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「コールドウォー」 track.2


COLD WAR 

 なんとも味気ない感じで鎮静化していった戦争は、東シナ海域で始まった。
 中国の人民解放軍が放った弾道ミサイルは未確認飛行物体〈ムギワラ〉に着弾するも、船体に傷一つつけられず、その事実に震え上がった政府高官と元首はすぐさま数を増やして第二次爆撃を試みる。
 そんな報せが正午あたりに彼女のスマホに入った。もちろん他の生徒のスマホにも入っていた。だが、その日のSNSのハイライトは漫画のキャラクターの生誕祭で、クラス内は「あの女が、今度は軽音部の先輩に告白されて吐いたらしい」という噂で持ちきりだった。

 翌日から、世界は異質物に対して一方的に攻撃を始め、
 翌日から、クラスメイトは異端者に対して一方的に排斥を始めた。

「興味はありますよ。貴方と、あなたたちに」

 すごい速さで過ぎていったなと、窓から〈ムギワラ〉を眺めながら、彼と過ごした一年前の夏を、彼女は思い返していた。傾いていた椅子がひっくり返った。冷笑がどこかで聞こえた。




1.


 彼女の肌は湧き水のように澄んでいて、黒髪は漆で塗られたように艶めき、顔は小さく、瞳には魔性が宿っている。
 と男子の間で評されていた。
 誰しも一度は、彼女のような美貌を持ちたいと思うだろう。だが常態化した場合を考えると、それほど羨ましくないかもしれない。
 なぜなら異性を虜にしてしまう彼女は同性から嫌われるからだ。そして好意を持たれるのは良いが、その対象はすぐに彼女と強く結び付きたがり、特に肉体への接触を試みようとしてくる。
 そうなってくると、人から寄せられる好意に対し、勘ぐり、歪んだ解釈をしやすい。そして好意を寄せられること自体、嫌悪してしまうことだってあるだろう。
 彼女がそんな微動を感じたのは6歳の時だった。
 彼女は大好きな叔父に髪を洗ってもらっていた。叔父は彼女に対して何をしたわけでもなかった。だが突然、叔父の指が褐色の芋虫のように見えてしまい、風呂場を飛び出した彼女は母親に抱きついて泣いた。
 それ以来、彼女は誰かに接することを極端に避けるようになり、人間関係を新しく築けなくなってしまった。

「いやさ、予感はあった。『あ、来るな』って。でも、転入して一週間後でハブってさ……オラ、もう転校すんのやだよ。来年3年だし、受験だってあるし? 『文理選択どっちにする?』とかやりたいじゃんか。あの軽音部のヤツ、空気読めよ。まだ転入したばっかだっつのに、オラのことなんも知らねぇくせによ。今年は平穏に過ごせますようにって、ここにきて早々、アンタに頼んだんじゃんかー」

 街にある小さな神社の境内の横には、御神木がある。その木肌に手を当て、彼女は喋りかけている。周りに人間はおらず、藪から飛び出てきた野良猫だけが奇怪な行動をしている彼女を見ている。
 その時、薮から声が聞こえ、いきなり男が飛び出てきた。
 振り返って男を見た茶虎の野良猫は一目散に逃げた。すると男は着地した力をバネに変えて再び跳躍し、茶虎を捕まえた。
 彼女は男の奇行に慄き、咄嗟に御神木に隠れた。男は猫に抵抗されながら何かをしでかそうとしているように見える。
 彼女は重度の男嫌いだが、猫が大好きだった。彼女は、帰り道に野良猫と戯れるために学校へ通っている。それほどの入れ込み度合いだった。だからこそ、彼女は猫という存在に恩義を感じていた。

「あんた、何してる!」

 男が声の方を見るが、そこには御神木が佇んでいるだけだ。

「この惑星では、木が喋るのですか?」
「木が喋るわけないだろう。違う! あんたは何をしてると聞いてんだ!」

 彼女は、今の自分、犯人を追い詰める刑事みたいだなと思いながら、御神木の陰に隠れている。
 男は問いに対し、まっすぐ御神木を見つめながら「生態調査です」と答えた。そんな馬鹿げたことはないと思い、ついに彼女は意を決して男を御神木の陰から覗き込んだ。

 男は端正な顔立ちをしており、男にも見えるが、女にも見えた。そんな錯覚が御神木の陰に隠れていた彼女を立ち上がらせ、男の傍へ向かわせた。

「おまえの名前。なんて言うんだ?」
「周りからはイチゴウと言われています」
「いちご、というのはニックネームか?」
「そう解釈していただいても、構いませんが」

 いつの間にか茶虎は抵抗するのをやめていて、男の指と戯れあっている。
 見つめられた時、彼女は初めて嫌悪感を抱いていない自分に驚いた。そして男の黒い瞳に不思議な引力を感じた。

「鼻につく言い方するな、おまえ」
「鼻は付いていますが、それがなにか?」

 男は〈ムギワラ〉から派遣された初めての交信者だった。
 彼女と1号が出逢ったのは、梅雨の終わりの頃だった。


2.


