや不正によって、仲介業者からエンドユーザーまでの全ての後工程のお客様を不利益な事態に巻き込んでしまうことが起こっていて、メディアを介して報道される情報以外にも全国ではあちこちで個人や企業がそんな目に遭っていて、程度が酷ければ裁判沙汰にまで発展してしまうケースもあるようで、提供元の企業の信頼度が失われてしまう可能性も浮上する。

【直近で発覚した内部不正・コンプライアンス違反】神戸製鋼(データ改ざん)、スバル(燃費データ不正)、日産(検査不正)、ベンツ(排ガス不正)、三菱マテリアル(JIS不適合製品出荷→JIS認証取り消し)、スルガ銀行(不正融資)、きらぼし銀(行員[36]複数顧客の預金約3億7500万円着服→懲戒解雇処分)、日立化成(数値捏造)、ヤマト運輸(引っ越し代金過大請求)、アート引越センター(未成年者深夜労働→労災認定)、日本通運(事故隠ぺい)、鳥貴族(店長盗撮により逮捕・書類送検)、大林組・清水組(リニア談合)etc...

 こうして見ると、悪いことしてる企業や人がどこにでもいるんだなということがわかってしまう。 わかっているだけでこれだけあっても、氷山の一角に過ぎないんだろうね。 わかっていない不正や犯罪がまだまだたくさんあるんだろうね。 少子高齢化と人口減少を言い訳にしていいわけではないんだけど、長いこと放置されてきた「ちょっとした不正」が肥大化して発覚するケースが多いね。

 ちょっと話が逸れてしまった。 クレームの話に戻すね。 企業も働く個人も、クレームを恐がったり、避けたり、見て見ぬフリしたりして隠そうとしたり誤魔化そうとするから、事態は責任を負えないレベルまで悪化してしまうんだよね、きっと。 日本にある企業全体の問題じゃないかなと思う。 不正やコンプライアンス違反が発覚した企業だけがバッシングを浴び、それに便乗して自主謝罪して批判を最小限にとどめようなんて考える卑怯な企業も出てくる。 ハゲ頭を垂れて謝罪してるフリをするような記者会見を辞めろって言いたい。 今後日本は益々海外の経済発展国に追い抜かれていくのに、恥じを晒してどうするんだ。 説明責任の果たし方がおかしい。 

 正社員だろうと派遣だろうとアルバイトだろうと、クレームに対しては真摯に対応することを絶対的標準にすべきだと思う。 その時だけで済む話を、避けたり誤魔化したりするからダメなんだよってことがなぜわからないのかな。 前任者が悪いならその責任をすぐに問えばいい。 これまでのやり方に固執してる企業が多いから、不正も見過ごされるんじゃないのかな。 変化を嫌う組織、その場の痛みを回避しようとする組織は、いずれ上に並べた企業と同じような末路に行き着くんじゃないかね? 企業は30年持てば上出来と言われる世の中では、たった一度の不正で倒産に追い込まれたって不思議じゃない。 東芝の件は身売りを繰り返してようやく黒字転換したみたいだけど、まあ稀なケースだよね。 早めに膿は出しきってしまったほうがいい。 そうでなければ、数百人・数千人、下手すれば万を超える従業員が路頭に迷うことになる。 そこに対する危機感がぜーんぜんない。

 では、個人レベルのクレーム対応について考えてみよう。 お客様からクレームを受けた際、「理想のクレーム対応」の結末はどうなってなければいけないか、皆さんはお分かりだろうか。 ボクが思うに、理想のクレーム対応の結末は「お客様が笑顔で帰って行く対応」ではないかな、と。 当然、嘘や誤魔化し、曖昧な返答なんてものは絶対にしてはいけない。 それはもう、サービスを提供する側の「お客様に対する裏切り行為」でしかないからだ。 そこでまた同じことを繰り返せば、負のスパイラルが始まってもおかしくない。 ネット社会がほとんど確立されたこれからの時代、ちょっとしたことでもネット上に拡散→炎上してしまいやすい。 その場だけで済むなんて安直な考え方は捨てたほうがいい。

 そもそもね、サービスや商品を提供する側が、お客様を「客」と呼ぶこと自体辞めさせなければならない。 客と呼ぶ、たったそれだけで思い上がりや勘違いをしていることの証だとボクは考えている。 だから、隠したり誤魔化したりといった裏切り行為ができるんじゃなかろうかね。 残念なことに、その辺の意識付けをさせるためのプロが各企業に常駐しているところはそれほど多くないために、外部のコンサルに委託しているケースがほとんどで、コンサルの精度が低ければ実態に結びつかないわけで、外部委託すらも嫌う企業だってきっとあるんだろうね。 コストをかけるべきところにかけず、コストをかける必要のないところにムダなコストをかける、それがわかっていてもなかなか改善できずにいる、そんな企業はどの道純利益を削りながら、自らジリ貧経営に追い込むことになる。

