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Stand ; By (Demo ver.)


これは僕が約二年程かけてやっと初稿が出来上がった小説の冒頭部分です。公開するのは、皆様に忌憚なく意見を述べてもらい、第二稿、第三稿に反映していきたいからです。なので、読んだ人は感想よろしく頼みます。お願いします。

それでは、はりきってどうぞ!






第一話 ; 「夢の中へ」

「友達って百人もいらないよね。だって、百人もいたら、どこかにご飯へ行こうってなった時、全然決まらないでしょ」
 左手に持つアイスバーは空から降り注ぐ日光に照らされ、ソーダ味の滴が表面に浮かんでいる。滴はアイスバーの表面を滑り、握っている手に滴り落ちた。
「駅前でスマホ見ながらグルメサイトの星の数とかさ、口コミとか見てさ、あの時間って本当にいらないよね。で、結局さ、折衷案でバイキングとかに向かうんだけどさ、そういうときに限って焼きそばがバッサバサでおいしくなかったりするんだよ」
 アイスバーは刻々と溶けていく。ホダカの口は良く動く。
 バーとアイスの間には隙間が生まれ、緩くなっている。今にもズレ落ちそうだ。そのことにホダカは気付かず、一方的に喋り続けている。
 彼の頭の中には今、一斉に百人が集まり、昼食選びをしている場面が浮かんでいる。だが、そんなことはあり得ない。観光バスツアーでも百人は多い。
 集まって昼食を食べるとすれば、せいぜい五人くらいだろう。つまりホダカの想像にはリアリティがなかった。それは友達と呼べる人間が彼にはいなかったからだ。
 俯くホダカの視線には右手があり、手の甲の細い血管が張り出した腱と共に浮かぶ。握りしめているリードの先には黒虎毛の犬が繋がれていて、彼は歩調を合わせることなくホダカを引っ張る。
「でも、新しい繋がりは欲しい。家族とか親戚とか僕が生まれる前からできあがっている輪じゃなくて、自分で輪を作ってみたい。その経験は間違いなく、今後の僕の人生に生きてくると思うんだよ。勿論、外の人間なら誰でもいいってわけではないんだ。たとえばさ、すぐに『でもさ』とか『だって』とか言いだして、こっちの話を大して咀嚼もせずに否定する人は圏外だよね。あと、なんでも勝ち負けで判断する人は一緒にいると疲れそうだし。理想を言えば、空を見上げたり、お菓子のパッケージ裏にある原材料に何か面白いモノは入っていないだろうかと、無理に話題のヒントを探羅なくとも、自然と会話が続く人がいいんだよね」
 犬は真っ黒なアスファルトに染みつく街の匂いや、他の犬の体臭の痕跡を嗅ぎながら歩き続ける。犬は自分のテリトリーの状況把握に神経を使っているため、ホダカの話は聞いていない。
「というか、そもそも友達って、どのラインからそう、呼んでいいんだろうね」
 ホダカの右手と黒虎毛の犬の首輪はリードを介して繋がっているが、二人の興味や関心事は一致していない。
「あー、考えれば考えるほど、友達できない気がしてきたよ」
 だが、彼らのコミュニケーションは成り立っていた。
 ホダカは返答も、相槌すらも、欲していなかった。ただ、自分が思ったことを誰の目も気にすることなく、相手に気遣うこともなく、溜息をできるだけ言語化し、口から吐き出す。
 これがホダカのストレス発散方法であり、日課だ。
 黒虎毛の犬は前だけを見て歩き続けている。ホダカの愚痴は彼の真っ黒な毛並みに吸い込まれていく。
 ホームセンターで買ったビーチサンダルは薄く、歩く度に踵や趾の付け根に地面の固さを直接伝えた。こんなに長く歩くのなら、蒸れるのを承知でスニーカーを履いて来れば良かったと後悔している。
 