 〈ムギワラ〉が襲来してから1ヶ月後、核弾頭を乗せた無人戦闘機が南極大陸に向かった。核を大々的に使用するのは異例であり、本来はこんなスピードで命令は下らない。それだけ各国の政府は異物の排除に躍起になっていた。
 行われた作戦の概要は、核弾頭を搭載した3機の無人爆撃機が〈ムギワラ〉を強襲するというものだったが、結果は失敗に終わった。
 核弾頭の射程圏内に〈ムギワラ〉が入った途端、3機の無人爆撃機のコントロールは不能となり、互いに撃ち合い、墜落した。原因は不明。パイロットは三人とも失神し、上官がどんなに問い詰めようが彼らは口を揃えて「何も覚えていない」と言うだけだった。
 このニュースは瞬く間に全世界に広まった。
 各国の政府は落胆し、軍事力の乏しい国の市民達からは「いや、無理じゃん」という声が上がり、軍事費の縮小を訴えたデモ活動が盛んに行われるようになった。

「退屈な映画だ。もっとキラキラしたものないんか?」
「私はそうでもないですがね」
「だってほら見てみ。あそこのおじい、いびきかいてんぞ」

 彼女は今まで野良猫を愛でることを学校へ行く糧としていた。そのため、野良猫が帰り道にいない街で暮らした時、3ヶ月も保たなかったこともある。
 だが、彼女の中で野良猫以外の糧が見つかった。それが1号だった。
 彼の言動はいつでも鼻についた。高慢ちきめと何度も思ったが、それでも隣でこうして映画を見られているのは、常に彼が好奇心に対して真っ直ぐだったからだ。
 こいつは、嘘がないな。
 そう思えることは、彼女にとってほとんどなかった。
 またこうして肩が触れ合っても、臆することなく、1号の座席にあるポップコーンを食べられるくらい、彼女は心を許していた。

「左前の男女は何をしているのでしょう?」
「あれは……きっと、ちちくりあってる」
「ちちをくりくり?」

 彼女の住む街には映画館がない。そのため公民館にあるプロジェクターでレンタルDVDを流すことを、街の人々は映画と呼び、窓ガラスに暗幕を貼ってパイプ椅子を並べただけのホールを映画館と呼称した。
 流れているのは右前でいびきをかいている老人が世代ど真ん中であろう、白黒映画だ。
 スクリーンに映る怪獣はミサイルを浴びている。
 上映される映画には、複雑な伏線も、手に汗握る展開もなく、彼女の言う通り退屈だ。だが席はそれなりに埋まっている。ここに集まる暇人は感傷不足であり、感傷中毒なのかもしれない。

「どうして、あの生き物はあんなに攻撃を受けているのですか?」
「うーん、怖いからじゃん?」
 と言いながら画面だけを見つめている。
「でも、彼は偶然ここへ流れついただけかもしれません。なのに、対話もなしで、いきなり武力行為に及ぶのは早計かと思いますがね」
「うーん、殴る方が手っ取り早いんじゃん?」
 彼女は1号と対話しながら、ふと気がつく。彼女は一瞬だけ、今日も自分を陥れようとしてきたクラスメイトと思考が重なっていたのだ。
「随分、短絡的ですね」
 だからこそ、彼女は1号の率直な感想を聞いて笑った。
 映画は退治した怪獣の調査へ向かった者達が、亡骸の中で失踪したはずの仲間を見つけていた。彼が実は怪獣だったという、鬱展開だ。

「世界中があんたのような人間なら、私ももっと楽しく学校へ行けたかもな」
「学校という場所はどんな所ですか?」
「そうだな。一言で表すとしたら、クソだな」
「クソとは?」
「うんこだな」

 〈ムギワラ〉から派遣された最初の使者であるため、1号は人間の生態について多くのことを学んだ。だがそれは座学の域でしかなく、実際の経験とはまるで違ったりする。

「興味深い解釈ですね」

 明るくなったホールから観客がいなくなっていく。彼女は頬を赤らめながら「今のはその、言葉のね、弾みだから」とか、なんとか言っていた。公民館を出ると二人の目を太陽が焼いた。


3.


