わたしの苦手
夜、日をまたぐ少し前。家族が寝落ちたリビングにて、誰に向けてでもない溜息を吐いた。人差し指の爪には、まだらなピンク色がのっている。
マニキュアを塗るのって、やっぱり苦手だ。
まず、爪の端まで綺麗に塗れない。端まで攻めようとすると必ず (誇張ではなく、必ず) 皮膚との境目の溝?みたいなところにまで入り込んでしまって頭を抱える。そこだけ除光液で落とそうにも何故か落ちにくいし、そもそも細かいところだけ落とす技術は持ち合わせていない。
ブラシの跡を付けずに塗るのも難しい。薄く塗り重ねるのがコツだというので薄く薄くを意識したら塗り跡が汚く目立ち、こりゃダメだ自己流でいかせていただきます、と厚めに塗ってみたら、やっぱり汚い。もう!どうしろって言うのよ!
自分が苦手なことを、どう考えたって苦手なのに、「実はやっぱり平気なんじゃないか......?」と期待して、チャレンジして、だけどやっぱり苦手なことに変わりはなくて、結果として落ち込むという癖がある。
そう、癖なのだ。苦手を克服したいと熱心に意気込んでいるわけでもないし、そのために何か取り組んだりしたわけでもない。ただ苦手を苦手として再確認しているにすぎない。
今回は、そんな『わたしの苦手 (だけど、つい挑戦してしまうもの)』をいくつか書いていきたいと思います。やっぱり人間は、苦手よりは得意を伝えたくなるもので、残したくなるもので、苦手は隠したくなるもので、苦手を大っぴらにすることって少ない。だけどなのか、だからこそなのか、苦手だー!!!と叫ぶことで、少しだけ苦手を苦手だと認められる気がします。
・マニキュアを塗ること
もう少しマニキュアの話をさせてください。
わたしは何もやみくもに挑戦を繰り返しているわけではない。『ネイル 綺麗な塗り方』や『ネイル コツ』などと調べてみるけど、出てくるのは真ん中を先に塗ってから左右を埋めましょうとか、筆はボトルの縁でよくしごきましょうとかそういうことばかりで、毎度のように「やっとるわい!!」とスマホを投げ出してしまうのだ。
ちなみに失敗したネイルは誰にも見せない。うまく塗れなかったものは落として、気力と時間があれば塗り直し、格闘の末になんとか形になったものは、あたかも一発で成功したかのように振る舞う。気力と時間が尽きた場合は、清く諦める。
今回は気力も時間もなかった。例によって塗ったばかりのマニキュアを綺麗さっぱり除光液で落とすと、爪は30分前より僅かに痛んでいるように見えた。こうなるなら初めから塗らなければ良かった。そうやって項垂れるまでが、セットになっている。
・ガム、メロン、パクチー、セロリ
苦手な食べものを聞かれたら、思い浮かぶのはこの4つ。
ただ状況によっては (たとえばご馳走になったあととか、お土産でいただいた時とか) 苦手だと言えない、あるいは「得意です」までいかずとも「全然食べられますよ〜」なんて口からポロッと出てしまうこともある。食べてみて、内心では「やっぱり苦手だ.......」と思うのだった。
メロンに関して言えば、初めて食べたのは5歳くらいだったと記憶している。温泉旅館のお子様プレートについてきたメロンは、すぐさま苦手認定を受けた。甘いのか酸っぱいのか苦いのかツンとするのか、よく分からない味が苦手なのです。
しかし成長につれて、メロンが世間では高級フルーツとして扱われていることを知る。果物ではメロンが好き、と主張する人もいた。メロンおまえ、そんなことを隠していたのか......! まんまと流されたわたしは、これまでに計3回ほどメロンに挑んでいる。こっそりフルーツケーキのなかに入ってました🍈みたいなパターンを含めると10回は食べている。(苦手というだけで、食べられないわけではないのです)
が、何度挑んでも、メロンはメロンでしかない。そこに存在するのは高級フルーツという肩書きではなく、メロンという実名だけ。ああ、やっぱりわたしはメロンが苦手だ........でもメロンを食べない人生は損な気がする.......... という風にして、また気付かぬうちにメロンの罠に嵌っているのでした。
・髪の毛を巻くこと
巻き髪って、なんであんなに難しいんだろう。
もう何年もボブ〜肩ギリギリぐらいを維持しながら、ストレートかワンカールだけでそれっぽく見せている。しかしライブやら特別な日に限って巻いてみたくなるのが人の心というもの。SNSで予習した巻き方に挑んでみるも思い通りにいかず、結局ストレートアイロンで伸ばしてしまう。
美容師さんには、いわゆる「くせ毛を活かしたスタイリング」をしてもらうこともある。当然、自分では再現できない。もう最近は開き直って、美容院に行った日のオプションとして巻き髪を楽しんでいます。
・子ども(赤ちゃん)と話すこと
子どもとの接し方が分からない。