 下り坂に近づくと犬は速度を上げた。
 黒虎毛の犬に会わせて走り出すと、親指と人差し指の間にプラスチックの鼻緒が食い込み、ホダカは待ってとリードを引っ張る。だが、犬は夢中で坂を駆け下りているため、彼の訴えが聞こえない。
 彼らの後ろから一台の車が迫ってきている。
 銀色のセダンだ。
 長方形のヘッドライトが小さな背中と犬を凝視する。追われているように感じ、ホダカ達は坂道を駆け下りていく。一度でもそう思ってしまうと本当に追い立てられているような気がして、ホダカは「わー!」と叫んだ。
 パタン、パタン、とビーチサンダルが地面を叩く。
 セダンを運転する男は東京からやってきた観光客で、地元住民しか知らない裏道に入ってしまい焦っていた。どこを曲がれば元の位置に戻るのだろうかと、カーナビばかりを見ている。そのため男は目の前に中学生の男子と犬がいることに気付いていない。そして、緊張で身体が力んでいるせいか、アクセルペダルに置いた足裏に無意識に力が入っていることに気付いていない。
 車の走行音が地面から伝わってくる。振り返ると、銀色の鉄塊は目の前で唸っていた。
 死がホダカの頭に過ぎる。
 その時、観光客の男がやっと顔を上げる。
 だが、既にホダカの背中は目前にあった。ゼロコンマ何秒の刹那が永遠のように引き延ばされていく。まるで命が意志を持ち、瞬間を脳に刻みつけようとしているみたいだ。
 運転手とホダカの目があう。アイスバーはもう彼の手にない。
 展延された体感時間のなかでホダカは藻掻く。ひどく緩慢な動作で前へ向き直し、目一杯速く走ろうとするが、身体の関節を自分が動かしたい方向の逆側へ押さえつけられているような抵抗がかかる。
 車と彼らとの間は縮まらない。脚が車体の下に吸い込まれていく。もう逃げられなかった。
「楽しいね、コクトウ!」
 犬の名前を呼んだホダカは笑っていた。
「巻き添えをくらう身にもなれ」
 黒虎毛の犬、コクトウは彼の方を振り向くことなく、そう返した。
 ホダカの口角挙筋が震えている。死に対して抱く恐怖はホダカの中で滅多に得られないスリルへと変貌していた。まるでアクション映画のワンシーンのようだとホダカは思う。
 クラクションはずっと鳴り続けている。
 観光客の男はブレーキペダルを思い切り踏んでいるが、もうどうにもならない。だが、ホダカはこの車に轢かれて死ぬとは何故だか思えなかった。それはこの段階で本当の自分は今ベッドにいて、夢を見ていると自覚しているからだ。 
 つまり、ホダカは明晰夢を見ていた。
 夢の中の自分を傍観している自分に気付くと、ホダカは轢かれそうになる自分をスクリーン越しに見つめていた。山盛りのポップコーンに右手を突っ込み、鷲づかみして口に入り込むとバター醤油味だった。
 ホダカはスクリーンの向こうに、もう一度いけないだろうかと試みる。集中し、願い、祈る。
 するとけたたましいクラクションの音と共に、身体が動くようになった。
 もうすぐホダカは轢かれる。
 だがその時はまだだ。
 どうにも焦れったい。
 実際にその場で起きていることではないため、たとえ轢かれたとしても死なないが、VRよりずっと鮮やかな未知の中をホダカは今、走り続けている。
 下り坂の勾配と思った以上に出ていたスピードに足の回転数が追いつかなくなり、左足の爪先の先に、小石が転がっているのが見えた。
 避けなければと思ったとき、もう躓いていた。
 コクトウと呼ばれた黒虎毛の犬が吠えている。
 坂の下には橋があって、その下で釣り糸を垂らす男がいる。バケツには澄んだ川の水が汲まれており、中には一匹のヤマメが泳いでいる。串に刺して塩焼きにするには少し小ぶりな体躯が悠々とバケツの中を泳いでいる。
 ヤマメがバケツの中を跳ねると、陽の光に横腹が反射して、虹色に煌めく。少し口を開けたヤマメは生を求めている。
 膝下がなくなったような浮遊感があり、ホダカの身体が前へ転がる。
 鼻先が地面に触れようとしている。
 アスファルトの肌は粗く、どす黒かった。

