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藤原定子が亡くなったとか信じられない

ああ、定子さまがもうこの世にいないなんて。と本気で一瞬思ったけど、よく考えたら、わたしが生まれたときには彼女もう死んでた。

大河ドラマ「光る君へ」(作・大石静)、第28回ではついに、定子さま(高畑充希)が身罷られた。わたしはこのドラマ以前は『枕草子』が好きで清少納言が好きで、したがって定子も好き、というフローで定子を好きだったのだが、本作を見続けるうちに、気がつくと定子の限界ヲタクになっていた(ヲタクを名乗れるほど詳しくないのに)。

高畑定子の表現が本当に細やかで、例えば定子が一条天皇(塩野瑛久)や家族といるとき、心にどんな感情が渦巻いているのか、見ていて分かり切れないところがあるのが魅力的だった。清少納言/ききょう(ファーストサマーウイカ)といるときは裏も表もなくそのままに見えて、そこも好きだった。

大河ドラマは登場人物が大勢いて、そのうち多くがそれぞれのタイミングで“退場”していくものであって、わたしはわりと素直に、今週放送があったら今週活躍した人物のことをああだこうだ思うけど、定子さまのことはこれから先、あの人どういう人だっただろうと、ふとしたときに思ったりするような気がする。

今は高畑定子について思ったことを、思いついたはしからメモしておく。ただし、ききょうとのことは、またの機会に譲る。いろいろ思いすぎて、ライターのくせに情けないけど、思いに手が追いつかない。

口調と声の相性が天才

平安時代の大貴族の姫は、人前に出ることがほとんどなかったそうだ。基本的には御簾や几帳の奥で文を読んだり書いたり琴だの何だの弾いたりしてのどかに暮らしていて、だから殿方とじかに「会う」となったら、それはイコール「結婚」、少なくとも「恋愛成就」の意味になるぐらい。現代ではほぼ絶滅した“深窓の令嬢”が、1000年前の京都にはちらほらいたのだ。われらが定子さまもその一人。

しかし、定子さまは奥ゆかしくて楚々として、というだけの人ではなかった。「枕草子」からは、最初は半ベソかいてた清少納言が本領を発揮できるように導いていった主人としての力量がうかがえるし、冗談を言ったり、人をからかったりするのが好きな性分なのだなということも十二分に伝わってくる。ドラマの第28回にもあったように、お菓子の敷紙をさっと切って、そこへ歌を書きつけたりして、飾らない振る舞いがさまになるタイプの人でもあった。

高畑さんはインタビューで、そういう定子さまのことを「ハンサムなところもある人だと思っていて」と言っていた。大石先生もそのような解釈だったのだろう。定子さまの話し方は他の女性キャラクターとは明らかに違っている。

定子は「光る君へ」に登場する女性のなかでただ一人、「~よ」「~わ」などの語尾(てよだわ言葉、女学生ことば、女性語)をほとんど使わない*1。主人公のまひろ(吉高由里子)も、母の貴子(板谷由夏)も、家格が近い倫子(黒木華)も、同じように入内した詮子(吉田羊)も、みんな女性語をよく使うのに、定子は一条天皇がそばにいると、たまに「~かしら」「~わ」が出るぐらい。ききょうと二人なら「定子である」「ならぬ」「そなただけだ」「いただいてみる」と、非常にすっきりした話しぶりで、姫か侍かでいえば侍。有名な香炉峰のシーンも「いかがかしら」ではなく「いかがであろうか」と言っている。

*1 関係ないけど、字幕翻訳者が女性言葉について語った『映画ナタリー』の記事(2021年12月)がとても面白い

語尾も含めてキリッとしたセリフの数々に、また高畑の声がよく合う。ミュージカルで鳴らした声は雑音の含有量が少なく、小さく発しても遠くまで届くようである。この声で「てよだわ言葉」を捨ててしゃべると、全くガサツっぽくはならず、ただただ高潔さが際立つ。この効果を大石先生は最初から見越していたのだろうか。

定子さまはまた、めったに泣かない。泣きたくなるような場面は人一倍多かったはずだが、目に涙の膜が張っても、こぼさずに押しとどめていることが多い。高畑さんは道隆(井浦新)や伊周(三浦翔平)から「皇子を産め~!」と迫られるシーンの目の表情について記者から質問されたときに「そのシーンでどんな目をしたかは記憶にないけれど、全体を通して、たくさん泣きたくないと思っていた」と話している。「(定子に)かっこいい人でいてほしい」「毎回涙を流す人じゃないといいなと思った」とも*2

*2 『CINRA』のインタビュー記事などで紹介されている。

三人の母は彼女を愛さなかった

定子には実母の貴子と、義母(夫になった一条天皇の母)の詮子がいた。平安時代に夫の母=義母という感覚はなかったかもしれないが、世が世なら親しく文や贈り物を交わしたりできたかもしれない相手には違いない。