 あれ? そういえば、今回のタイトルって「誰も教えてはくれない自分の悪い癖」で、サブタイトルは「これで距離感が決まる」だったよな(笑) 何がどう繋がってるんだ? って思った方、その気付き、間違いではない(笑) ここからさらに、「身近なケース」にフォーカスしていくのでご安心を(笑)

 仕事で人と話す時、相手が同僚・部下・上司だったり、商談時のお客様だったり、はたまた個人のお客様だったりすることがあるだろう。 そして、プライベートでは、家族、友人、恋人、単なる知り合い、初対面、会話をする機会というのは普通に生活していたらいつだってやってくる。 そんな時に、自分の会話での癖をあなたは自覚しているだろうか。 つい最近で言うと、ボクは実家の父と電話で話すことがあったり、職場では若い男性社員と話すことがあったりと会話をする機会がある。 (あいにく、ボクに友人と呼べる人は一人もいない。) 

 会話をしていると、相手の癖に意識が向かうことが最近では当たり前になってしまっていて、会話の中でたまに相手に言ってみることがある。 よくあるケースとして、相手が発言している最中に「なんか」「えっと」「たぶん」なんていうワードを多く耳にすることがある。 残念ながらこれらのワード一つ一つには大して意味がない。 にもかかわらず、なぜか幾度となく口走ってしまうのは「言っている間に次に言うことを考える時間」を得たいという心理から来るもの。 表現を探しているわけだ。 そういう心理が働きやすい人の最大の特徴は「本音をストレートに言えない」ということ。 ボクからすればこれほど面倒な癖はないとさえ思う。

 こちらがどんな質問を投げかけても、それほど具体性が感じられない、的を射ない、意思が感じられない曖昧な返答をする人によく見られるのがこの3つの口癖だとボクは認識している。 だからつい最近、本人に教えてみたんだが、すると彼はこう返してきた。 「そういうところまで見てくださっていたんですね。」と。 確かに、いちいち指摘してくれる人なんていないのが当たり前で、関わってきた年月が長ければ長いほど、言いにくくなってしまうものなのかもしれない。 相手に相手の癖を指摘したことで機嫌を損ねてしまう可能性はゼロではない。 だけど、その点、ボクはむしろ指摘してあげることのほうが相手のためになるだろうと思うし、本人が自覚していないことを指摘することこそ相手にとっての気付きになるとも思う。 どちらが相手を想う思考なのかは言うまでもない。 なのに、指摘しない人のほうが圧倒的に多いと感じさせられる。

 薄っぺらい関係性かどうかは、互いに互いの悪い部分を指摘し合って直していったり共有し合ったりすることができるか否かで決まってくるんじゃないかとボクは考えている。 仮に指摘したことで相手が離れて行ってしまったなら、それまでの関係、そもそも薄っぺらい関係だったのだということが明白になる、というだけのことだ。 それに、関わってきた年月が長くなればなるほど「言ってもらえなかった」ということに、どこか寂しい気持ちにもなる。 相手の悪い癖は、早い段階で指摘してやることが、より良好な関係性を築くための要素に成り得ると思う。

 関わっている人との関係が上司部下だろうと、同僚だろうと、家族だろうと、友人だろうと、恋人だろうと、互いにストレートに指摘し合える間柄というのは、絆をより深めることにならないだろうか。 今後ボクが求めていく人間関係は、相手の意思が明確であり、発言に曖昧さや誤魔化しがなく、ストレートに意見や指摘ができる人物に限定する。 リアルでもネット上でも、この自分ルールは変えない。 このルールに該当しない人物とは一定の距離感に留めて接していくことにしている。 なぜなら、互いにプラスになることがほとんどないからだ。

 自分の人生をより豊かに、意義ある時間を過ごしていこうと思えば、自ずとそういう人間関係を求めるようになるのではないかな。 ボクだけかな、こんな考え方をするのは。 将来的に、もし誰かが立ち上げたコミュニティーに属すことがあったとしても、もし自分がコミュニティーを立ち上げるとしても、そこに属す全てのメンバーの資質が自分の求めているそれかを見定めていきたいと思う。 誰でもってわけにはいかない。

 今回のテーマと企業の内部不正とかコンプライアンス違反をリンクさせたのは、「仕事でもプライベートでも、本音を言える環境や本音を言える人間関係こそが、内部不正やコンプライアンス違反を未然に防ぎ、良好な人間関係を維持することに繫がる」ということを伝えたかったからだ。 ただし、本音を言えばいいという単純な捉え方をしてはいけない。 本音を言うのなら、必ずそれに対するフォローをするということを怠ってはいけない。 それは、相手に対する礼儀だからだ。 真正面から向き合える人間関係は、やはり気持ちが良い。

 どうでしたか?今回のnoteは。 皆さんそれぞれの日常と重ねてみて、思うところ、考えさせられるところがあったでしょうか。 もしそうなら、今回も書いた意義があったということになりますね♬ 今回はここまでにします♬ 最後まで読んでいただきありがとうございました!!(・∀・)あはっ♬

【にゃむのTwitter】


いただいたサポートは、今後のnoteライフ向上のために活用させていただきます!