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懐かしい狂気

地方都市の役場で、生活保護受給者と間近に接する仕事をしていた時期がある。(ケースワーカーではない)
保護課のカウンターには、実に多彩な人々が入れ替わり立ち替わり訪れる。
そのほとんどが失望している。沈んだ顔、怒った顔、不安な顔。
「がんばれ」という言葉を、おいそれとは掛けられない。このカウンターの前にたどり着くまで、どれほどの苦渋があったことか。

関係者なら誰でも知っている有名人もいる。
何年分もの垢を、ぼろ切れと化した衣類と共に身に纏い、強烈な臭気を放つ女性。

毎週決まった曜日の決まった時間にやってくる老婆。いや、整った顔立ちに、洗い晒しではあるが清潔で個性的なセンスがにじむ出で立ちのその女性は、案外まだ若いのかもしれない。真っ白なおさげ髪のせいで年齢不詳なのだ。
おさげ髪のサリー(と、私は心の中で呼んでいた)は、やって来る度にカウンターの前で仁王立ちになり、大声でわめき散らす。自分がいかに有能であるか。役所の人間がいかに無能であるか。ある時は自分を担当するケースワーカーの若い女性を窓口に呼びつけ、ヒステリックに延々となじり続ける。ある時はカウンターに両手の平をバンバンと叩きつけ、顔を紅潮させて金切り声を上げる。

そのサリーの様子を少し離れた場所から眺めながら、私は頭の中が静まり返る感覚に浸る。やがて胸が重苦しく落ち着く。

母だ。
この、圧倒的な、怨念は、子どもの頃から、何度も、何度も、繰り返し曝されてきた、私の母の、狂気そのもの。

思わぬ場所で遭遇した見慣れた光景は、私の胸をかき乱すのではなく、物悲しくも懐かしい思いに浸らせたのだった。
これほどまでに、子は母を慕うものなのか。
この時の私は、保護課のカウンターを訪れる人たちに劣らない絶望を感じていたかもしれない。

次の話 ■見捨てられる恐怖

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