ドラマ上、いかにも折り合いが悪かったのはその詮子だったが、実は貴子からの愛情も定子にはあまり向かっていなかったように見え、少なくとも定子のほうでは飢餓感があるように見受けられた。

中関白家といえば、落ちぶれる前はキラキラだった。家族みんな仲が良く、眉目秀麗、文化的に豊かで、気の利いた冗談を言い合うのが好きな明るい人たち。それでも、いびつなところはもともとあった。

定子が本役で初登場した第13回、定子は兄・伊周の恋文を家族の前にさらそうとして父・道隆にたしなめられる。このとき、貴子は“伊周の恋文を見てみたかった、伊周は何にでも秀でているから”と少しズレたことを言うのである。定子は「母上はまた兄上びいき」とこのときは笑ってツッコんでいた。

第15回では、入内した定子を、貴子が淡緑釉の香炉をお土産に持って訪ねてくる。定子は無邪気に喜ぶのだが、直後に貴子は中宮としての心得を説くのだった。その後、道隆&伊周がそれぞれ定子に向かって「皇子を産め」と迫る地獄の親子リレー(第17回、第18回)を繰り広げたりして、定子はわが身が家族から政治の道具にしか見られていないことを強烈に突きつけられる。

そして、長徳の変で定子が自ら落飾して間もなく、配流から逃れようとする伊周を貴子がかばって「わたしが行かせる」と言ったとき(第21回)、伊周がわめいている間は目を少し細めて瞬きもしなかった定子の目が動いて母を追う。続いて「母も共に参るゆえ」と伊周を励ます貴子の言葉を聞いて、目を閉じ、小さく嘆息するのだ。

定子はこのとき、一条の子を身ごもっていたので、妊娠悪阻で気分が悪くなった描写にそのままなだれ込むのだが、それとは別に貴子の言葉へのリアクションが在ったと思う。“母上はこの期に及んでも兄上のことだけを”という力が抜けるような思い。それをやり過ごそうとしてまぶたを閉じたのが先で、直後につわりの症状を自覚した、そういう順番に見えた。

第22回で貴子が逝き、第23回でききょうにお礼を言ったとき、定子は「そなたを見出した母上にも礼を言わねばならぬな」と付け足して笑った。定子はききょうという得がたい女房が自分に仕えていることを、もちろんそれ自体ありがたくうれしく思っていただろうけど、彼女の存在を母の愛情の証のようにも捉えたかったのかもしれない。

一方、義母・詮子との関係は最初からぎこちなかった。本作の詮子といえば、吉高由里子いわく「一番悲しい。つらい人だと思う」*3。定子以上にあからさまに政治の道具扱いを受け、幼い頃からの定めに従って入内するも、円融天皇(坂東巳之助)からは、父・兼家(段田安則)らが円融に毒を盛る暴挙に出たせいで、共犯を疑われて憎まれるようになった。

*3 「光る君へ THE BOOK 2」(東京ニュース通信社)の吉高インタビューより。

詮子にはひとり息子だけが愛情をそそげる相手となるのだが、その一条が、ただの政略結婚相手のはずの年上の嫁に本気でメロメロになってしまう。面白くないに決まっている。一条と定子が遊んでいるところに急に押しかけては小言をぶつけて帰っていく詮子。高畑も「『何しに来たん?』っていう……」とツッコんでしまう威圧リターン*4。悲しさツートップの嫁姑は、寄り添えないまま互いをより傷つける。詮子のお小言タイム、定子の目は穴ぼこのように真っ黒だ。

*4 7/20放送の「土スタ」での一幕。この関西弁とてもよかった。

ちなみに、ドラマでは譲位後の円融が描かれないが、藤原実資の「小右記」には、詮子が実家に下がって息子を育てていた頃、上皇となった円融がその東三条第へ御幸したことが書かれている。985年2月のこと。事実上の離縁状態だったとしても、院のほうから詮子に会いに行っているわけなので、現実はドラマよりは詮子に優しかったかもしれない。

NHK京都放送局 8Kプラザで撮ったやつ

ドラマには登場しないが、定子は大貴族の姫なので乳母もいた。乳母は定子が長じてからもずっと仕えていたのだが、あるとき暇を取って地方へ下ることになった。長徳の変やら二条第の火事やらの後のことだと思われる。要は苦境にある主人を見捨てていくわけだけど、定子はそんな乳母に“あっちへ行ってもわたしのことを思い出してね”という歌を贈る。「枕草子」にあるエピソードだ。定子の「影」を記すことを徹底的に避けていた清少納言がただ一度、定子を「あはれ」と書いたのがこの章段である。

一条天皇とは紆余曲折愛

「一条天皇は賢帝だという研究もあるけれど、考証の先生は『でも、一条がやったことは定子を愛したことぐらいなんですよ』とおっしゃって、わたしはそれがなんかいいなと思ったから、ただ定子を愛するだけの人にしちゃったんです」と、大石先生がこの前の土曜日、言っていた。