 白い朝陽に照らされながらホダカは耳鳴りを聞いていた。瞼を開けてやはり夢だったのかと自覚する。顔の前にあった両手は震えていて、汗ばんでいる。喉に渇きを感じ、ホダカはベッドを抜け出た。上に掛けていたはずのタオルケットは彼の足下辺りで一塊になり、端へ追いやられている。
 ホダカは夢の内容を思い出そうとしたが、頭の中には夏の風景がぼんやりと浮かぶだけだった。
 未だ手の震えが止まらないほど鮮烈な何かを見たのだろうと思う。だが顔を洗い、フェイスタオルで拭っているときには手の震えも止まっていた。
 ふと、鏡を見ると昨日も、今日もさして変わらない坊主頭と目が合い、ホダカは落胆した。
 母親が二階から降りてくる足音が聞こえる。おはようと声を掛けられ、ホダカは振り返ることなく、うん、とだけ返す。昨日まで降り続けていた雨は上がり、洗面台の上についた窓の網戸から風が入る。
 冷蔵庫の扉のポケットにはよく冷えたカルピスがピッチャーに入っていた。だがホダカの母親が作ったカルピスの味は薄い。
 ちなみに原液は二階の冷蔵庫にある。ホダカは飲む度に注ぎ足そうと思うが、そのためにわざわざ階段を上がる気にはなれなかった。ホダカはある日突然、濃くなったりしていないだろうか、と期待しては身勝手な落胆を今日も繰り返す。
 ホダカの母親は何を作るにも味が薄かった。
 言葉にはしないが、父親が醤油やマヨネーズをかけたりすると彼女は箸を運ぶ回数を極端に減らし、テレビばかりを見上げる。すると家族の会話は自然と減り、父親はそんな母親を見ずに茶碗を掻き込む。
 沈黙の中でチャンチャンチャンと箸の先が茶碗の表面をつつく音だけが響き、テレビから嘲笑が流れる。
 ホダカは母親の横顔が冷えていくのを感じながら丸卓に並ぶおかずや米を頬張った。少しでもこの場の居心地を良くしようとホダカは「おいしいね」と言いながら母親の横顔を見たが、「口に入ったまま喋らない」と注意をされてしまった。
 すると父親が母親に話しかけた。職場の後輩にスマホのゲームを勧められてやってみたが、大して面白くないという話を父親はし始める。ホダカは誰かを揶揄したり、何かを否定したりする話があまり好きではない。
 だが母親は当然のように相槌を打つ。会話にテンポが生まれて団欒の時間と温度が戻っていく。そのことにホダカは安堵するが、同時に独り相撲を取っていたような心労が顎を疲れさせ、咀嚼が止まる。味の薄いカルピスを飲む度、そういった光景をホダカは思い出してしまうのだ。
 作ったのなら自分も飲んでみればいいのにとホダカは思いながらピッチャーを取り出し、置いたコップに注ぐ。
 カルピス風味の水だ、といつも心の中で揶揄していたが、今日はその薄さが妙に丁度良く思えた。
 それは喉が渇いていたからだろう。するすると通り抜け、身体が潤っていく。ホダカはすぐにまたピッチャーからコップに注ぎ、飲み干す。奇跡は二杯目も続いた。
 こんな日もあるのかと思いながら三杯目のカルピスを飲んでいると、母親がホダカを見て「そんなに飲んだらお腹壊すよ」と忠告した。コップを置かれたので、ホダカはピッチャーを傾ける。
「そういえば、今日は水着いるの? 一応、昨日洗っておいたけど」
「いや、今日はプール開きだけだからいらない。言ってなかったっけ?」
 まずは、洗濯してくれたことに感謝しろよ、と思いながら母親は溜息をつき「聞いてないわよ」と返す。
 母親は二口コンロの上にある換気扇を回し、脇のハイスツールに腰掛けると、タバコを取り出した。火をつけて一本吸い終えると立ち上がる。
「ねぇ、たばこっておいしいの?」
「さぁね」
「じゃあ、なんで吸ってんの?」
「そんなことより、アンタ早く寝なさいよ。夜な夜な何してるんだか知らないけど、今のうちにちゃんと寝て、ちゃんと食べておかないと、背も小さいままよ。ほら、突っ立ってないで早く支度しちゃいなさい」
 朝の情報番組を眺めていると占いコーナーが始まる。
 そろそろ家を出ないとまずいなと思い、ホダカは二階で制服に着替えた。
 質問に対して母親は全く答えになっていない返しをした事にホダカは今更気付いたが、今更なので追求はやめた。
 いってきますと告げて、ホダカが自転車に跨がる。いつもより足が軽くペダルがよく回る。
 登校した直後にホダカはもよおし、トイレへ駆け込んだ。
 始業のチャイムを聞きながらトイレットペーパーを忙しなく巻き取っているとき、母親の忠告を思い出した。
 言い当てられたような悔しさが頭の中を占め、今朝起きた奇跡は頭の端に追いやられた。そして些細な感動はトイレットペーパーと一緒に流されて消えた。

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