見出し画像

駅を基点に歩いて観光②

「起点らしさ」と“遊び心”

自分が「境港」を「観光地」として好きになった理由は、何と言っても「境港駅から歩いて散策できること」にあります。

水木しげるロードのもともとのコンセプトは、先生の“想い”が込められた「ブロンズ像を見ていただき」そのうえで「商店街の店での昔ながらのコミュニケーションを楽しむ」こと。
実は、ロード完成当時(1990年代)は、境港駅周辺にブロンズ像は少なく、駅前の魅力はどちらかと言えばロケーションとイベントにありました(後述)。駅舎自体は水木しげるロード創世期の1995年に新築されたもので、案内板やオブジェは徐々に増えました。
その後、徐々に細かな“遊び心”で埋め尽くされ、水木先生の“想い”が凝縮されました。2005年に「水木先生執筆中」の像ができてからは、より「起点らしさ」が感じられるようになりました。

線路の終端やゲートに描かれている台詞は、とにかく「秀逸」(下記)。
水木しげるロードの最大の魅力は「ややもすると“ふざけている”とも感じられる“遊び”に規制を加えなかったこと」だと自分は思っていますので、ぜひ見てほしいポイントです。

「これより先、妖怪たちの霊力によって思わず愉快になることがありますのでご注意ください」
「お帰りの際『魂』の置き忘れにご注意ください」
「お帰りに奇妙な霊力で思わず笑うかもしれません」

幾度となく記してきましたが「こんなに楽しい! 妖怪の町」(五十嵐佳子:著/実業之日本社:2005年刊)の冒頭にあるように「境港には、鬼太郎列車で行きたい」と思う人が増えてほしいと、切に願っています(この著書には、水木しげるロードの「本来の魅力」が余すことなく記されていますので、町に興味がある人は、ぜひ読んでください)。

https://spirits4.muragon.com/entry/46.html
https://spirits4.muragon.com/entry/47.html
https://spirits4.muragon.com/entry/48.html

先例のない成功例で生き返る

こういったユーモアセンスと「まちづくりから観光地への発展」としては「先例のない大成功例」で「中心商店街が生き返ったこと」に魅了され、特に2000~06年ごろは、催しなどに合わせて通い詰めるほどでした。

当時、8月には「霊在月祭」として独自性のある細かな催しが行われていて、地域の人と町のファンが一緒に楽しんでいた感が強く、観光客と地域住民などとの「地域交流」としても本質を突いていました。特に「イベントの向所」とでも言うのでしょうか、「手づくり感いっぱいで着飾っていないにもかかわらず、観光客も楽しめる」のは、大きな魅力でした(手づくり感が強すぎる催しだと、関係者や地域住民だけで盛り上がっていて、観光客が入りにくいことは多々あります)。

そうして何度も訪ねるうちに、好みが合う店が数軒でき「それらの店で順に寛ぐだけで、一日を過ごす」といった感じでした。

それまでは自分も、慌ただしく欲張ってあちこち巡る旅が多かったのですが、「一カ所に拠点を据え、目的地を絞ってゆっくり楽しむ」という「スローツーリズムの魅力と大切さ」を覚えた町でもあります。境港で「旅の楽しみ方」を見直したことで「ほかの観光地の見方も変化した」とも言えます。

余談ですが「米子駅の0番ホーム」が「水木しげるロードへの旅の序章」の様相を描いていて、「JR境線」も各駅に「妖怪の愛称」を付けているのもあって、より「境港駅に降り立った時の高揚感」を際立たせていると思います。今でも境線に乗るのは好きで、米子駅から乗車して境港駅に降り立つと「旅気分」が蘇って、うれしい気持ちになります。

鉄道利用者の減少は悲しい

今、車で来られるご家族やグループの増加もあって、鉄道利用者は減少しています。特に「20~30代の男性の一人旅」を見掛けなくなりました(来てもイベント時のコアなファンか、バイク・自転車のマスツーリズム型が大半)。
いわゆる「旅」というよりも「行楽地」「テーマパーク」の要素が強まり、公共交通機関の利用率が高い女性客も、一人旅は決して増えていません。
また、車で来られる人は「水木しげる記念館」を基準に駐車場を探されるケースが多いようで、駅近くの駐車場よりも記念館周辺の民間駐車場のほうがよく利用されているのでは、と思えます。店舗の在り方や客層の変化もあって「記念館周辺の入り込み状況を《100》とすれば、駅前まで行く人は《50くらい》しかいない」と感じます。
今回の「水木しげるロードのリニューアルにおけるコンセプト」の一つとして、「境港駅を起点、水木しげる記念館を終点に見立てて『ゆっくり歩いて町を楽しんでいただくこと』」がありました。
基幹である「ブロンズ像を楽しむ」を大切にするうえでも、すごく共感でき、自分としては「最も期待していたこと」でしたが、現実的には「アニメ効果による集客」のほうが大きく、また、駅周辺の整備が中途半端になった感もあって、あまり変わっていない(むしろ注目度は下がっている感じ)のは残念です。

また、今は大型ホテルが建って眺望が遮られましたが、駅前から島根半島を眺める景観も旅気分を高揚させてくれました。あとは、駅前が催し物の会場だったことも大きかったです(ホテルができるまでは、この場所が主な催し会場でした)。“妖怪たち”も、列車の到着に合わせて出迎えたり、今以上に「駅前に良く出没」していました(列車に乗っていくことさえありました)。「サプライズ感」や「娯楽性」が強かったのは、大きな魅力でした。
催しにおいては「世界妖怪会議」の場所を会場として利用できないものかと願っているのですが、いろいろ難しいようです。

「原点」は守り伝えていきたい

自分が好んできたものと現実とは、時代の変化もありますし、町にかかわる人の移り変わりもあり「過去のもの」と言うしかないことも多々あります。
一概に「昔は良かった」とだけ思っているつもりは全くないのですが(今のほうが良くなった点もたくさんあります)、「原点」が感じられなくなるのと「境港駅前」ににぎわいがないのは寂しいです。

「境港駅を起点に歩く」――、本質的なまちづくりの「原点」を守り伝え、旅人さんに、少しでも町本来の魅力を感じてもらえることを願っています。
それが、3年後、5年後に繋がると信じて――。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?