『カラフル』

『カラフル』森絵都

普通とは、誰が決めたのだろうか?

『カラフル』は、死んだはずの主人公が天使から人生の再挑戦のチャンスをもらい、自殺した少年・小林真の体を借りて自分の犯した罪を思い出すために下界で修行をする物語である。

この話で最も印象に残っているのは、主人公がだんだんクラスメイトや家族に心を開いていく場面である。話の始め、主人公は母にも父にも心を閉ざしている。それは主人公が真の家族の本性を天使・プラプラから知らされているからだが、話が進み、クラスメイトなどと関わっていく中で、主人公はみんなに本音でぶつかっていくようになるのだ。わたしはこの主人公の姿を見て、すごいと思った。たとえわたしの人生が他人の体を借りた短い時間だとしても、わたしはそんなふうに割り切って生きていけないし、家族や、自分が信用する人の裏の顔を見たら耐えられないと思うからだ。

もう一つ、この話の中で印象に残っている場面がある。それは、真が家族と真の行く高校について話す場面である。このシーンで真は、
「ぼくが高校でしたいのは、そういう、めちゃくちゃふつうのことなんだよ」
と言い、両親からの、私立に行かないかという相談を断るのだ。最初にこのシーンを読んだとき、わたしは真の気持ちにあまり共感することが出来なかった。わたしがもし真と同じ状況に立たされたなら、絶対に私立に行くことを選ぶと思うからだ。真の両親は、真の好きな美術が出来る私立高校を探し、そこに行っても良いのだと言ってくれている。兄の満も、満の行きたかった医学部をその年は諦め、代わりに真を私立の高校に行かせようとしてくれている。それでも真は、早乙女くんという真にとっての初めての友達と同じ高校に行くと言う。
わたしも確かに仲の良い友達と同じ高校には行きたいし、その気持ちがすべて分からない訳では無いが、同じ高校に行かなくても変わらず連絡は取れるし、自分自身の将来を考えれば、私立高校に行った方が良いと思う。どうしてそこまでして友達と同じ公立高校に行くのかと、もう一度考え直したとき、わたしが辿り着いた結論は、「普通」ということの考え方の違いだと思った。わたしにとっての普通と真にとっての普通では、大きな差がある。わたしにとっては小さなことても真にとっては大きなことで、その逆も然りである。だから、真にとっての初めての友達である早乙女くんはとても大きな存在で、両親の意見を押し切ってでもそばに居たい、真の光なのだろうと思った。

この物語の最後、主人公は自分自身が小林真の魂であることに気付き、無事再挑戦に成功する。しかし真は、自分がこの先やっていけるのかと自信を失くしてしまう。だが天使プラプラに励まされ、元の自分・小林真の世界へ戻るために、一歩を踏み出すのである。

わたしはこの物語を通して、真のような人になりたいと思った。自殺する前は、真は弱い人のように見えたけど、彼は本当は強くて、優しくて、勇気のある人なのだと思う。それは、真がホームステイという名の再挑戦をしているときに、まだ自分と知らない少年のことを思って行動しているからだ。
また、真の初恋の相手・桑原ひろかのショックな話を聞き、その現場を目撃したときも、真はひろかへの心配の気持ちを持っていた。それはわたしにはない、真の強さだと思った。

そして、わたしはこの物語で「普通」の違いを学んだ。何も普通という言葉に限ることはないが、人の考えることは誰もが同じな訳ではない。むしろ、違うことだらけだ。「十人十色」という言葉があるように、十人いれば十人が全く違う考えを、それぞれの色を持っている。その色を誰かに合わせたり、塗り替えたりすることは必要のないことだと、わたしは思う。
わたしはこれから、色をグラデーションするように、たくさんの考えを持てるように、理解出来るようになりたい。人の考えを否定せずに生きていきたい。真のように、強い人間になりたい。

もし、わたしが真のようにすべてが嫌になってしまっても、わたしは人生を"長めのホームステイ"だと思って、自分を否定せずに生きようと思った。

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