中学生のころ、幼稚園と保育園の争奪戦になっていた職業体験では嬉々として老人ホームを選んだ。ラジオ体操をして、掃除をして、スーパーへ買い物に行って、一緒にテレビを見て、昼食を食べて、レクレーションに昭和歌謡をうたって、おやつを食べて......。自他ともに認める捻くれていた中学生活のなかで、もっとも穏やかで楽しい3日間だった。傾聴という概念を学んだのも、この3日間だった。
話を戻そう。子どもという存在が苦手なのではなくて、関わることが苦手なのです。可愛いな〜って遠目から微笑ましく見ているだけで充分だと思ってしまう。
日記にも書いたけど、バイト先のハロウィンイベントで仮装した子どもたちを前にしたときは僅か数時間でへろへろになってしまった。「その日はシフト外そうかな......いやでもあからさますぎるか......こんな経験もうないだろうしな......頑張ってみるか.......」と決意して、予習した上でなんとかハロウィンは乗り切ったものの、結局また「シールどうぞ〜」しか言えなくなってしまった。
・「はじめまして」
「はじめまして」が苦手だ。
厄介なのが、初対面ではなくてもある程度の期間が空いたら「はじめまして」と同じ、またはそれに近い緊張状態に戻ってしまうこと。近づいては遠ざかってを繰り返すので、結果として仲良くなるのに時間がかかってしまう。さらには、特別仲良いわけではないけど......みたいな距離感の人とのコミュニケーションが苦手というおまけ付き。
2年前に開かれた高校の同窓会は、行ってみたい!良い機会だ!たのしみ!と浮かれて参加ボタンを押して、後日やっぱり怖くなってキャンセルしてしまった。
当時は「次また同窓会があったとしても行くのはやめておこう」と固く固く決意したのに、2年経った今では、同窓会というものに参加してみたくなっている。なんだかくやしい。
ちなみに同窓会のあと、わたしの友達同士が「あのひと来なかったじゃんね〜」と話してくれていたおかげで、ちいさなちいさな同窓会にて久しぶりの再会を果たすことができた。友達に恵まれすぎている。
・体育の授業
実はやっぱり平気なんじゃない......?と挑むことで、本当に「実はやっぱり平気」だと分かったこともある。それは運動!
小中高時代、わたしはいつのまにやら「運動が苦手な生徒」のレッテルを貼られていた。
これは他の苦手なことにも言える話かもしれないけど、何かきっかけがあるわけではないのだ。いつから苦手なのか、なぜ苦手なのか。そういうのは曖昧で、知らない間にわたしは運動が苦手になっていた。強いていうなら成績表の数字や、先生の態度や、授業内でつくるチームの雰囲気が、「わたしは運動が苦手なんだな」と自覚させていた。
こういうふうに書くと、「本当は運動が苦手なわけじゃないんです!苦手だと思い思われていただけなんです!」と主張したいように捉えられるかもしれない。でも、そうではない。
実際、わたしは運動が苦手なんだと思う。
そこは認めるしかない。体育祭の全員リレーではずっこけ、テニスでは宙を振り続け、長距離走では皆んなに応援されながら最後にゴールする。苦手以外に表しようがない。
ただ、運動よりも苦手だったのが体育の授業だった。苦手な体育の授業によって、運動に対する苦手意識が必要以上に芽生えてしまった。なんなら苦手を飛び越えて「嫌い」になりかけていた。
高校を卒業してから、ちょこちょこ運動するようになった。家で動画を見ながら筋トレをしたり、一駅ぶん歩いてみたり、ヨガに行ってみたり。ここ何ヶ月かはエアロバイクに乗っている。
そんなもんかと思われるかもしれないけど、そんなもんでも運動は運動。なによりの驚きは、運動が続いていることよりも、自分が運動をそれなりに楽しんでいることだ。
どう考えても苦手だった運動。でも「実はやっぱり平気なんじゃない......?」と挑んでみたら、案外本当に平気だった。もちろんチャレンジしたとて苦手なことはある (し、その方が多い) けど、この実はやっぱり平気なんじゃないかマインドは意外と重要なように思える。
そして、もうひとつ忘れないでおきたいのが、
好き=得意とも嫌い=苦手とも限らないこと。
マニキュアを塗ることや髪を巻くことは今も変わらず苦手だけど嫌いではないし、子どもと話すことだって何がなんでも嫌なわけではない。
苦手だからやらない、と決めつけてしまうよりも、実はやっぱり平気なんじゃな〜〜い??なんて軽い気持ちでチャレンジするぐらいが、案外ちょうど良いのかもしれない。
おわりに
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は苦手というテーマで書きましたが、『わたしの○○』としてシリーズにしてみようかと思います。
日記と交互に、だいたい (だいたい) 週1ぐらいのペースで書けたらなと。3月までは続けたい、という意気込みです。
なにとぞ、よろしくお願いします。
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