思い出と音楽

思い出のない音楽はないと思う。

聴覚情報というものに、頭の中の何処かにしまい込まれた感覚を呼び起こす作用がある限り、音楽にノスタルジーはつき物だからだ。
これは聴覚に限ったことではないと思う。絵画や文章、季節の花の匂い、あるいは誰かの作った食べ物の味。それらの知覚情報は独特な感覚を私の頭に去来させる。その感覚の快・不快が、その知覚情報を与える刺激の好き・嫌いを区別する。

感動を覚えない曲であったとしても、その中の何処かに、今まで聴いてきた何かしらの音楽との共通点があり、そこから引張り出される感覚を私は追憶することになる。
逆に、一時期に繰り返し何度か同じ曲を聴くことで、その当時印象的だった出来事とセットになって音楽は頭の中に刷り込まれる。

子供の頃、印象深い経験によって音楽をカテゴライズするのが癖だった。
例えばキンモクセイの「二人のアカボシ」は、小学校四年生のときに親戚と行ったザリガニ釣りの思い出とセットになっている。Chicagoの「If You Leave Me Now」は、父や弟と一緒に狭山の模型屋さんに行った思い出とセットになっている。
そのように思い出の時系列順に対応する音楽を並べて聴き返すことで、楽しかったことを思い出すのが昔から好きだった。

この分類方法には、音楽のジャンルや曲調、歌詞の内容などは一切関係ない。完全に私による私のための、とても抽象的な音楽の分類方法だ。他人には理解しようのないこの独りよがりが、私の音楽趣味の寂しいところである。音楽への愛情は、基本的に孤独である。だからこそ、誰かと何かを分かち合えたときに嬉しいと思える。

私は音楽を聴いているとき、音波に耳を澄ませる一方で、その音楽を聞くことで呼び起こされる感覚に集中を注いでいる。
聴覚への刺激により芋づる式に頭の中から引っ張り出される愉快な気持ちに身を委ねる。

冒頭、思い出のない音楽はないと言った。

多くの曲は既に聞いたことのある音楽とどこかしらの共通点があり、それを耳にした時、自分でも気づかないような小さなことを思い出している。

たとえ目新しい曲がどれほど斬新かつ画期的であったとしても、時間の経過がそれを懐かしい「思い出の曲」にしてしまう。

#思い出の曲

この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,323件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?