土曜日は、日本女子大の桜楓会の企画で、大石先生と「光る君へ」で和歌考証や現代語訳を担当されている高野晴代先生の対談が催され、そこで語られたことだ(録音禁止で今回は会場を出るまでメモも取らなかったので、言い回しなどは不正確だと思う)。「一条がやったことは~」というのは、有名な政策などの記述が残っていないということなのだと思うけど、だからといって政治をおろそかにしたとは限らないので、ここは「枕草子」クラスタがもやもやしてしまうところではある。

ともあれ、一条から定子への矢印はかなり分かりやすかった。本人は母の呪縛がキツいせいで定子に傾倒していったのだと、詮子には言うのだが(第27回)、それは“遅れてきた反抗期”が言わせたことで彼の本心ではないと思う。定子に「偽りだったのか」と問わずにおれないところを見ても(第28回)、これまでやってきたことを見ても、一条のほうはきっと真実、定子のことが好きだった。

これも8Kプラザで

一方、定子から一条への気持ちは刻々と変化する。入内したとき、一条は11歳になる年で(第13回)、映画『怪物』で依里役を好演した柊木陽太くんが演じていた。この時点では“弟みたいでかわいいな”と“家のためにうまく立ち回らなければ”という二つの思いを15歳の定子は抱いている。

が、第15回になると一条も16歳。大人になって(本役の塩野が演じるようになって)、もう様子が変わってくる。一条が得意の龍笛を定子のためにだけ吹く、このドラマで最も美しいカットの一つ。美しいだけでなく柱に少し寄りかかって、リラックスした座り方をしている二人からは艶っぽさも漂う。一条が演奏しながら定子を見つめると、定子も視線を合わせにいく。この頃には名実ともに夫婦になっていることが、このカットだけで伝わる。

余談だけどこのシーン、一条天皇が塩野さんでなければ、こういう演出にはならなかったと思う。前のシーンから切り替わって最初に映るのは満月。龍笛が聞こえていて、指孔を押さえる手元のアップになって、それから吹き口と顔のアップ。この撮り方でさまになるのは正直、顔が綺麗だからにほかならない。ルッキズムのそしりは甘んじて受けたい。

第15回は中島由貴監督の演出

その後、道隆が今でいう糖尿病でどんどん具合が悪くなって、「皇子を産め」リレーもあって、定子も一族のために政治的な動きをするようになり、一条への愛がともすれば媚びや工作にも見えてくる。政治の前には愛どころじゃないというムードが漂ってきて、定子のりりしさや賢さが“悪く”も見える。

それが長徳の変に突入して第20回、伊周と隆家(竜星涼)の減刑を嘆願するために、内裏に忍び込んで一条と相対するシーンで印象が変わった。

「お情けを」と頼み込んだものの、一条から言葉が返ってこず「下がります、お健やかに」と言うとき、今にも泣き出しそうで、声も消え入りそうで、本当につらそうだった。わたしにはそのつらさの由来は、減刑の願いを聞きいれてもらえなかったことよりも、一条に失望された(と定子は思った)ことが大きいように見えた。“好きな人にがっかりされた”と思ったから、彼女はもうそこに一秒もいたくなかった。あ、この人はこの人を好きだ――。このシーンを見てそう思った。

その後の二人は、定子が職の御曹司に入って、やっと再会できてからも、心は微妙にすれ違い続き。一条は衣擦れの音が「いそいそいそ」と聞こえるほど、定子を訪ねるときはいつも幸せいっぱいなのだけど、定子は出家した身で新たに子どもを産む後ろめたさ、一条を支える力もないのに一条の寵愛を受けている申し訳なさにさいなまれながら会っている。

それでもこのドラマは、定子さまの最終回である第28回に、二人の心が通じるシーンを描く。彰子(見上愛)を中宮にすることを詫びる一条に、定子はようやく本音を語る。自分や中関白家の心配ばかりしていて、一条を思うどころではなかったことも、そもそも政治的な意図をもって入内してきたことも有り体に。一条から「これまでのことは全て偽りであったのか」と問われて答えない定子さまが、これはものすごく定子さま。「定子」と抱きしめられたちょうどそのときに涙を流す高畑充希の美意識も忘れがたい。

余談

ドラマではきっと数話先に描かれると思うが、一条天皇が詠んだ辞世の句は、定子に向けたものか、彰子へのものかで、しばしば議論になる。そもそも和歌の一部文言が、行成が書き残したものと、道長の書き残したものとで異なる。このドラマでどちらを採るかはまだ分からないが、塩野さんとしては彰子に向けたものであってほしいそうだ*5

*5 第28回放送後に公開された公式動画「君かたり 塩野瑛久」

おそらく、そうなることでしょう。ただ、第28回で定子さまが「彰子さまとご一緒のときはわたしのことをお考えにならないで」と一条に言っているので、これが伏線になるのではないだろうか。一条は病床で定子の顔を思い浮かべるが、そばにいる彰子の姿が目に入り、定子の言葉を思い出し、最後の和歌は彰子へ詠む。そういう流れになるといいなと勝手に思っている。

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