 レンタルビデオ屋で1ヶ月遅れで入ってきた好きなバンドのCDを借りて、コンビニで買った牛乳を飲みながら彼女は1号が暮らすアパートへ向かっていた。
 そこは、人類が対処しきれない超音波で1号が大家を懐柔し、仮住まいをしている借家なのだが、そんなことを知らない彼女は涙がこぼれそうになるから上を向きながら街を自転車で駆け抜けていく。
 アパートのチャイムが何度も鳴り、1号はテレビを見ていた。
 テレビでは、軍事協力をしていた発展途上国のクーデターが激化し、引き起こされた内乱と飢餓によって多くの国民が命を落としたと報道している。

「ピンポンは3回以内に出ろ!」
「すみません。テレビを見ていたもので」
「気づくだろ!」
 叫んだ表紙に彼女の瞼から涙がこぼれ落ちた。
「どうしたのですか?」
 彼女は1号の胸に飛び込んだ。受け止めると温かく、その時初めて、1号は人間の体温を抱いた。

「オラ、今日もクラスの女子にいじめられた。でもそれはいい。もう慣れてるから。でもな、でもソイツがな、泣きじゃくりながら睨むんだ。『私の初恋、返せよ』って言うんだ。オラは美しい。かわいい。それは厳然たる事実で、今更どうこうするつもりも無いし、生き方を変えるなんてまっぴらだ。勝手に惚れてきたのはあの男だ。オラは悪かない。でも、今日思ってしまった。『誰かを嫌いになる感情があるように、誰かを好きになる感情がアイツらにもあるんだな』って。なんで、なんで、オラがそんなこと思わなきゃいけねぇんだ。どうしてオラは生きてるだけでこんなに色んな人から疎まれなきゃいけねぇんだ」

 彼女の旋毛を見つめながら1号は言った。

「貴方のために私は何かをしなければならないと思います。ですが、何をしてもどうしようもない気もする。こんな感情があったとは驚きです」

 1号が見下ろしている彼女の頭は小さく震えていて、壊れそうにも感じて、彼は彼女が硝子でできた彫像のように見えた。

「守りたいというのは、こういった感情なのですね」
「うるせぇよ。意気地なし」

 恨み言をぶつける割には、彼女は未だ彼の胸に額を押し当てている。
 シャツを掴んでいる右の拳には血がついていて、彼女はクラスメイトの顔面を殴った瞬間を思い出していた。

「なんで、私も痛いんだよ」
「そう思うのはきっと、貴方が優しいからです」

 それから彼女と1号は薄暗い部屋で、くだらないニュースを流すテレビを消し、宅配ピザをとった。スマホのスピーカーから直接、andymoriのすごい速さが流れている。
 窓の外は大雨だった。彼の部屋のエアコンがよく効いていて、8月だが、そこだけまるで夏が過ぎ去ってしまったように肌寒かった。

「あんたは、いい奴だ。オラにそういった興味もなさそうだし」
「それはどうですかね」

 体と体は自然と近づいた。
 見つめ合うと、1号は彼女の唇を奪った。

「興味はありますよ。貴方と、あなたたちに」

 その日が彼と過ごした最後の1日だった。


4.


 謎を残したまま彼はこの街から姿を消した。

 椅子を起こした彼女は彼と出会う前より、クラスにいやすくなった。だがそれは微細な変化であり、彼女の中にある心持ちが変わったというだけだ。根本的には何も解決していない。
 発展途上国で相次いで起きたクーデターが発端となり、この問題を諸外国も無視できなくなった。そして国連は〈ムギワラ〉への攻撃を打ち切ると公言した。こうして約一年間続いた戦争が終わりを告げた。

 世界とクラスメイト達は異物に対し観察を始めた。それでも先進国の首脳は密かに軍事力の強化を図り、スクールカーストの上位にいる女生徒は彼女の監視を怠らないよう、下へ告げている。
 
 熱戦は終えた。だが今度は冷戦が始まった。

「今年の夏はなんだか、長いな」

 窓の外に見えるのは入道雲で、その影に〈ムギワラ〉が隠れている。その姿があの日の自分と重なり、彼女は唇を親指でなぞった。




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夏の思い出曲を募ったのに、「ま、この曲、夏、終わってるんですけどね」
と言いながら、リクエストしてきた野郎です。どうだ。やってやったぜ?

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